声
友人から電話があった。友人の声や話し方の調子が変わっていた。おそらく、自分も変わっているはずだ。かつての自分の話し方を聞いているかのようだった。数年前、人から「断定的な言い方をするようになった」と言われたから変わっっているのだろう。電話口の向こう側にかつての私がいて、こちら側にも私がいる。不思議な一分間であった。
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友人から電話があった。友人の声や話し方の調子が変わっていた。おそらく、自分も変わっているはずだ。かつての自分の話し方を聞いているかのようだった。数年前、人から「断定的な言い方をするようになった」と言われたから変わっっているのだろう。電話口の向こう側にかつての私がいて、こちら側にも私がいる。不思議な一分間であった。
新幹線の車内で、頻繁に席を立つ人がいる。同行の奥さんらしき人のゴミをしょっちゅう捨てに行く。その男性と会話する機会があったので、話しかけた。「マメでいらっしゃるのですね」。その返事は「腰痛持ちなのでいつも立って腰を伸ばすようにしているのです」。人はいつも、自らの思い込みで相手を見ているのである。
上越新幹線に乗って一番驚くのは、東京駅からのスピードの遅さだ。東京-大宮間の曲線の多さのせいである。
ところが、大宮駅を出るころには振る舞いを一変させ、猛然とスピードを上げる。この速さが本来と知りつつ、それまでの遅さがかえって速さを際立たせる。熊谷以北はこれが当たり前である。
慣れとは恐ろしいもので、会話もゆっくり語っていたかと思うや突然テンションが上がるということがある。
会話とは、そうしたテンションの上がり下がりにしっかりとついていくことなのであろう。
この世には自分と似た人が三人いるといわれる。自分とそっくりな人と出会ったことのある人の話では、半分懐かしく、半分何とも言えない気分だったという。それを両価性という。愛と憎しみである。
無意識のなかで最も自覚できない感情である。
誰さんに似ている、と言われたときの不思議な気分である。趣味・好み・ファッション・我が子・日本人であること・・この両価性に人は一生安心と不安を抱き続けるのである。
人間の歴史は断念の歴史である。足が遅いことでスポーツ選手への道は断念し、不器用さのせいで、設計士の道は最初から断念させられてきた。思いつく限りの手立てをすべて出し切った最後に、人とは比べられない自分だけの生きる道が発見できる。
店の店員の対応もあまり過剰であれば負担に感じられ、素っ気なければ不満というわけで、ちょうどよい対応を受けるのはまれかもしれない。
母親の子供への関心も、過干渉であったり、無関心であったりして、こちらも、ちょうどよい、が難しい。程よい関心とは、子供が言ってきたことだけに対応することだ。
言ってもいないことをしてしまい勝ちである。「あなたのためだから」が本人のために言っているのかどうかを見極めるのは困難である。どちらかの欲望に委ねることを、相手を尊重するというのである。
乗っていた電車の運転席の窓ガラスに亀裂が入り、駅員が大集結してガラス窓の応急措置に余念がない。幸い怪我人もなく運行にも影響がなかったが、駅員たちの活き活きとした対応が印象的であった。ハプニングをきっかけとして、心のなかの何かにスイッチが入ったかのようである。
私たちの生活もまた小さなハプニングの連続ではないか。子供が傘もささずにびしょ濡れで帰宅しても、それは病気や怪我という重大事件につながらないための息抜きかもしれないのだ。
普段当たり前と思っていることが当たり前でなくなることがある。天井から雨漏りがする、飼い犬が脱走する・・その時はじめて天井をしげしげ眺め、脱走しないための工夫を施したりする。しかし、戦争が起きる、災害がくることなどを想定することは難しい。それを平和ボケというのか、平穏というのか。
母親の手は魔法の手だ。そこからは何でも出てきた。料理を作る以前から、母乳を出していたし、子供たちの服の穴は見事な熊さんのアップリケに変身させることができた。宿題はきれいすぎる文字で完成させてしまう、そんな手であった。玉手箱のような手の中でわれわれは生き返り、活力を得てきた。しかし、いつのころからか、われわれはその楽園から追放されたのだ。それがよかったのか悪かったのかと言えば後者である、と思い込みたい。
人は日々の仕事に追われて、将来が見えにくくなっている。将来のことなど考える余地はない。こんな時旅にでるのもよいだろう。身一つ、カバンひとつの旅。風景と会話するしかない状況で、ひとは否応なしに「今」から目を逸らされてしまう。
そのとき、旅先の土地に住むことを考えたり、土地の人の人生に我が身を置いてみたりする。そこで考えることは「自分とは何者か」である。
気がついたら定年を迎えていたという以前から旅にでるのも一案かもしれない。
時刻表を片手に旅の途中の男性がいる。帽子と小さなカバンを席のテーブルに置き、停車駅ごとに鉄道路線図をマーカーペンで丹念に塗りつぶしている。今日という日にこの駅を通ったという足跡を記しているのだろう。それは四国巡りの姿にも似て、マーカーの色でいっぱいになることを楽しみにしているようにも見えた。
急ぐでもなく悠々たるすがたからは、働ききったという悠揚たる態度が感じられる。
ふりかえって、自分には足跡というほどのものが残せただろうか。功績などというものがあっただろうか。忸怩たる思いである。
私たちの考えは浮かんでは消えを繰り返している。何が自分の人生の核なのかを判断する間もなく暮らしてきた。
たくさんの考えの中の何が将来に向けての自分に生きるための核になるか、人に向かって語っていたかもしれないのだ。
