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2014年5月の31件の記事

2014年5月31日 (土)

人間が「美」を「美」として感じる根拠は何だろうか。これはきれい、あれは醜、などと何を根拠に、そう決めているのだろうか。それは、母が「美しい」と言ったものである。その「美しい」ものを基準にしてわれわれはそれを「美」と言ってるのである。夕焼け空を眺めて「きれい」と感じれば、それは母の背中でみた夕焼け空だったのかもしれず、音楽にうっとりと耳を傾けた場合、それは母の子守唄だったのかもしれない。その基準がなければ、われわれは美を美として感じることはできないのである。

2014年5月30日 (金)

味とは何か。それは、快の記憶と結びついた「味」である。誰かと一緒に楽しく食べて「快」を感じれば、その味を「味」として記憶にとどめることになる。それは無意識界にとどまっているため、思い出すことはできないが、「その味が好き」という感覚が覚えている。叱られながら食べたり、食べたくないものを食べさせられれば、その味が嫌いになるのだ。それを想起できなくても「これは嫌い」と言って、箸が進まくなる形で、語っている。食事は楽しく、食べたいものを食べ、言いたいことを言い合える環境の中ですべきなのである。

2014年5月29日 (木)

嗅覚

匂いに敏感な人は、幼少期に、母の匂いを確実に鼻からインプットされた人である。五知覚の中で、もっともプリミティブな感覚器官といわれる嗅覚が発達した人は、嗅ぐから「嗅ぎわける」能力を身につけることになるだろう。怪しいかどうかを嗅ぎ分けられれば、振り込み詐欺に引っかかることはなくなるだろう。もの善し悪し、人の善悪を嗅ぎ分けることだって可能だ。そう考えると、人間の能力は、母の腕に抱かれているときに養われていることになる。この時期に、いろいろな人の手に抱っこされたとしたら、その子の嗅覚はどうなるのだろうか。

2014年5月28日 (水)

テーマ

人は、一つのテーマを持って生きている。しかし、そのことを本人は知らない。知らないままでも生活にはさしつかえはないが、分かれば、人生の「核」になることは確かである。無意識的に「走」をテーマにしている人は、他のスポーツの中でも、純粋に「走る」ことだけに関心があるだろう。世界遺産ならぬ、「奇怪遺産」と銘打って、奇怪な景色だけを世界に求めている人がいる。その人にとっては「奇」がテーマである。銀行員、証券、経済学者などは「金」がテーマとなるだろう。皆さんにとってのテーマは、一体どんな文字が当てはまるのだろうか。

2014年5月27日 (火)

受け取り方

同じものを見ていても、人によって受け取り方は千差万別である。物自体を見ているのではなく、自分自身を見ていることになる。「雨が降っている」という事実を、「憂鬱」ととらえるか、「恵みの雨」と受け取るかは、自分の心次第ということになる。そう考えるならば、人間は、同じものを見てもまったく違ったものを見ていることになる。
 人の語りはそのまま聞くべきであり、聞く側の考えをそこに重ね合わせないことが鉄則と考えて、精神分析はその産声を上げたのである。
 もし誰かが「雨は憂鬱だ」と語ったら、隣人は、「そうだね」と呟けばいいのである。

2014年5月26日 (月)

体は正直

体は正直である。学校に行きたくない子どもは、おなか痛いという「体の声」で、自分を語っている。会社の会議に遅刻する・・・。すべて、体の声の方が素直に自分を語っているのだ。行く、行きたくない・・・その二者択一に決断を下すのは、体の声の方である。「体の声を聞く」ことが大切である。しかし、行かなければならない、という声の方を優先させると、体の声を無視するようになる。丈夫になった、などと周囲も本人も感じるが、マヒしたのである。こうなると、体の声は周囲の声にかき消されて、気がついたら、ベッドの中にいた、とか、全身に菌が広がっていた、という事態に至る。自分をマヒさせてしまった結果である。体の声に正直に耳を傾けること、それが健康な生活を送る秘訣である。

