承認
役所で判を押してもらうことで、その実効性が保障されるように、人は自分の話に同意してもらったときに、承認を得たように感じる。話を聞いてもらえたことで安心感を得るのだ。「桜が咲き始めたね」という自分の言葉に対して「そうだね」と言ってもらう、ただそれだけのことでいい。人に同意してもらえたか、もらえなかったかの差は大きい。朱い判を押してもらった気分だ。子どもたちは、みずからが発見したことを、逐一母親に報告する。虫が飛んでいた、誰かが公園に居た、あれが欲しい、これが欲しい、学校に上がったら、中学生になったら・・・などを聞き続けるお母さん方は大変である。その話に同意してあげること、それによって、自分という存在が浮き上がるのである。これが存在証明だ。聞いてもらうだけでいい。批評やこちらの意見は不要だ。判をただ押すように、黙って聞いてもらいたい、それが子どもたちの願いではないだろうか。
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