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2016年5月の31件の記事

2016年5月31日 (火)

素直

素直な子は、いじめられず、敵はいないし、叱られることもないので、一見問題ない子に見える。彼らはそうすることで、その身を隠し、目立たず、迷惑をかけず、人から感謝されることだけを生きがいにして生きている。それが周囲からの賞賛を得るので、ますますよい子を演じざるを得なくなる。その一方で、いじめられても苦情を言えず、我慢することが自分の本分と感じてしまいがちである。その時の我慢は、後年、一挙に噴き出すことになる。それでも我慢し続ければ、青年期や中年期になって再び噴き出すことになる。何事も、早期発見・早期治療が望ましいのである。

 

2016年5月30日 (月)

振舞う

明かるかった高校生の娘が、元気がなくなったので心配、という相談である。クラス委員をやり、新聞部にも所属して、他のクラスとの友達も大勢いて積極的にかかわっていたと言う。この少女の場合、明るく「振舞おう」と無理をしていたと考えられる。そうすることが周囲から賞賛され、自己愛も高まるからである。それはいつか疲れてしまうことが多い。それは本心からしているのか、振舞っているのかの見極めが大切である。

 

2016年5月29日 (日)

夢中

夢中になるとはどういうことだろう。それは中断されなかったことを意味する。あなたがもし、何かに夢中になっているとき、そばで「することをしてからだ」、「体に悪いよ」、「早く寝たほうがいいよ」などといわれたらどう感じるだろう。「うるさい、黙れ!」と言えれば「夢中」になれたはずである。ところが、その言葉を「自分への助言」と受け取った場合、夢中になりたかった欲望は無意識にとどまり、そのときの葛藤が邪魔をして夢中になれない可能性がある。夢中にさせるためには、相手の行動をそっと見守ることである。そう考えると、「うるさい、黙れ!」と言える子は、将来、何かに夢中になれそうである。

 

2016年5月28日 (土)

経験談

新聞記事などで、「私はこうして苦境から脱出した」という経験談に接して、発奮するより、落ち込むことが多いのではないか。気後れ感がそうさせるのである。添えられている写真など見ると、余計そう感じてしまうだろう。相談を受けた人がしがちなのが、自らの経験談である。聞く方はその時だけ元気が出た気がする。しかし、後になってから、「あれ?」ということになりかねないのは、相手との距離が離れすぎているためである。成功した人には、成功した人だけのやり方があり、落ち込んでいる人には、その人だけのやり方があるということを前提に聞く必要があるだろう。

 

2016年5月27日 (金)

美の基準

私たちが絵を見て「美しい」と感じるのはなぜなのだろうか。絵を見て、説明を聞いて美を感じるのは、視覚と聴覚とがくっついているからだ。その起源は幼少時代にさかのぼる。絵を見ていた時、「なんて美しいのだろう」とそばの誰かが言った時、子どもは絵とともに、「なんて美しいのだろう」という言語が頭の中にインプットされる。美の基準が形成された瞬間である。後年、絵に接した時、頭の中に「なんて美しいのだろう」という言葉が響くのだ。それが感想である。私たちは幼少期の経験の反復をしているのである。そしてそれが最も大切なことでもある。

2016年5月26日 (木)

こだわり

人にはその人だけの「こだわり」がある。ある人は洋服にこだわり、別の人は靴に、それぞれこだわっている。まったく価値観の異なる人同士が出会っても、それぞれの話がかみ合うことはまずないと言ってよい。趣味が違えば話すことは何もないのである。ではどうやって、お互いが理解しあえるのか。それは、相手が、「私は○にこだわっています」と言ったら、「そうですか」と傾聴するだけでよい。ただそれだけで、相手は理解されたと感じるのである。「ただそれだけ」が難しいこともまた、真実である。

2016年5月25日 (水)

自信

多くの方々が、自信がないと訴える。反対に、「自信がある」という人の話も、詳しく聞いていくと、それほどでもなかった、という場面にも出会う。自信はどのようにして持つことができるのか。それは他者からの承認と賞賛の量と質にかかっている。成功したことも、失敗したことも全てを褒めてくれることが前者に相当し、後者は、賞賛の言葉の真実性によって形成される。賞状などの表面に印が押されていることで、その効力が発揮されるように、自信は他者の承認を必要とするのである。子供たちは、親からの承認だけが支えなのである。

2016年5月24日 (火)

