学び
学びたい、という欲望はどこからくるのだろうか。日常生活のなかで、子どもたちは、「どうして?」「なぜなの」と答えを求めてやむことはない。その源はどこにあるのだろうか。そう考えると、大人は鈍感になっているかもしれない。大人もかつて、なぜ?と、大人たちにくいさがっていたのではないだろうか。いつのころからか、そんなことは聞くものではない、とか、はしたないなどと言われてきたのかもしれない。問いかけてはいけないという言葉が、私たちの質問のふたをしているのかも知れない。そんなこと、あんなこと、はしたない、くだらない・・蓋の意味さえ明かされないまま、気がついたら、自分も同じことをしているかもしれない、いや、しているに違いないのだ。