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2018年2月 7日 (水)

演ずる

人間はたくさんの仮面をもち、時と場合に応じその中から最もふさわしいと思われる仮面をつけて自らを演じている。男がネクタイを結んで背広を着るのは、ちゃんとしたサラリーマンを演じるためであり、カラオケルームで歌を歌うのも、その歌手になり切って演じているのである。女の子たちにカメラを向ければ一瞬ファッションモデルのようにポーズをとってくれます。彼女らは普通の女の子であることを一瞬捨てて、モデルを演じているのだ。その時ばかりは素の自分のままではいられない。家庭ではどうか。父を演じるだけではなく、夫も演じ、親と同居していれば子も演じなければならない。芝居の一人二役などという役の数ではない。いったい素の自分はどこにいるのだろうか。

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コメント

素の自分なんて
見た事ありません
一体何処にいるのでしょう

素の自分とは、『星の王子様』の一節、「大切なものは見えない」を思い出させますね。

演じるすべてが素の自分であり、素の自分以外になれるものはありません。
素の自分以上に演じられないから
役者をするときは演出家がつくし、周囲の人と擦り合わせ
この人はどんな人か?と話し合うのです。
子どもの前の自分も、職場の自分も、素でいられなかったら、そこにいる人はいったい誰なんでしょうか?
とても不思議です

よい気づきですね。素の自分はいません。わたしたちは、相手の要請にしたがって役を演じています。時にはやんちゃな仮面も楽しいものですが、もし、「良い人」の仮面だけで生活したら、つらいかもしれませんね。

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