2014年5月25日 (日)

自己主張

自己主張した時にだけ、主体が現れる。主張しない限り、主体はどこにも存在しないのである。自己主張しない子に共通して言えることは、大人しく、たまに自分を語ることがあっても、すぐに自説を撤回してしまうなどということだ。人間は、自分の意見が他者によって認められてはじめて、「自分が生きている」と実感するのである。一つでも否定されれば、崩れてしまうもろいものである。社会や組織の中に居る限り、こうしたことは当然起きがちだが、家庭だけは、子どもの意見が受け入れられる環境にしておきたいものである。そこで、子どもたちはのびのびと自分を主張できるのようになるのである。

2014年5月24日 (土)

菓子

菓子が大好き、という人は、幼少期に甘いものを制限された経験を持っている。それは親から、「虫歯になるよ」といった言葉によって我慢させられている。食べたい、でも我慢した場合、その欲求は将来に持ち越され、大人になってから、甘いもの好きという形で現象化する。しかし、子ども時代に味わったものではないので、失望してさらに食べる。その繰り返しの中で、永遠に食べ続けてしまう構造が出来上がってしまう。子ども時代に味わっておくことで、次の時代にステップアップ出来るのである。フロイトの、「子ども時代はそれそのものとしてはもう無い」という言葉が、いかに真実味をもって語られているかあらためて知る思いである。

2014年5月23日 (金)

節度

欲しいと思っていたものが手に入ってしまったとたんに、そのものに興味がなくなってしまう、そんなことはないだろうか。それが満足である。おなかいっぱい食べれば席を立ったり・・・、同様のことである。そんなとき親御さんは、こどもたちに、せっかく買ったのだから、大切にするように言いがちである。考えればわかることだが、そのオモチャを何年も使い続けたとしたら、そのほうが問題である。体も精神も成長するのである。服を新しくするように、手にするものも、変化していくように、欲望にはきりがないのである。重要なことは節度である。言われたことだけに対応すること、それが節度である。

2014年5月22日 (木)

お気に入り

誰でもが、「お気に入り」のものを持っている。お気に入りの場所、人・・・。お気に入りとはいったい何だろうか。それは、自分自身である。ものも、場所も、人も、すべて自分自身を指している。それは、どこか自分に似ていたりする。愛嬌があり、嫌いで好き、憎むことができず、放っておくことができず、つい手をかけたり、声をかけてしまったりするものだ。その感情は、誰かに愛された証拠である。自分は一体、誰から愛されたのだろうか。その人は、忘却の彼方に行ってしまった「誰か」かもしれないのだ。

2014年5月21日 (水)

肯定

人が痛みを痛みとして受け取るのは、どんな時だろうか。それは、人に共感してもらったときである。人が、怪我をして、痛い、と言った時に、誰かがそばで、「痛いね」と言ってくれた時である。うれしいことがあった時に、一緒に喜んでくれれば、喜びを喜びとして受け取ることができるのである。
 ところが、「我慢しなさい」とか「有頂天になるな」などと言われた瞬間に、痛みや喜びを否定してしまうことになる。人間には感覚をマヒさせる機能が備わっているからだ。こうして、人は、痛みや喜びのない人に育っていく、感覚麻痺という症状を呈することになる。
 痛いときには、痛いね、と肯定してあげ、喜色満面のときには共に喜んであげることで、人間の感覚は正常に発達していくのである。

2014年5月20日 (火)

飽きっぽいひと

何をしても、すぐに飽きてしまう人がいる。つぎつぎと仕事やパートナーを変えている。他者は「もっと続ければいいのに」、「あんなにいい人をなぜ」などと評価する。そうした批評をよそに、本人は一向平気である。反対に、一つのことをコツコツとやり続けている人もいる。その差は何なのだろうか。人間は本来、飽きる生き物である。「今までの製品より、こちらの方が高性能ですよ」とか、爆発的に売れた自動車も、数カ月もすれば売れ行きが鈍る、などという例は枚挙に暇がない。結婚相手でさえも、数年で・・・などと言うことだってあるではないか。その防止のために人間は法律を作った、それでも別れるくらいである。そのように考えると、目先を変えて生活している人こそ、人間的と言えないだろうか。

