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2012年8月の32件の記事

2012年8月31日 (金)

逃げない

自分の目の前に、いばらの道と、安易な道と両方があったら、いばらの道を選ぶべきであろう。もちろん、危険・法律に触れることは避けなければならない。
 ようするに、自分から逃げないことである。
 逃げることからは何も生まれない。
 いばらの道と思われた道も、自分の剣の一振りで、いばらの姿が消え、花咲く丘の道に早変わりする。そんな場面をたくさん見てきた。
 いばらと感じるのは、実は自分で「それをしたくない」欲求の表れにすぎない。
 自分が作り出している幻想にすぎず、自分の思い描いた幻想におびえているに過ぎない。そうした幻想を粉砕し、自分の本当の姿に立ち向かうことが大切である。
自分とは何か、自分は何のために生きてきたのか、と。その問いを発した瞬間に、人は本当に大人になれるのである。

宣言

選手宣誓や誓いの言葉には、人前で宣言するという重要な意味がある。人が宣言することは自分の欲望である。結婚式などでは、それらが形骸化していることはよく知られていることだ。
 しかし、人が「私はこうする」と言うことは必ず実現する。心にあることは言葉になって出てくるからである。
 礼儀上の会話における「心にもないこと」とは一線を画す。こちらは挨拶であり、語ることは欲望だからである。
 自分はサッカー選手になる、と言ったら親が「そうだね」と言って返事をする。その瞬間に、彼の眼前にサッカー選手になった彼の姿が浮かびあがり、その姿を見て彼は狂喜する。
 その時他者が来て、「無理」「無駄」などと言ってしまったら、彼の夢は無残にも崩れ去ってしまうだろう。ちょうど目の前の鏡がこなごなになってしまうように。
 聞き手はかれの欲望を正確に映し出す鏡である。
 彼の宣言を聞くことは、とりもなおさず、彼に自分自身の姿を取り戻させる方法なのである。
 

2012年8月30日 (木)

褒める

褒められたことがその人の一生を支配する。お前は計算が早いね。君は歌が上手だね・・・。それによって経済学者になる、ならない、歌手になる、ならないよりも、それが一つの核になって将来その子が自分を社会に押し出していく原動力になることだけは確かである。
 親にほめられたことは好きになるが、けなされ、価値観を下げられたことは嫌いになるのだから、親の一言はその子の将来に重大な影を落とす。
 「褒める」ことのできる人は、本人よりも優秀な人である。褒められないのは、その価値を知らないか、その能力が本人以下であることを告白していることになる。
 どんな子にもその可能性を見出し、適確な言葉で評価してあげる人こそ、真の大人と言えるのである。

2012年8月29日 (水)

プラス志向

あるグループサウンズのグループ全員がガンだった、という記事を目にして、彼らの仲間としての絆の強さに驚いてしまった。
 40年以上にわたって同じメンバーがグループを維持していることは珍しいことだが、病気まで共にする必要はない。
 絆は維持しつつ、マイナス面は違う、という区別はつけてしかるべきである。
 よいものを持った者同士が集まるには、プラス志向を持ち続けることである。
 すると、プラス志向の人同士が集まってくる。
 反対にマイナス思考ばかりが脳裏にあると、そういう人だけが集合する。
 友を見ればその人が分かる、というのはその辺の事情を物語っている。

2012年8月28日 (火)

共感

同じ感情を共有することで、人は一体感を味わうことができる。
 悲しみの感情を共有してもらえた時、人は癒される。
 人と感動を共にできた時、その感動は一層深まる。
 人と笑いあうことで、親しみが一段と増すことを誰もが知っている。
 その時、他者がやってきて、いつまで泣いているのか、そんなことで笑うんじゃないなどと言えば、感動は一挙にしぼんでしまうだろう。
 それだけではなく、他者の否定に会う前に、感動することをやめ、そのことに触れないように心がけることになる。こうして感覚鈍磨で、何事にも無感動な人間が育つことになる。
泣きたいときには泣き、笑いたいときには笑い合う、これが人間ではないだろうか。
 感情表出を自由にできる環境にしておくこと。これが健全な人間を育てる第一条件である。 
 
