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2012年2月の22件の記事

2012年2月29日 (水)

性格

性格は、生得的なものではなく、後天的に形成されていくものである。家庭内の人間関係の中で育まれ、修正され、加工されながら学習されていくものであり、それは愛である。
 愛は
想像的、一時的、間欠的なものであってはならず、一貫性が必要である。この一貫性と恒常性によって、人は安心と安全を学習できるようになり、人は安心して社会に出ていくことができるのである。
 
この基本的信頼を学ぶところこそが家庭である。
 
父は、妻と家族を愛し家族を統率し導く人である。
 母は、夫に従い、子の成長を妨げない養育をする。
 子は、それを見て育ち、伝えていく。
 
この基本的信頼を獲得できたとき、人は自分の存在を「快」と受け取ることができる。この獲得に失敗したとき、人は不安と不信を心に形成し、社会参入に困難を覚えることになるのである。

 

2012年2月28日 (火)

子どもにとってのモデルとは

 子どもは、さまざまな人物のまねをする。最初に出会う父母こそ、人生における最初のモデルだ。両親を模倣して、自分の中に取り入れていく。これが理想自我である。長じてから、男の子なら、強いヒーローや、女の子なら、人気キャラクターを理想自我として見立てていく。そうして取り入れられたものが、自我理想と名付けられたものである。
 
親は、子どもの「こういう人になりたい」という言葉に対して適確に対応をする必要がある。理想自我は、後に職業選択にもつながっていく。対応を間違えば、将来、適職を発見できなくなる可能性は高くなる。
 
子どもが、スポーツ選手に憧れたり、女優に思いを託して、将来を夢見る。大人になると、人物像は取り払われて、何々のような「力」を持ちたいに変わる。内在化して大人になるということである。
 子どもの憧れているモデルの名前を否定してしまうことは、その子の将来を否定することにつながってしまう。親御さんはその点に注意して適格に対応してあげてください。

 

 

  

2012年2月27日 (月)

子どもの耳

 子どもは人の話をすべて聞いている。遊びの最中、食事中、睡眠中でさえ人の話を聞いている。子どもだけではない。おなかの中にいる赤ちゃんも人の話を聞いている。
 
「胎教」の大切さを伝えようとしても、なかなか理解されないのは、やはり、子どもが形として見えないからだろう。誕生からが育児ではなく、妊娠した瞬間からが育児、と心得て欲しいものである。
 
母のおなかの中にいる時から。誕生を待っているよ、と、やさしい言葉をかけながら出産に臨むことが望ましいのである。

 

 

2012年2月26日 (日)

言葉を尊重する

 人が、自慢話をすることは友人関係にひびが入るが、自慢話を聞くことは逆に人間関係をよくするものである。
聞き手は、聞くことだけを念頭において、相手の話をひたすら聞き続けろことである。それは、こちらが話していると、それだけで時間が取られてしまうからでもある。自分が話している時間は短かく感じるが、聞いている時間は長く感じるのも、その理由である。
 友達同士で会話していても、お宅はどう?などと聞かれてつい喋ってしまったという経験は、よくあること。それは相手の方が、もっと自分のことを聞いて欲しいというメッセージでもあるので、その心理を尊重してあげることで、コミュニケーションはさらに深まっていくのである。

2012年2月25日 (土)

聞き上手

  聞き上手な人は、批評を加えずに相手の語りに耳を傾ける。母親が夫に、子どもの受験のことで相談しても、夫がそれに対して、最近の受験はむずかしい、などと答えれば、夫には受験への熱意が感じられず、妻は腹を立てることになる。
 この場合、夫も妻と同じ目線に立って共に考えることが大事である。
聞き上手な人は、語りに対して、よい、悪いという評価は下さない。不登校は悪い、働くかなくてはダメとは言わないのである。大事なことは、それらの行為が語っていることは何なのかに注目する。すなわち、目の前で起きている現象の、奥にあるものに注目するのである。

 

2012年2月24日 (金)

自己主張が苦手な人

 自分の意思を伝えることが苦手な人が多い。自分の欲望が何であり、目的や効果を知ってはいても、それを相手に口に出すことが苦手なのである。いったん苦手意識を持ってしまうと、なかなか自信を取り戻すことができない。自信がないので、自然に声も小さくなってしまう。「自信を持て」という励ましの言葉は、なんの効果ももたらさない。有害でさえある。
 苦手になった理由として、彼らの生活史が、否定されてきた人生であることが多い。自己主張しないことで、周囲の平和を維持し、みずからの心の傷つきを免れてきたのである。
 彼らは、考えることすら抑圧した歴史を持っている。考えを抱いていれば、それが口をついて出る。それが他者の否定に出会ってしまうことを恐れたためであった。しかし、彼らの欲望は無意識界に確かに存在しているのである。
 彼らを肯定と、受容の態度で受け入れてあげることで、彼らの欲望が何であるのかが分かり、自信を得るようになるのである。