2014年5月19日 (月)

味覚

美味しい食事は、気持ちを豊かにする。贅沢とは言わないまでも、よい味だけを味わっていれば、まずいものが分かるが、そうでないものだけを食べていれば、舌がその味に慣れてしまい、本当に美味しいものが分からなくなる。乳児や、幼児に母乳や離乳食以外の食べ物などを与えれば、味覚障害になる可能性は極めて高い。戯れにも、そんなことはせぬようにすることである。食事に限らず、音楽や美術など、情緒面の味わいも、本当に良いものに触れさせてあげたいものである。子どもは、親が楽しむことを楽しむからだ。親御さんは子どもにとっての、一番の養育係である。

2014年5月18日 (日)

防衛機制 (1) 抑圧 例(2)

人間が欲しいものは、子どものころに我慢させられてきたもの、ということになる。電車のモデル、人形、ピストル・・・。見れば欲しくなってしまうものこそ、あの時欲しいなーと羨望の眼で見つめていたものだ。しかもそれは、悲しいことに、目の前から奪い去られてしまったものなのかもしれない。そんな意識で考えてみると、人間はいつまでも、子ども時代の夢を追いかける生物なのかもしれない。

2014年5月17日 (土)

防衛機制 (1) 抑圧 例(1)

小学校1年生のときに、やたらに、幼児向きのおもちゃが欲しくなり、親にせがんで買ってもらったという女性の例である。
 普通の親だったら、買ってもらえない、あるいは、違うものを与えられるところだったが、彼女は、すんなりと、買ってもらえたと言う。そのおもちゃは、小さい時に欲しかったが、何らかの事情で得られなかったもである。しかし、買ってもらえたことで、ちょっと遊ぶことで満足し、その後は、過剰なまでにおもちゃを要求することはなかったと言う。もし、その時に与えられなければ、その不満は、将来にまで持ちこされ、おもちゃを買い続けることになるだろう。しかし、そのとき得られたものではないので、また買う、しかし満足はしない・・・の連続だ。永遠ににせ物をつかまされる構造がこうして出来上がる。子ども時代には、子ども時代に味わうべきことがあるのだ。

2014年5月16日 (金)

心の防衛

人間は日々、否定の憂き目に出遭う中を生きている。拒絶されたとしても、「たいしたことない」などと、自分を納得させるすべをいつの間にか身につけているのだ。それを防衛機制と呼んでいる。それをとっかえひっかえしながら、心の崩壊を防いでいるのだ。何かあるたびに、ときに自分を慰めたり、人のせいにしたりしてその場をしのいでいる。ここでは、そうした防衛機制をあげながら、人間がいろいろな苦難をやり過ごす軌跡を見てみることにしよう。
防衛機制の14種類
1)抑圧  2)逃避  3)退行  4)置き換え  5)昇華  6)反動形成  7)補償  
8)男性的抗議  9)取り入れ  10)同一化  11)投射  12)合理化  13)打ち消し
14)隔離


※「カウンセリング理論と実践講座」が開講されます。
○ 深谷カルチャーセンター=一日体験説明会5月20日(火)。本講座6月3日スタート。☎048-551-2211
○ 高崎カルチャーセンター=一日体験説明会5月26日(月)。本講座6月2日スタート。☎027-361-2411
○ 春日部カルチャーセンター=一日体験説明会5月28日(水)。本講座6月11日スタート。☎048-745-7011

詳しくはこちらまでお問い合わせください。

2014年5月15日 (木)