 
 

2012年8月27日 (月)

時間

時の経つのが早く感じるときは、どんな時だろうか。過ごし方を自分で決めた時である。友達と遊ぶ時、食べるとき、話を聞いてもらうとき・・・自分で決めたことを、好きなだけやる楽しさを、人は知っている。
 反対に、いやいやすれば、時の経つことが遅く感じるものである。
 どうしてもしなければならない場合はどうすればいいのだろうか。短時間でもいいから、量を決めてやることである。たとえ10分でもいいから、「この間だけ」と自分で決めることである。
 自分の過ごす時間を自分で決めること、それが主体性である。この時間にやりなさいと、宿題などをやる時間を他者によって決められてしまえば、勉強などが嫌いになるだけではなく、主体性も育ちにくくなるのである。

2012年8月26日 (日)

アルバイト

アルバイトをする子どもは、社会参入に向けての準備中である。ことさら奨励しなくても、彼らは新生活に向かってまっしぐらである。
 彼らは、アルバイトを通じて職場環境、人間関係、上司とのやり取りの方法を学ぶ。
 アルバイト先での嫌がらせが語っていること(君には辞めてほしい)とか、店員同士のいざこざにどう対処するかなど社会体験をしていく。
 もし、アルバイトをしない子がいたとすれば、一度決めた就職先でのトラブルに対処することに困難を覚えるだろう。アルバイトなら、バイト先を変えればいい、と試行錯誤が許されるが、就職先ではこうはいかず、真剣に悩むことになる。
 学生生活との二重生活は苦しい時期だが、必ず終わる、という保証付きだから、自己責任で乗り越えていく。
 このとき親が試験や卒業のことであれこれ口出ししてしまえば、本人の考えとぶつかり合って混乱するだけである。
 不安と緊張の中にいる子どもに対して、温かく見守り、何かあったら援助するよ、というぐらいの心構えを持つことが望まれる。
 
 
 

2012年8月25日 (土)

較べない

子どもを評価するときには、絶対評価によってすることである。友達と較べないことが第一条件である。子どもは、自分は自分である、という主体性を持っていないために、親の価値基準を基に行動している。
 その基準に一貫性と多様性があるとしても、そのように振る舞うことが善であり、それ以外は悪と、子どもはとらえるようになる。
 そこで、子どもは善に従った行動を取ろうとするが、みずからの意志でした行動ではないので、友達のとおりにはいかない。ここから「気おくれ感」が発生し、その結果が親の不評をかうので、気おくれ感が一層募るということになる。
 
 それは、成績の低下、ケガや病気と言う形で表われてくる。
 そうした状態に陥ったときには、子どもの意思を十分に聞くことを心がけることが大切である。
 

2012年8月24日 (金)

好きなこと

自分の好きなこと、それは両親が褒めてくれたことである。趣味、仕事との出会いは、環境が選択の条件であることはもちろんだが、出会った瞬間に、褒められたことがその人の趣味や仕事を一生支配する。
 反対に、けなされたことは嫌いになる。否定、価値観が下げられた、それより勉強だ、などと言われたことには見向きもしなくなる。
 「サッカーに夢中になる」から「サッカー」がとれて、「夢中になる」が残れば、将来、サッカー選手でなくても「夢中になる」という自信がつく。
 自信がつけば、どんな失敗にもめげなくなる。自信に満ちた自分の姿と出会うことになるのである。
 ところが何事にも夢中になれ、と言いながら、いつの間にか親の価値観で褒めたり、けなしたり差別をつけていないだろうか。それも無意識的にである。子どもはそれを無意識的に感じ取り、親の価値観を優先するようになる。
 飽くまでも子どもの価値観に沿った養育をしたいものである。そのためには、承認と称賛、オールOKで対応することが大切な条件である。
 