 

 

 

2012年2月23日 (木)

対話は一対一が基本

 対話は、一対一が基本である。一対一なら対話できても、3人以上になると、突然緊張する人が多い。日本では、自分を周囲に合わせるために、自己主張を制限する傾向が強いようだ。しかし、リーダーが、誰もが自由に発言するように促すことによって、一人一人の主張を受け入れるなら、自己主張したいという欲求は満たされることになるのである。
 しかし、周囲に合わせるだけの人生を送って来た人たちは、主張しない習慣が身についてしまって、自己の主張は無意識にしまいこまれたままとなる。
 したがって、
聞く側は、何でも聞き入れるように心がけなければならない。語り手は、聞き入れてもらえたことを実感して、続きを語りはじめる。こうして、彼の心は癒され、聞いてくれた相手への信頼を増すことになるのである。
 対話の苦手な人は、いきなり大人数を相手に話すのではなく、まず、一対一で対話してくれる相手を見つけて、練習台になってもらうことから始めるのがよいのである。
 

 

 

2012年2月22日 (水)

退行

 人間は、ときに、会話の中で退行した言葉を使ったり、童謡に涙したりしている。時にガス抜きしながら自分を解放しているのである。それは普段の仕事の重圧や緊張に押しつぶされないための息抜きの場なのである。
 
 要職にある人や、地位の高い人物はその威厳を演出するために過剰なエネルギーを放出する。そのため、言葉のない時代、すなわち乳幼児の時代に戻りたくなるといわれている。社会の顔のまま帰宅することは、家族にとっては困ることである。場合によっては、悩みの原因にもなる。
 
退行とは、過去にさかのぼることである。人間は三つの時間軸で動いている。すなわち、過去、現在、未来の三つである。過去の自分があって、現在の自分があり、現在は、未来という目標実現のために生きている。
 
しかし、楽しかった過去を思い出すことで、現在や未来のことを考えなくて済むということもある。あるいは、現在の自分が失われてしまい、何も考えられなくなっているという場合にも、人は退行してしまう。
 さらに、苦しいとか、将来の見通しがない、というときにも、人は過去を振り返る。それは、どの地点にまでさかのぼるのだろうか。
 
「快」の時点までさかのぼることによって、もう一度「快」を味わおうとするのだ。
 

 

 

 

 

2012年2月21日 (火)

人が人を癒す

 人が人を癒すのは、自分も相手も、元をただせば、同じような根なし草だという、共通認識を持った時である。今、二人にできることと言えば、心とこころを通わせて生への意欲を持ち、考えを語ってもらうことで、それぞれが自分の人生の意味を創造していくことだけである。
 そこに放り出されたままの自分に気づくとは、不安と孤独のとりこになることである。不安と孤独を味わっている人こそが、他者に対するしみじみとした哀感と惜別の情をもつものである。人と人との関係はそういうものである。こういう関係が人を癒すのである。

 

 

 

2012年2月20日 (月)

欲望の行方

人は、社会生活においては、適応していく心的機制と、断念する機制を働かせながら、そのどちらにも満足が伴うように社会に自分を合わせていく。自分を社会に順応させていくことによって、社会的評価は高まり、称賛されることになる。彼は、欲望を断念し、我慢強く、我がままでないことが周囲により受け容れられることで自分も満足を得る構造ができあがって行く。
 
ここで問題なのは、彼の中で断念された欲望の行方である。周囲に合わせることだけに心を砕いてしまうと、押さえつけられた欲望は、無意識界に閉じ込めらたままとなる。排出のための水路付けがなされなかったとき、別の水路を経由して欲望を排出することになる。退社後、スポーツに汗を流したり、趣味に打ち込んだりして精神のバランスをとることで、ある程度発散することはできるものである。しかし、その水路づけがうまくいかない場合、家庭がストレス発散の場になってしまうこともある。それもできないと、そのストレスは自分の身体に向かい、肩こり、腰痛、内臓疾患などの身体症状を通してストレスを表現することになる。語ることができなかった欲望が身体化しているのである。
 
セラピーでは、抑圧された欲望を語ることによって、自分の本当の欲望に気付いていくのである。気付けば、自信を得るので、社会で実行していく力にもなっていくのである。

 

 

 

2012年2月19日 (日)