自由に連想する

人の話は、しばしば脱線してしまう。そのたびに「あなたは何を言いたいの?」と怪訝な顔をされた、などということはないだろうか。ところが、セラピーでは、それが許される、むしろ、そうすることを奨励される。人がまとまった話をしようとすると、余分なことや、道徳に反することなどを、省いてしまう可能性があるからだ。それでは、本人が一番言いたいことが伝わらずじまいになってしまうのである。フロイトは、自由連想法を考案し、「心に浮かんだことを自由に話す」ように、クライエントに促した。それによって、本人を苦しめていた症状が消滅することを発見したのである。話すだけで、心が軽くなった、という経験は誰もが持っている。愚痴、不平不満、日頃のうっぷん晴らしをする、人はそうした時間を持つことで、心の健康を取り戻していくのである。

2014年5月14日 (水)

高さの感覚

ある航空機のパイロットから話を聞くことができた。彼によれば、人間の目は、水平の距離感に慣れている半面、高さの感覚に関しては、極めて鈍感と説明している。したがって、パイロットになるためには、距離感覚はもちろん、高さ感覚を訓練することが肝要と言う。その考えからすれば、高いところでも一向に平気、と言う人は、高さ感覚に鈍いということになる。反対に、高所恐怖症気味の人というのは、感性が鋭いと言うことになるのである。そうなると、感性が鋭いことがすごいのか、鈍いことが幸せなのか、一概には言えないことになる。人間には、必要な感性だけが鋭くなるようになっているのである。美や音のセンス、味覚などのセンスは、それぞれの経験や嗜好、立場などの世界で、研ぎ澄まされていった結果なのである。

2014年5月13日 (火)

目標

目標には、短期、中期、長期の三つがある。短期の目標は、今、何をすべきか、であり、中期目標は2~3ヵ月後の目標、長期目標は、将来の夢である。短期目標だけを目指せば、こまごまとした計画だけで頭はもちきりとなり、将来に目が向かなくなる。周囲からの意見・要望も自分を見失う原因となる。そんな中で、長期目標がしっかりと立てられていれば、周りの意見に振り回されることは少なくなるだろう。「我が道をゆく」気持ちである。三つの目標を掲げることによって、人は毎日を活き活きと過ごせるのである。

2014年5月12日 (月)

ヨット

友人のヨットに乗せてもらった。そのまた友人の所有物ゆえ、遠慮するな、という言葉に従う。本当の愛好者は海にひとがいない厳冬期に乗るという。みれば、ヨットの多くは係留されたままである。
 夜中の雨のなか、小舟を操ってサーモンⅡ世号に乗り込む。エンジンをかけたがすぐ止めてしまい、あとは揺れのなかでカップ麺を3人ですする。揺れていれば、タンクの水は腐らないという。
 翌日は快晴。沖に漕ぎ出し、ほどよいところでエンジンをとめる。後は、帆に任せて舵を握る。どうするか。陸地に見える一つの建物だけを見ながら、舵を左右に動かすのだ。車のハンドルを左右に振っている感じだ。聴こえてくるのは、風と波を切るヨットの舷側の音だけ。翌日、近所の人に会った瞬間、「目が澄んでますが、遠くを見てきたの?」と聞かれた。遠くの目標だけを見て過ごす、これが楽しく生きるすべではないだろうか。

2014年5月11日 (日)

優先

レストランやショップで、自分を優先的に扱ってもらえたら、気持ちがよいものである。とりわけ、混雑時はことさらである。また来ようという気にさせてくれる。何かのときには、誰かに同じ対処をしてあげようとさえ思う。
 この対処法を子どもたちしてあげたら、彼らはこう思うだろう。自分だけを見てくれていると。そして、自分はここにいていいのだ、生きていていいのだとも思うはずだ。ところが、反対の対応のもとで育てらた場合、何をしても後回しであり、無視され、排除を味わうことになる。どうせ自分はだめなのだ、認められることはないのだ、と感じて人生を虚しいものと受けとめるだろう。
 社会は、自分を最優先してくれない。してくれるのは家庭だけである。そんな場所に、今日もストレスを抱えて彼らは帰ってくるのである。