2012年8月23日 (木)

思い込み

人はだれでも思い込みをする。「あの人は私を嫌っている」「避けている」「好いている」「敬遠している」・・・それは事実だろうか。
 そんな時は、自分が相手を嫌っているのではないかと考えてみることである。自分の一番嫌いな部分を相手の中に見出して、それを嫌っているのではないだろうかと。
 これを精神分析的には「投影」と呼んでいる。自分のシャドウの部分を相手のスクリーンの上に投影して嫌っているにすぎないのである。
 すなわち、嫌いな相手こそ自分自身なのである。
 周りの人たちが自分を避けている、と感じるのも、自分の方が周囲の人たちを遠ざけていることになる。
 それが単なる思い込みに過ぎないと認めた時、はじめて自分自身を理解できるのである。その事実を受容するか、しないか。それは自分次第である。

2012年8月22日 (水)

体の声を聞く

体の声を聞くとは、痛み・かゆみを感じることである。
 それができないことが多い。断ることがなかなか難しい食事会などを思い浮かべていただければ理解が行くのではないだろうか。食事会のたびに、痛みを感じていたら心が崩壊してしまうので、一時的に痛みを感じないようにしているのである。防衛機能である。
これが繰り返されれば、感覚鈍磨になり、病魔が体を蝕むこととなる。
 ひいては、検査のよって体中に病気が蔓延していたという話がそれを物語っている。
 我慢強いのではなく、鈍磨である。痛みを無視してまで世間体を重視してはいけない。自分の体を優先させることである。ワークホリックなども自分の体を後回しにしている例だ。
 子どもたちには、自分で健康管理をさせることだ。「変だったら言ってね」と告げ、報告があったらまなざし向けることだ。
 我慢させず、どうしたの?といって関心を向けることである。こうして子どもは自分の体に関心を向けるようになるのである。

2012年8月21日 (火)

肯定的と否定的

45歳男性の相談。仕事を始めると、コンビニの立ち仕事はもちろん、デスクワーク、運搬作業など何事も30分以上続けることができないという。「どのような状況になるのですか?」には、「体を横にしたくなる」というので、子ども時代のことを聞いていくことにした。
 彼の語るところにによると、中学生のとき、一生懸命勉強をしていると母が突然部屋に入ってきて「そんなに勉強すると体にさわるから寝ろと言われて、布団を敷いてくれた」という。
 私は「それでは、一生懸命やると疲れるのではないかと言う気持ちになりますね」と答えた。
 このように、子どもの行動に肯定的な言葉をかけてやれば、子どもはその行動(この場合は勉強)を肯定的に受け取ることになる。
 しかし、この場合のように否定的な言葉をかけられた場合、子どもはその行動を否定的にとらえることになるのである。
 常に肯定的な言葉をかけ続けることの大切さに触れた例であった。

2012年8月20日 (月)

環境

人がどんな環境の中で暮らしてきたかが問われるのは、会話のときである。
 交わされたひとことの中に、知性に裏付けられた言葉が語られているかが問題となる。
 言葉はその人自身だから、服装や髪形は変えられても、言葉はかえることが極めて困難だからである。
 本人の言葉遣いはどこで、どのようにして習得されて行ったのだろうか。
 その最初は家庭であり、後に学校、職場である。
 両親や周囲の人たちが肯定的な会話をしていれば子どもも人生を肯定的に受け取るようになるが、反対に、どんな言葉も否定的にとらえる両親の間で育てられた子どもは、人生を肯定的に受け取ることができず、困難と苦痛に満ちたものととらえるようになる。
 すなわち、彼は両親の目を通して世界を見ることになるのである。
 「世界はあなたを必要としている」「あなたしかできない仕事があるはずだ」と言える人になるためには、まず最初に、家庭や周囲の人たちがその子を尊重することである。

2012年8月19日 (日)