立ち位置

人の意見に左右されやすいのが人間だ。せっかく勧めてくれたから・・という相手への配慮性が、その言葉を言わせるのだ。その結果、よかったと感じることは少ないのではないか。健康器具、スポーツなど、誰かの指示に従っても、続かないのはそのためだ。ところが、「あなたに勧められた健康器具を使っていますよ」と報告しても、「そんなことをいいましたか?」などと相手に怪訝な顔をされたりもする。私たちカウンセラーは、クライエントに命令・指示することはない。あくまで本人の意志を尊重する。じっとあきらめず、あわてることなく待ち続ける姿勢こそがカウンセラーの立ち位置である。

2016年5月23日 (月)

無駄

一見、無駄と思えることのなかにも一利あるものだ。たとえば、眠るのに、畳一枚あればそれでよいというものではない。余裕も必要である。家の中に、花が一輪活けてあれば、目に安らぎを与える効果もあるだろう。考えてみると、私たちは、無駄のなかで寛いでいたりもする。子どもたちの、無駄と思えるような遊びも、大切なことなのかもしれない。

2016年5月22日 (日)

避雷針

人間はイライラすることがあると、つい誰かにうっぷんを晴らしてしまいがちだ。うっぷんは一度は放出しないと心にたまってしまうからだ。ところが、放出された相手は大変である。兄が弟に当たったり、犬に当たったりする。その弟や犬もカーテンを破いたり・・どこか避雷針がわりを見つけなければならなくなるからだ。いつか、どこかにうっぷんを晴らす方法を講じなければならなくなるだろう。

2016年5月21日 (土)

競争

自分の価値はいったいなにか、と考えるとき、人はいつの間にか他人と比べている。私たちは長い間、そうするように仕向けられてきた。1点でも高得点を、1秒でも速く・・。その通りにしたら、褒められたりもした。反対に1点でも低ければ、周囲を悲しませたこともあった。競技などはその典型だ。試験などで、99点を獲得しても、周囲から残念だ、などと言われたりもした。こうして人間は、いつの間にか競争社会に送り出されてきたのだ。科学技術は競争があればこそ、発展してきたともいえるのだ。ところが、それだけが人生ではないでしょう、と訴えている一群の人々もいるというのに。

2016年5月20日 (金)

決める

私たちが服を買おうとするとき、それは自分で決めたものだと思いがちである。よく考えてみると、テレビタレントが着ていたものだったり、友人がお洒落に着こなしていたものかもしれず、コマーシャルで流していたものだったりもする。しかし、それを意識してしまうことは厳しく遮られている。意識してしまうと、自分がいかに影響されやすい人間かということが、私のプライドをいたく傷つけるからである。そこであわてて自分で決めようとする。すると、選ぶセンスがない虚しさが襲ってくるのであわててタレントの某を出す・・といったことを繰り返す。そうこうするうち、自分で決めたと思い込みたい私が勝利を収めるのである。こうして選んだ品物で身の回りを固めているのだ。そのことにも気づきたくないわたしがいる。

2016年5月19日 (木)

焦点

何事でもそうだが、趣味は自らがやってみないとわからないものである。毎週末は、秩父線沿線では鉄道写真ファンが車体にカメラを向けるのに余念がない。毎日見ている側にとって、車体は田園風景に溶け込んで新鮮には見えないのである。そこで試しにカメラを車体に向けてみて驚いた。車体が迫力あるオブジェとして迫って来るのだ。対象だけに焦点を絞ることを「切り取り効果」とよぶのだそうで、景色を消去した結果、車体だけがファインダーいっぱいにひろがったのだ。焦点を絞る、的を絞ることを学んだ瞬間である。

2016年5月18日 (水)

移動

痛みが移動する、などと人は訴える。左肩の痛みが引いたと思ったら、右肩、それが済んだと同時に背中が・・といった具合に。実は、全ての部位に痛みが存在していたのである。人間は二つ以上の痛みを同時に感じることができないので、痛みが移動していくように感じるのである。肉親の死と、お金を落としたショックを同時に感じることができないようにである。人の身の上に、問題が立て続けに起きたとすれば、その根本になにかがありそうである。

2016年5月17日 (火)

名前

名は体を表す通り、「薔薇」の漢字も、薔薇の花びらの姿そのものである。私たちの名前も、自分自身を表現していると言えないだろうか。名付けられた子どもは、その通りに生きようとする。それが自分の目標と一致すればよい。名前が自分に何を命じているかは、親の無意識になっているので、親の本当の目標を知ることは難しいかもしれない。

2016年5月16日 (月)

同時

家々の門の前のバラが、美しく咲き誇っている。聞けば、手入れが大変だという。虫の駆除、病気の予防などで、手入れの毎日だという。虫を見つけようとすると、花を見ることができず、花に見とれていると、虫を見落とす、といった具合で、人間は二つのものを同時に見られないのです、と語ってくれた。 人の顔に見とれてしまうと、心が見えず、能力に惚れてしまえば、人物が見えなくなることもあるかもしれない。