2014年5月10日 (土)

一流に触れる

一流のものからは、作り手の心気が伝わってくる。一流の製品、文章、音楽、絵画・・など、何でもよい、触れて見れば、一流のものだけが持っている迫力がこちらに迫ってくる。それを全身で受けとめて対話することである。一流のものに触れると、そうでないものとの差が分かる。後者しか知らなければ、一流の良さは理解できない。絵画は原画を見ることである。色使い、グラデーション、絵筆のタッチ、いろいろな角度から見る。五感を総動員して味わうのである。 その体験は、人生に彩りを与えてくれるに違いない。

2014年5月 9日 (金)

当たり前のこと

私たちがレストランで、「水をください」と要求すれば水が運ばれてくる。メニューのなかの一品を注文すれば、その通りの食事が運ばれてくる。もし、違った品物が運ばれてきたら、私たちは、「違います」と訴えて、正規のものを運ばせることとなるだろう。
 家庭においても、同様のことをするのが原則である。子どもが「ジュースを飲みたい」と言った時に、母の手によってジュースが出されれば、子どもは自分の言葉が「正確に伝わった」ことを感じる。そして、受け入れた母を信頼することになるだろう。そんな当たり前のことが、家庭のなかで一日中なされれば、子どもは、自分の言葉の信憑性を学ぶだろう。「自分が発した言葉は必ず実現する」と言うことを。母への信頼感と、自分を信じる心は、こんな当たり前の対応の中から生まれてくるのである。

2014年5月 8日 (木)

親の褒め言葉

子どもたちは、何をするにも親の褒め言葉を求める。「お母さん、ボクすごいでしょう」「ママ、私かわいい?」と言った具合に、何度も要求してやむことはない。それに答える母の一貫した褒め言葉が返されれば、子どもは、何をするにも、活き活きすることができる。一回言えば気が済む、というものではない。言葉は、言われた瞬間に消えてしまうはかないものだから、繰り返し言う必要があるのだ。考えてみればわかることだが、それは大人の世界にも認められる。子ども時代に十分に褒め言葉が与えらるなら、大人になってから、過剰なまでに賞賛を求めることはないだろう。人間を成長させるもの、それは褒め言葉に如くものはないのである。

2014年5月 7日 (水)

母の言葉

人がどんなに失敗や挫折体験に遭遇しても、何とか生きていけるのは、母の言葉が頭の中に響いているからである。どんな言葉だろうか。それは「それでいいのだよ」などの一言である。その言葉を幼少期から与えられたひとは、どんな目に出遭っても「大丈夫」と感じることができるのである。それを精神分析では、母の言葉の「内在化」と呼んでいる。失敗や挫折体験は、心の大きな影響を残すが、楽しい思い出はさらっと流れてしまうはかないものである。苦しみ、悲しみを乗り越えさせる原動力、それは母が与えてくれた言葉なのである。それは内在化されているために、無意識になっているものである。それを想起させる瞬間が、苦しみに出会った時なのである。乗り越えていこう!と決意させてくれる言葉は、あなたにとってどんな言葉なのであろうか。

2014年5月 6日 (火)

自然

人間も自然の一部と考えれば、人が自然を求めて出かけることは当然のことだ。子どもたちも、自然が大好きである。都心のアパートから、郊外の一戸建てに引っ越した人の話では、自然の中に家があると言った風情、という。子どもたちの生活も一変したと、母は言う。特に、子どもたちのゲームをする時間が激減したと言う。近所の畑で、一日中、虫を捕まえたり、草にさわったりして歩きまわっていると言う。子どもたちは本当の楽しみを知っているのである。それがないからこそ、仕方なくゲームに憂さを晴らしているということになる。大人も子供も、本当の楽しみに出会うことが人生を楽しく過ごすコツと言えないだろうか。