元気

元気の源は承認と称賛である。人はこれを得るために生きている、と言っても過言ではない。それが得られなかった場合、人は生きる意味を見いだせず、虚しい日々を送ることになる。
 褒める側に立てば、褒めるとは、その人やものの価値を理解できる能力を持っていることになる。褒めるとは、受容と共感・理解ができる人のことである。
褒めることで、相手は生きる意味を見出し、他をさしおいても構わないという気持ちになる。
 元気があれば、一食くらい食事をとらなくても平気である。
 そんなものはありません、と言う人は、いまだ本当に面白いものに出会っていない可能性がある。
 自分の元気の源とは何か、それはどこから生まれてきたのだろうか。そして、それを他者に与えられるくらい感動しているかどうかを考えてみることである。
 

2012年8月18日 (土)

先達

何事にも、よき先輩は必要である。先輩とは、精神分析的に言えば自我理想である。このような人になりたいという想像的取り入れと、このような力を持ちたいという象徴的取り入れとがある。子ども時代は「力」を象徴化できないために、サッカー選手や、ヒーローものとしての姿に自分の理想像を抱く。
 成人後は「想像力」「得点力」などに象徴される「力」を持ちたいに変わっていく。その手本となるのが、父や兄であり、先輩である。自分の先輩としてどんな人物を持ったかによって、その後の人生はまったく違ったものになる。
 周囲にどんな人物がいたのか、それは今日の自分にとってどんな意味をもたらしたのかを考えてみることである。
 ひいては、自分が誰にどのような影響を与えているのかを考えることである。
 徒然草にあるとおり、「先達はあらまほしきこと」なのである。

2012年8月17日 (金)

調子に乗る

公園で、走っている子どもがころんで泣いている。
 お母さんから「調子に乗るからよ!」と言われて、しょげている。
 痛い思いをして、叱られたのでは、彼はあらかじめ、調子を出さないことを心がけるだろう。
 これでは、「調子を上げると叱責される(怖い思いをする)」ことになり、調子に乗ることは「不快」と受け取り、チャレンジしなくなるだろう。
 泣いている時には共感してあげることが大事である。
 危険なことは注意しなければならないが、先回りしてまで注意するのは過干渉である。
 親は、「見守る」ことに徹することが大切である。 

2012年8月16日 (木)

感想

家庭では、肯定的な感想を述べ合うことが大切である。
「試験で満点を取った」「会社の仕事が進捗した」などの語りには、プラスの言葉を返すことだ。
 「次は算数で頑張れ」などと言いやすいが、その結果についてだけ感想を述べるのが原則である。
 主婦は、食材選びに熱心である。家族を思うゆえである。出された食事に、家族が感想を述べることは、食への感謝だけではなく、作った母へのねぎらいにもなる。
 「おいしいね」の感想を添えることは、母への大切なマナーである。

2012年8月15日 (水)

嗅覚

人間の原初的な感覚器官は嗅覚である。生後、視覚、聴覚が未発達な中で、最初に母を見分ける感覚器官と言われている。
 生後3年間、子どもは母の匂いを脳裏にインプットすることで、母と他者との区別をつけている。
 この人は安全で、それ以外は他人であるという区別を、誰から教わるわけでもなく、子どもは勝手につけ始める。
 こうして、子どもは安心と安全を学習するのである。
 この時期、母以外の人がかわるがわる抱っこしてしまうと、子どもは混乱状態に陥る。
 すなわち、この人は安心という、信頼感を学ぶことができなくなる。
 それだけではなく、感覚器官を母に絞ることができなくなり、嗅覚をはじめ、あらゆる感覚の障害を受けて、感覚マヒに陥った例があった。
 「お母さんの匂い」は人間が物や人を区別するための最も大切な感覚と言っても過言ではないのである。
 

2012年8月14日 (火)