2016年5月15日 (日)

花は、自分で持つより人に持たせる方が美しく見える。女性の腕に抱かれて、花は一段と美しく見える。昔から「相手に花をもたせる」などという。自分が目立つより、その美をめでている方が、もっと楽しめるのではないだろうか。幼少時代から両親に褒めて育った子は、周囲の賞賛を得たり、目立つ行動にはでないもの。それは、何か良いことをしたり、せいかをだしたときでも、頭の中でお母さんの「よくやったね」という声がこだましているからだ。そうした声が聞こえない子は、周囲から声をかけてもらうことになるのである。お母さんの声が一番なのである。なぜなら、その言葉は本物だからだ。

2016年5月14日 (土)

「あの人には華がある」などと言う。「華」とは一体何か。「美」とも「魅力」とも違うもの、それは何なのか。「華」をもっている人の心にあるものは何だろうか。「美」は美そのものであり、「魅力」は、人を引き付ける力である。「華」はただそこにいて、訴えたりもしない。ではその人の心にあるものはいったい何なのか。それは言語である。心のなかにプラスの言語があれば、自然に顔に現れてくるのものである。お釈迦さまはそれを「和顔愛語」と言った。

2016年5月13日 (金)

料理の仕上げは、盛り付けである。私たちは料理を舌だけではなく、目でも味わっている。料理にふさわしい器の色、大きさ、デザインなどにこだわる。独身時代に鍋から直接食べていた人も、配偶者や子どもができるようになれば、食器に配慮するようになるものだ。食器など何でもよい、気にしないという人は、器に思い入れがなかったり、誰かから押しつけられた器なのかもしれない。たとえ安価な食器でも、自分で求めればまた食事の味も変わってくるはずである。

2016年5月12日 (木)

実感

人間はどのようにして、喜びを実感するのだろうか。それは五感を通してである。「会社で成果を出した」という「聴覚」だけでは満足できず、「賞状」で「視覚」化し、「触覚」で触れ、賞状の香りをかいだりしているのである。受賞の喜びを噛みしめるというのも、味覚が関与しているのかもしれない。そう考えると、金メダルを噛んだりする理由も分かるのである。

2016年5月11日 (水)

待つ

レストランなどで順番を待たされてうれしい人はいないだろう。同様に、われわれは今日まで、待たされ続けてきたのではないだろうか。「遊びたい」と訴えても、「受験が終わってから」、とか、「こんな仕事をしたい」という要望に対して、「学校を出てから」などと待たされてきたはずである。待っても待っても、次々と「待て」の壁が立ちはだかったのだった。気がつけば、待ちくたびれている私がいる。店の列の最後尾で待たされる悲しさは、こんな体験がそうさせているのではないだろうか。

2016年5月10日 (火)

趣味

人はそれぞれに趣味を持っている。それらの趣味は、多くの場合、両親や兄弟がもっていたものである。われわれは最初からそれらをもって生まれてきたのではない。それらは、先を行く人たちの、いわば真似をしているのである。少し経つと、その範囲は交友関係にまで広がっていく。自分が趣味を持つきっかけを与えた人が、どれだけ存在するかが課題である。大人になったわれわれも、子どもたちの手本になっている可能性は大なのである。

2016年5月 9日 (月)

愛着

子どもがおもちゃを握ったまま寝ている姿を大人が見たとき、そこに感じるものは何だろうか。それは、モノへの愛着ではないだろうか。それが奪われたとしたらどうなろだろうか。子どもは「ボクのおもちゃはどこ?」と言って探し回るに違いない。大人になるということは、奪われたことを「なかった」ことにしてしまうことではないか。この繰り返しのなかで、大人は欲望を持たないことが「よいこと」だと言い聞かされてきたのかもしれない。

2016年5月 8日 (日)

人はなぜ旅に出るのか。それは、非日常を体験するためである。風景、グルメ、空気など、五官を総動員して非日常を感じるためである。映像は視覚だけであり、レストランでは味わいだけである。風習や言語など、すべて総入れ替えさせることこそ旅の醍醐味だ。旅から帰って最初の一言が「やっぱり家が一番」などというのも、非日常の刺激と安心を物語っている。子どもたちが、「やっぱり家が・・・」とつぶやきながら帰ってくるような家庭が好きなのかもしれない。

2016年5月 7日 (土)