2014年5月 5日 (月)

賞賛

人は、他者の賞賛によって活き活きとすることができる。他者から賞賛された瞬間、人は「生きている」という実感を手にすることができる。自分で自分を褒めればよい、というわけにはいかないのだ。人は自分のことを知る方法に欠けているからである。人間は、他者の賞賛を必要とする構造になっているのである。子どもたちの場合は、ことさらそうである。彼らにとって、親の褒め言葉は必要不可欠である。もし、賞賛がなければ、人は何をしてもむなしい、楽しくない、達成感がないと感じることになる。子ども時代に賞賛をうけた場合、自分で考え、自分で行動し、自分で工夫・改良させていくことを身につけるが、それが得られなかった場合、賞賛の言葉を過剰なまでに人に要求するようになるだろう。適切な言葉で賞賛する、その効用に、そろそろ気がついてもよいのではないだろうか。

2014年5月 4日 (日)

抱かれる

人が野や山に出かけると、「自分が山ふところに抱かれている」感じがするという。人は人によって抱かれることで、生きている実感を得ているだ。都会では得られない「抱かれる」感じを、自然に囲まれることで得ているのである。
 「抱かれる」感じとは、どんな感じを言うのか。それは言葉のない世界を指している。それは、母に抱かれていた時代のことである。すでに忘れ去られてしまった、あの時代に、人はときに、戻りたいと思っているのだ。音に包まれたり、温泉に浸ったりするのも「抱かれる」ことと同じ効果があるのかもしれない。彼らは口々にこう言う。「自然がただそこにあるだけで、私たちは癒される」とも言う。人は、そばに人が居てくれて、語りに耳を傾けてくれるだけで、癒されていくのである。

2014年5月 3日 (土)

何のために生きるか

何のために生きるか、と周囲の人に聞いたところ、「そんなことを考えるな」とか、「アブナイヨ」などと言われた経験を持つ人も多い。何を目標とすべきか、何のために生まれたのか、という問いは、人として「生きる意味」につながる問いである。そうした問いに答えることこそ、周囲の役割である。ところが、周囲は、かえって、この問いを立てた人を「変わった人」と処理している。ところが、こうした問いを立てた瞬間から、人は人になっていくのである。そんな問いを持っている人こそ、成長の人なのではないだろうか。

2014年5月 2日 (金)

目に飛び込んでくるものは、すべて自分自身である。つまり、自分で自分を見ていることになる。「あの人は素敵」と感じた人は自分の鏡であり、巧緻を極めた製品に感動したなら、それも自分自身である。常日頃から、よい人、もの、向上心のある人を目標にしていれば、そういう人や、ものだけが自分の目の前に現れてくるだろう。 
 当然のことだが、その逆も存在する。あの人は好き、この人は嫌い、いま、自分が好きな人、嫌いな人は、いったいどんな人なのだろうか。

2014年5月 1日 (木)

「得意」と「好き」

得意なことと、好きなこととは、どう違うだろうか。得意なことは、簡単に出来てしまうこと、好きなことは、いつまでも続けられること、といえないだろうか。得意なことを仕事にしているのと、好きなことを仕事にしているのとはだいぶわけが違う。得意だからと言ってそのことが「好き」とは限らない。極端に言えば、好きでなくても「得意」なので、それを仕事にしている人もいる。どちらが長続きするかと言えば、好きなことの方であろう。
 ところが、社会は、人が得意としている面だけを見ているだろう。才能、成績、環境…表面に表われた事実は、確かに視覚的にとらえやすい。そのことが逆に、その人にとって本当に「好き」なことを覆い隠していることも考えておかなければならないのである。

※上里・吉川・墨田立花・南砂町に続き、深谷カルチャーセンターにおいて「カウンセリング理論と実践講座」が開講されます。一日体験説明会は5月20日(「火)に開催(本講座6月3日スタート)。詳しくはこちら☎048-551-2211までお問い合わせください。

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