個性

個性は個室から生まれる。パーティションなどで仕切られた部屋ではなく、壁で囲まれた「部屋」が個性を育む。リビングから子どもたちの部屋が見渡せる形式では「監視」である。壁が区切ることによって、子どもの個性を育てるのである。
 区切るとは、自と他を分ける、すなわち、自分の存在も認め、相手の存在も尊重することである。
 「あなたの意見は認められない」「受け入れられない」という言葉は、自分の個性が尊重されてこなかったことを語っている。そういう考えもあるのだ、と受容できる人は個性のある人である。
 父、母も、狭くてもそれぞれの個室を持つべきである。誰にも邪魔されず、散らかっていてもよい、自分自身を見つめるための部屋を持つことである。

2012年8月13日 (月)

心の傷

人間は、心が傷付く言葉の中で生きている。大人たちは、それを防ぐための防衛機制を身につけることをいつの間にか学んできた。
 その機制を身につけていない子どもたち、あるいは、弱い立場にある人たちは、毎日のように傷付きの豪雨にさらされ続けている。
 試験、競争、人への配慮・・・彼らは激しい雨の中を、傷を抱えて帰ってくる。
 満身創痍の身を横たえ、手当てをするためには、安心と安全を与える「言葉」が必要である。
 言葉で傷付いたものを癒すものは、やはり言葉でしかあり得ないからだ。
 癒される言葉に出会うために人は家に帰ってくる。
 失敗、失恋、挫折した・・・そんな時どんな言葉を掛ければいいのかと考えている方は、ぜひ相談においでください。

2012年8月12日 (日)

感動

感動とは、人がそれを共にしてくれることによってはじめて、自分のものにすることができるのである。
 喜びの顔や声、動作を相手の中に見て、感動を「美」と受け取る構造になっているからである。
 この繰り返しの中で、人は永遠に感動を求め続けていく。
 このとき、「男のくせに泣くな」「笑うな」などと言われたら、人は感動を否定、恐怖と受け取ることになる。
 彼は、あらかじめ感動しない防衛規制を働かせて、自己愛の傷つきを防ぐことになる。
 こうして無感動、無関心、感覚マヒの人間が作られていく。
 喜びにも悲しみも共感してあげることによってはじめて、感性が養われていくのである。
 感性は生まれつき備わっているものではなく、養育史の中で身につけて行くものである。

2012年8月11日 (土)

事の重大さ

人が語る話には、些細なことと、重大な事の違いはない。「そんなことで悩むな」「気にするな」などと、人は言いやすい。しかし、些細なことに重大な心的葛藤が内在化しているのである。それを相手が聞いてあげられない場合、その葛藤は、後に別の吹き出し口を見つけて一気に放出されることになる。
 些細なことで駅員に噛みついたり、モンスター・ペアレントと言われる人の起こす行動の裏に、両親が権威的で、言い返すことができなかった葛藤が残存しているのである。
 しかし、そのようにして放出しても、本当の両親に対決したことにはならないために、これを繰り返してしまう。
 言い返すことを両親が受け止めてあげることで、自分の意見を言う習慣が形成されるのである。
 「そんな些細な事」の裏にあるものを自覚して解消しておくことこそ、心の健康にとって大切なことである。
 

2012年8月10日 (金)

両親の欲望

人は生まれながらにして欲望を持っているわけではない。生まれた直後から、子どもは両親の欲望のもとに生きている。
 「サッカー選手になってくれれば」「医者になってくれたら」・・・子どもは両親の喜ぶ顔を見たさに、この言葉に従って成長する。
 しかし、後年、両親の欲望と、自分の志向との違いを感じ始める時が来る。
 サッカークラブをやめる、勉強に身が入らないといった形で、それは表わされる。そのとき親はびっくりして、何でここまで育て上げたのに、と思い悩んで子どもと衝突する。
 子どもの方は、自分の意見を持ち始めただけなのにと思うが、親にとっては「反逆」としかとらえられない。ここに親子の確執が生じるのだ。
 人は、最初から自分の意見は持つことができないので、親の意見を一つの「目標」にしていたことになる。両親はそれを汲み取って、自我の芽生え、ととらえてあげる鷹揚さを持つべきである。
 反対に、両親が何の欲望も抱かなかったとしたら、子どもは何を目標としたらよいのか分からなくなり、意欲のない人間に育つことになるのだ。
 両親が欲望を持ち、後に、子どもの主体性を認めてあげること、それによって子どもは健全な成長を遂げて行くのである。