一貫性

が子どもに「日曜日は、宿題をやる日だから、がんばってほしい」と言えば子どもは困る。早起きしてほしい、と言う一方で「早起きせずゆっくりしてほしい」と、自分に合わせた行動を要求すると、子どもは混乱する。
 その時の気分によって、言い方を変えると、相手は言葉によって操作させられているように感じてしまうのである。
 こういう場合は、自分で自分の行動、時間をコントロールするように言うことである。そのように養育されなければ、この子は将来、人から指示されなければ自分では何もしない人に育ってしまうだろう。時間の管理を今から子どもに教えていくことが大切なのである。

 

 

 

 

2012年2月18日 (土)

分離不安

 分離不安の人は、過去に家族や恋人、友人など親しいひとと引き離された経験によって、心に傷を受けている場合が多い。そのため、またいつか別れると思い込んで、親しい交際を避ける傾向にある。
 
逆に、そうした悲しみを表に出さず、周囲に人を集め、華やいだことを好む人もいる。しかし一人きりになると急速にうつ状態になりやすいタイプである。
 幼少期に、両親との分離体験があったり、度重なる引っ越しによって、友人との親密な関係を結ぶことができないといった経験が無意識内に貯蔵されているのである。
 夫婦の不仲や、親の病理、失業、倒産等による心的緊張にさらされていることでも、親との親密さを学べないところから、不安定な養育状態におかれることもある。このような状況下で育った子どもたちは成人してから不安や情緒不安定を抱えるのである。
 こうした悲しい体験をした人には、話を聞いてあげることである。励ましや、アドバイスは効果がないばかりか、逆に、人が活き活きと活動していることに、置き去り感を抱きやすいので注意しなければならない。自分の言っていることは常に正しく、ここに居ていいのだと感じられるようになるまで、対話相手になってあげることが必要である。

 

2012年2月17日 (金)

学習

  人間は、学習する生き物である。人は、記憶Aと出会ったとして、次に、記憶A´に出会う。そこでこの両者を比較・研究して定着させる機能が学習である。ところが、
・比較できない
・修正できない
・確認できない
・定着させられない
となったら、進歩とは言えなくなってしまう。人間は、経済、文化、対人関係などあらゆる場面においてそれらを概念化し、分化・統合し、再組織化していく能力を備えている。常に、変化変容を遂げていくのが人間なのである。

 

2012年2月16日 (木)

子どもにやる気を起こさせる言葉

  子どもにはどんな言葉をかけるべきであろうか。子どもには、常にプラスの言葉だけをかけることが大切である。
「たったこれだけ?」とか、「やればいいというものではない」、あるいは「手伝うならちゃんとして欲しい」などという言葉は、事実であっても、子どもは傷つくのである。
 
人はそうした言葉をかけてしまいがちである。言葉一つで、相手を生かしたり、殺したりすることを知っているのに。
 やる気にさせる言葉だけをかければいいのだ、
と親御さんが悟るまで、プラスの言葉だけをかけ続けてください。

 

 

 

2012年2月15日 (水)

成功とは

 失敗と同様、とらえ方一つにかかっている。自分のしたいことができれば、他者が失敗と評価しても、本人にとっては成功である。成功に人は注目するが、「人間万事、塞翁が馬」の例を持ち出すまでもなく、何が成功であるか断言できないものである。
 
たとえ、失敗しても、それが自分でしたことであれば、これを受け容れることができる。成功だけが人生と考えていたら、人生の大半は失敗ばかりとなる。道を間違える、ボタンを押し間違える、言い方を間違える…これらを、どうとらえるかは人間の成長にかかっているといえるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年2月14日 (火)

失敗とは

  失敗とは、一つのとらえ方といえる。失敗を「落ち込み」ととらえるか、「成功の母」ととらえるかで、マイナスにも、プラスにもとらえることができる。失敗とは、外側(他者の評価)にあるのではなく、自分の主観(これでいいのだ)にある。従って、他者の評価は、自分の外側で起きていることと、とらえれば、自分は失敗を恐れなくていいのだと考えるようになる。他者の評価は外に吹いている風ととらえることが大切である。

 

 

 

 

 

 

2012年2月13日 (月)

対応のしかた

 人が、「最近、夫(あるいは妻)の様子が変なのです」という相談事を持ちかけてきたら、どう対応すべきであろうか。 対応のしかたで、話を深めることもでき、切り上げることもできる。
 
話を深めてしまうと、聞き手が、自分の心に踏み込んできたように感じてしまうことがある。
 
相手が、これ以上話すことをストップしたら、聞き手もそれ以上会話を続けないよう心がける。それ以上聞き出そうとすると、相手が心を閉じてしまいまうことになりかねないからである。
 
