政治家Mは家柄、財力などに加えて、堂々たる体躯の持ち主だ。人を圧する体格、鷹揚たる物腰、人に隙を与えぬ会話術など、十数年前の政界に君臨して名を馳せた人物である。何度かお会いしたこともあるが、見上げるような体のMが一歩を踏み出したり、あいさつ後に顔をあげる瞬間に、心なしか淋しげな表情を見せるのが気になっていた。
今年7月、Mの長男が多臓器不全で46歳の若さで亡くなった。彼は以前にも飲酒事故も起こしていたから、精神的には相当病んでいたのだ。父Mは自分の中にある「空虚感」を自覚し、統合自己を築く方向に行くべきであったのだ。しかし、反動形成によって威厳を保つことだけに腐心していると、Mの中に隠された空虚感を子どもが担うことになる。それを埋めるために酒に走ったのだ。かれは自分で自分の空虚感に吸い込まれるようにして亡くなったといえる。
教育者、人格者と言われた人の家族の中に、一風変わった人が存在することで、家族の精神的バランスを保っているのである。担わされた人は迷惑な話だ。
家族の中のもっとも弱い子に、親の築いてきた「負の遺産」が回ってくるという例だ。Mが「彼は私の存在の犠牲になった」と語っていたが、精神面の犠牲になったと言った方が正確である。
反動形成で疲弊しないためには、隠された部分をさらけ出すことである。それには、自分は弱い面を語れる相手をもつこと。立場が高くなるほど、こうした相手は周囲に見つけにくくなるので、仕事とは無関係の相手を見つけることが望ましい。さらけ出すなんてできない、という人は子や孫を不幸にして平気な人である。