2012年8月 9日 (木)

変える

同じことをしていれば、人は変化しにくいものである。気持ちを変えればいい、とはいうものの、何と言っても環境を変えることが一番である。
 部屋の模様替えをする
 散歩の道順を変える
 ファッションを変える
 読む本を変える・・・
 そんなことでも、必ず何か新しい発見があるものである。
 家具屋では、展示中の家具の配置をしょっちゅう変えている。同じ家具を同じ場所に置きっぱなしにしていると、家具が「死んでしまう」からだと言う。
 今まで出会ったことのない新しい自分に遭遇するためには、自分でも気づかない無意識に光をあてる必要があるのだ。
 こんな自分ではない、このままではいけない、と思っている方はぜひ試していただきたいことである。

2012年8月 8日 (水)

いじめ

滋賀県大津市の中学校でいじめを苦に自殺者がでました。
 いじめには、いじめられる子と、されない子がいます。なぜでしょう。
 それは「言い返せる」「言い返せない」の違いです。
 いじめられる子は普段から「言い返す」ことが禁止されているのです。
 親に向かって自分の考えを言える環境であったかが問われます。
 親に向かって暴言を吐くくらいがいいのです。
 親はそれを、おおらかな態度で受け止めてあげることです。
 それによって、子どもは理不尽なことに対して「いやだ!」と言い返せるようになるのです。
いじめ問題でお困りの方は竹田精神科学研究所までどうぞ。
 

2012年8月 7日 (火)

欲望を持つ

欲望を持てば、その通りの人生を歩むことになる。願望が実現したクライエントの例に接するたびに、人が欲望を持つことの大切さを感じる。
欲望のある人は、生き生きとしている。
欲望が口をついて出てくる。
欲望を実現するための方法はあとから自然について来る、と言う。
欲望が心の奥から突き上げるようにしてあふれ出してくる、とも言う。
一方、欲望のない人は、欲望がないのではなく、何らかの理由によって抑圧を受けていると考えられる。彼らは、欲望を出さないことを学んでしまったのである。
 彼らがそれを口に出すたびに、否定の憂き目に遭ったと訴える。
  自分の欲望を語ることによって社会に迷惑をかけているように感じている。
 抑圧の蓋をとってあげることこそ、カウンセリングの大切な役割である。 
 反面、抑圧の蓋を取ることに、期待と恐れも感じている。
 自分を変えることへの両価性はどんなことにもつきまとうものである。
 マイナスの面を考えず、すべてを肯定的に考えること。これこそ、欲望に正直になることにほかならない。

2012年8月 6日 (月)

第二の風

マラソンを開始すると、汗ばかりでて、呼吸は苦しく、足が少しも前に出ないという時間がしばらく続く。
 我慢して走り続けると、苦しさはいっそう激しくなり、もはやこれまで、という次の瞬間、突然、息が抜けて汗がひき、足が前に出て行く時が訪れる。
 どこまでも走っていけるような気がする時である。これを第二の風(セカンド・ウィンド)と呼んでいる。これは、体中にエンドルフィンが放出されている事を表わしている。痛みを一時的に麻酔させる物質である。
 ところが、疲労が引くとエンドルフィンも消失し、後遺症が残ることはない。
 このため、人間は一時的な苦痛を免れることができるのである。
 麻薬と比べて150倍の効果があると言われているが、麻薬は使用後、後遺症が残ることに比べると、実に便利な物質である。
 苦痛を乗り越える、という点で、セラピーは一緒である。スポーツにおける苦痛が筋肉疲労であるのに対して、人生における苦しみは悩み、葛藤である。それを共に乗り越える手助けをしながら、乗り越えた後には私たちセラピストの姿は消えてしまうのが、セラピーなのである。
 苦痛に立ち向かうこと、クライエントと共に歩むこと、そしてクライエントの自信を取り戻させることがセラピーにおける大切な目標である。