機嫌

人間の機嫌のよいときはそう長くは続かない。ある時は不機嫌であったり、ある時はいらいらしているのが人間だ。もし、ずーっと笑ってばかりの人がいたら、こちらも用心深くなるだろう。いつも怒ってばかりの人と同じように、近づくのをためらうかもしれない。怖いのは、怒るときが「いつなのか」、「何がきっかけなのか」という予測不能なときだ。空模様の場合は、「燕が低く飛べば雨」などとおおよその見当がつくが、人間の場合、いったん怒りだしたら大変である。もしも、子どもが、いつ怒鳴られてもおかしくない環境のなかで暮らしたとしたらどうなるか。その子は、空模様を眺める農家の人と同じように、人の顔色だけを見て育つことになるだろう。

2016年5月 6日 (金)

メンテナンス

クライエントからの報告である。初めて家の外柱の表面にペンキを塗ったのだという。作業に際して、コンクリート床への養生など、素人にとっては苦労が多かったという。聞く側は、作業の手順をすっかり覚えさせていただいた。彼は、その翌日から、みずから塗った柱ばかりが気になって仕方がないという。あの部分、この部分、輝きが違う…といった具合だ。語る彼の顔が輝いている。それがモノへの愛着である。自分で苦労したもの、手に入れたものへの愛着は、格別なものがある。

2016年5月 5日 (木)

目標

秩父地方には、「龍勢祭り」という伝統行事がある。椋神社近くの場所で神社に奉納するために、手作りのロケットを空高く飛ばす行事である。毎年10月の行事のために20を超える団体が、それぞれロケットを一年かけて製作するのだ。発射してからの滞空時間は1分にも満たないが、それぞれ趣向を凝らしたロケットが空高く飛んでいくのである。「龍勢会館」には、その工程が分かりやすく展示されている。人はこうして、自らの目標を掲げ、それに向かって考え、準備し、結果を出すのである。近い目標、中くらいの目標、遠い目標をもてるかどうかが、私たちの課題ではないだろうか。

2016年5月 4日 (水)

気づき

人は、語りながら自分で気がつくことがある。よくあることだが、ちょっと聞いてくれませんか、などと相手に相談を持ち掛けておいて、語りながら、「そうだ、こうすればよかったんだ」などと自分でうなずき、聞き手をそこに残したまま、勝手に立ち去って行く場合がそうである。なぜ自分で語りながら気づくのか。それは、自らが声に出して語ることで、自分の声をもう一度聞くことになるからだ。そのとき語り手は一人の他者になるのである。そのときに大事なことは、語り手は聞き手を必要とすることである。もし、相手がいないまま勝手に語っている人がいたとするならば、ちょっと怖いかもしれない。

2016年5月 3日 (火)

伴走者

「人生は山あり谷あり」などと人は言う。それは、谷を過ぎた結果、山の頂きに立っている人の言葉かもしれない。精神的な谷間にいる人にとって、その言葉はあまりにも高すぎるように感じられるだろう。成功した人の言葉が、こちらにとって「なるほどな」と思えても、それはほんのいっとき。後になってから、さほど心には響いてこないことが多いものである。しかし、そんな憧れの人生に触れたい気持ちも一方ではあるだろう。人が自分の話を聞いてもらうとき、相手はどんな距離にいるのが望ましいだろうか。「こんな方法もある」などと提案するのでもなく、「自分にもそんなときがあった」などと、昔の話を持ち出すのでもなく、伴走者に徹する態度でいてくれるのが最も良いだろう。そばに寄り添うだけで、語り手はずいぶんと癒されるものだからである。

2016年5月 2日 (月)

お茶

人はなぜお茶をするのか。家ではなく、カフェなどでお茶を飲むのはなぜなのだろうか。カフェのテーブル上には何もない。せいぜいメニューか、シュガーといったものだけが存在するのみである。それらが二人の会話を邪魔することはない。二人の間にあるのは時間、空間のみである。あたかも茶室で向かい合う主人と客のような静謐な時間だけがそこにあるだけだ。どちらからともなく会話は開始され、果てるともなく続いていく…。それにしても、このファミレスに満ちている会話のかまびすしいことはたとえようもない。老境に入った人たちが最後に目指すのがお茶室、というのもむべなるかな、である。

2016年5月 1日 (日)

拘束

人は拘束されることを嫌う。しかし、相手は人を拘束しているとは感じていない。身近なことでは、赤ん坊が母を拘束することである。24時間、いつでもどこでも子供は母に要請してくる。そのとき、母が子供に拘束されていると感じるか、要請に応えているかと感じるかである。後者の考えなら、母は自分が必要とされていると感じるだろう。前者の考えなら、自分が拘束されていると感じ、子どもを疎ましく感じるかもしれない。この子を育てているのは自分だ、と受け取ることができれば子どもだけではなく、他者からも自由になれるのである。

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