相手は、話すことでストレス解消しているのだけなのか、自分の問題を何とかしてほしいと思っているのかを、対話の中で判断する必要がある。
 
聞き手は、聞き役に徹することが大事である。核心に触れるのではなく、相手を包み込むようにすることが大切である。それだけで、相手の気持ちは癒されていくのである。

 

2012年2月12日 (日)

コミュニケーション

 人はコミュニケーションの中で生活している。その基本は双方向性である。一方だけが話すのではなく、互いが対等の立場で語り、かつ聞くと形である。テレビ討論は、相手が話し終わらないうちに自分のことを話しはじめてしまう。これでは、自分の意見を並び立てるだけの場になってしまっている。
 
 相手の言った言葉を取り入れながら自分の主張もすることがコミュニケーションといえる。
 
対話の体験がない人は、反論されると、自分が非難されたと受け取り、自論を放棄してしまうか、感情的になってしまう傾向がある。
  コミュニケーションの基本は11。母と子とのコミュニケーションが人生における最初のものである。親密なコミュニケーションは、このときに学習される。それが、恒常性、配慮性、受容性をもって行なわれていなければ、社会に出てから、人と交わることが困難、対人不安を感じる、異性と会話できない、などの悩みを訴えることになる。

 

 

 

2012年2月11日 (土)

人として

 「私にはカウンセラーとしての資質がありますか?」という質問には、「どんな人にも関心を向けられますか?」と聞くことにしている。すると多くの方が、「これは、人間としての資格ですね」と驚かれる。
 
カウンセラーは、相手の語りを傾聴するのが仕事なので、聞き、敬い、支持しながら、相手はどんなことで悩んでいるのかだろうかと知りたくなる。むしろ、ぜひ教えてほしいとさえ、願うようになる。なぜこの子は引きこもっているのだろう、あるいは、今就いている仕事になぜ悩んでいるのだろうか…と関心を向けたくなる。その本人でさえ、なぜ?と悩んでいるので、それを知るためには、やはり相手に聞いていく、という逆説が生まれる。聞いていくと、ある瞬間に、その悩みのきっかけが語られるときが訪れる。それが「到来」するという意味に集約されるのである。

 

 

 

2012年2月10日 (金)

自己主張

 玩具売り場で、男の子と母親との会話を耳にした。子どもはAのおもちゃが欲しい。一方のお母さんは、Bの方がいいという。子どもの選んだ品物には適応年齢5歳と書いてあり、母親のそれには7歳用と印刷されている。母親は「こっちの方が長く使える」と言っている。
 
人間は意味に生きている。この子にとって、幼い時に買ってもらえなかった、友達が持っている…など、その子だけが持っている「意味」である。
 
一方、母親の「意味」は「より長く使える」。この両方がぶつかり合っている。子どもは自分の「意味」をそのおもちゃに見出しているのであって、おもちゃそのものに意味があるわけではない。
 
大人も、この子と同様、その人だけのこだわりを持っている。製品のメーカーにこだわり、食品の産地にこだわり…、それでなければならない、というほどにまでこだわっている。それこそが「意味」なのである。
 
それを大切にしたあげることは、とりもなおさずその子、その人を大切にすることになる。自己主張を聞きいれてあげることこそ受容であり、大人の寛容さなのである。

 

2012年2月 6日 (月)

聞くことで幸せになる

熊谷カルチャーセンター(埼玉県)において、「心理カウンセラー養成講座」が2月12日(日)より、開講されることになりました。
 話を聞いてもらうだけで、人は、癒されていくのです。幸せになっていくのです。日本に導入されて間もないカウンセリング理論ですが、カルチャーセンターの絶大な協力によって、今回実現の運びとなりました。フロイト、ラカン理論を基に、そのエッセンスを伝えてまいります。奮ってご参加ください。詳しくは、http://culture.gr.jpまでアクセスしてください。

2012年2月 3日 (金)

美しい言葉

人は、交流することによって、生きる実感を得ている。人との交流のために必要なものは、言葉だ。日本には古くから、美しい言葉がある。「渡る世間に鬼はない」「万人みな我が師」など、見知らぬ同士が声を掛け合いながら、生きようという心情が吐露されている。美しい言葉を子どもたちにはかけるべきだ。
 人生における、最初の交流相手は両親である。両親の言葉が、その子の人生の指針になる。「人に親切」という言葉をかけて、その子にあたたかな養育をすれば言行一致となる。しかし、父親から、「私の言葉だけを信じろ」と言い聞かされてきた子が、22歳の時にうつ病になっている。子どもたちの心は白紙の心だ。そこに美しい言葉を書き込んであげるのは、大人の役割である。

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