2012年8月 5日 (日)

8か月不安

 子どもは感性だけで生きている。五感の鋭さは大人顔負けである。
 感性は大人になるほどに鈍ってくる。
 感性だけで暮らして行くことは社会生活上困難が生じるからだ。
 持って生まれた感性を、育てていくことは非常に大切である。
 養育者と他人との違いを区別する時期を「人見知り不安」と呼んでいる。
 この頃、赤ちゃんは養育者と他人との区別を付け始める。
 この時、誰にでも抱っこされてしまうと、赤ちゃんは区別ができずに混乱する。
 本当の養育者を確定できなくなり、不安と不信を学ぶことになる。
 後年、この人は自我を確立できないまま、人の顔色を見ながら暮らす人に育つことになる。
 人は、困難に出遭った時に、「母がいつもそばにいてくれて、それでいいのだよ」と言ってくれているという確信を抱く事で、安心感を得ているのである。
 赤ちゃんの時期を「養育者は一人」と決めておくことは、人間として成長して行くための大切な時期ととらえておくことが必要である。

2012年8月 4日 (土)

癒される

 人は、つねに自分が未熟であり、歪んでおり、傷ついているという気持ちでいっぱいである。それがどこから来るのか、何によってもたらされるのかを知り、それに確かな形を与えるのがセラピーである。
 それによって、不安が自分のせいではないことを知るのである。
 ありのままの自分でいいのだ、自分は生きる意味を持っているのだという自信を持てるようになっていく。
その瞬間、クライエントは楽になった、と口々に言うようになる。それが癒されるという意味である。
 発展のためには、自らを知り、癒され、そしてステップアップしていく、というプロセスを経る必要があるのである。
 
 

2012年8月 3日 (金)

趣味

人はさまざまな趣味を持っている。鉄道、料理、写真・・・。人がなんと言おうとその人だけのものや、こと、それが趣味である。他者がなんと言おうと、そのことを考えているだけで、心が満たされ、時のたつのを忘れられること、それが趣味である。
 親兄弟や尊敬する人が持っていた趣味を自分が取り入れている場合が多い。それを模倣しながら自分なりに形をかえたり、工夫を加えたりしながら、尊敬する人を取り入れようとする機制である。
 身近に、豊かな趣味や夢中になれることを持っている人がいたら、幸せなことである。身近にいない場合は、みずからが趣味を開拓するのである。

2012年8月 2日 (木)

打ち立てる

人は、何らかの目標を打ち立てている。「新製品」「新しい自分」「サッカー選手」などなど・・
無意識的に掲げた目標に向かって走っている。サッカー選手のもっている何を目標にしているのかは、無意識ゆえに自分で知ることはできないが、何かある、ことだけは確かである。
 なかなか腰をあげようとしないという場合には、掲げたものがないかもしれない。掲げたものがあれば、人は自然に走り出す。彼の頭には努力しよう、と言う言葉はない。目標に向かって走っているだけだ。苦痛もなく、がんばることもない。目標を持てるかどうか、ではなく、「持つ」という意志こそが大切である。

2012年8月 1日 (水)

人柄

 人柄はどうのようにして判断するのだろうか。それは、会話である。交わす会話の中に人柄は表われる。答えの中に思い遣りの言葉を見出してほっとしたり、聞きたいことを即座に答える敏速さに、感動を覚えることさえある。
 会話においては風変りでなく、穏やかな口調でいながらも、自分の意見も言うべきことは言うことが大切である。
 どんな問いかけに対しても適切に答えることが会話である。
 会話の学習はもちろん家庭である。会話とは相互性だから、親の意見に従うだけが会話とはいえない。子どもが親に向かって何でも意見を言える環境にしておくことである。自分が受け容れられたという体験が、後に、包容力のある人柄を持つ人として成長していくのである。

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