そうした語りはしばしば相手から否定されるようなはかないものだ。「考えるな」「くよくよするな」「あなたはこうすべきだ」といった言葉が私を考える世界から引き離す。
考えなくなった引き換えとして記憶力だけが賞賛されてきたのかもしれない。
雨が降れば、一日家から出なくて済むと思い、天気でもカーテンを閉めきって仕事をしようと思う。自分はインドア派なのか?一歩外に出ればそこは広告と呼び込みの文字や喧騒の世界がどこまでも広がっている。
私は一人になりたい、そして気持ちの合う人とだけ会話したい。時間があれば昔の偉人や天才たちの遺作だけに触れていたい。
われわれは、小さい時からいろいろな役を担わされてきた。学校時代は「起立!礼!着席!」と大声で言うだけのクラス委員として使われ、会社では社員として、昇格しても上司として・・・使われ続けてきた。
使われるのはまっぴらごめん、と退職しても、庭の雑草取りに追われ、なんだ一生追われているのか、と気づくのが人生の最終章のときである。序文のときに気づけばよかった。
日々の生活は誘惑に満ちている。今の事務所の周囲は飲み屋でグルリと取り囲まれているので、夜、出張から帰るときはたいへんである。
隣は立ち飲み屋のオーナーの西郷さん、反対側は深町さんが店の奥から熱い視線を送ってくるので、なるべく下を見ながらシャッターを開けて階段をとぼとぼと登っていく。
いったん事務所に入ってしまえば、視線も音もない静謐な空間が待っている。
旅の楽しみは「食」という人もいるだろう。「歴史」という人もいるだろう。本当の目的を「食」や「歴史」に置き換えているのかもしれない。
非日常の世界に身を置くためでもよく、仕事から離れる、一人になる、なんでもよく、目的は人それぞれでいいのである。
小説家は旅行先の一部屋に閉じこもって本を書く。私たちの旅の目的はいったなんだろうか。
「信じてもらえないと思いますが・・」某運動部の監督の記者会見における最初の言葉だが、彼は何を訴えているのだろうか。人が人を信じることについて言っているのである。
バリ島やインドに行った経験のある人は口々にいうのは、「彼らは本気で神の存在を信じています」というものである。
われわれはどれだけ疑い続けてきたことだろうか。監督の弁はもしかしたら私たちの弁かもしれない。
グルメ情報誌には、注文してから料理が運ばれてくるまでの待ち時間が明記されている。多くの人は待たされることに抵抗を覚えているのだ。自分の注文が後回しにされる、・・お兄ちゃんなんだから・・などの理由とともに待たされた過去の記憶の再現・・とまではいわなくても、待たされるのは嫌なものだ。
注文した初めてのスマホの入荷に待たされたが、少しも苦痛ではない。今の携帯電話が気に入っているからである。あまつさえ、契約に行くのも渋っている。相手を待たせてしまっている。
人間の経験することは、ほんのわずかである。書物の中の経験談は、全てが未知のことだらけである。その一文ごとに、読者は驚嘆しながらページをめくっている。
同様にクライエントの語りも、聴き手の経験し得ないことだらけである。こちらの経験など何の役にも立たないことを知っておくべきである。そこで語られることは、どんな書物にも書かれることのない、迫力と新鮮さに満ちている。
聞き手は感動し、共感することで、語り手は自分の歩んできた道が正しかったことを確認するだろう。そして、これから歩んでいく道もまた、間違ってはいないと確信するのである。
私たちが手にしたものは欲望ではない。それを手にした瞬間、欲望は跡形もなく消え去ってしまうからである。泣き止まない赤ちゃんが母の乳首を口にした瞬間、ぴたりと泣き止むのもそうである。
同じことを大人も経験している。欲望はそれを得た途端になくなってしまうのだ。子どもたちが果てしもなく「あれが欲しい欲しい」と叫び続けるのは、数日前から与えられなかった欲望の集積かもしれない。
隣の空き地から、ボールを追いかける子どもたちの声が聞こえてくる。周囲はすでにたそがれ時だというのに、ボールが見えるらしいのだ。彼らはかすかな街頭の明かりをたよりに、軌跡を予測することができるのだろう。その集中力、没我の心を、かつて私たちも持っていたはずである。
趣味とは、それを考えると、三度のメシよりも楽しいというものである。ゴルフ好きな人は電車の車内でもゴルフ雑誌から目を離さず、某新聞に食い入るように目を注いでいる人にとって、馬の名前は目にも鮮やかに飛び込んで来ることだろう。
子どもたちが食事の時間を忘れて遊びに没頭しているのを、親は早く食べてなどと注意するが、果たしていかがなものだろう。
習慣とは恐ろしいもので、食べ方の早い私などは、よく注意を受けるが、本人には全く反省の色がない。それは家と仕事場とが一緒という家庭環境の影響であるかもしれない。
ところが、場所によっては周囲の人よりもゆっくりと食べることがある。その差がどこから来るのかはいまだに不明である。
受けとり方は人によってさまざまである。宴会が盛り上がった、といっても、一部の人たちだけの感想かもしれず、同席の人も、その雰囲気に慣らされていただけかもしれない。
すべての人に共通の感想などないのだろうか。
セラピー場面ではその感想がぴったり一致する瞬間があるのである。それを「共鳴」という。共鳴した瞬間、感動は二倍に、苦しみは半減するのである。
これを言うと相手がどう感じるだろうか、と気にしながら私たちは暮らしている。その生活を続ければ、自分がなくなってしまう恐れがある。反対に、自分を出せば相手が傷つくこともあるだろう。
どちらが本人にとって健康な生き方かといえば、後者である。言いたい放題、したい放題という生き方は動物と一緒である。一緒にいる人たちはたまったものではない。
それにならって、自分の健康のために、時には、自分を出すのも必要ではないだろうか。そこで、人はときにカラオケボックスに出かけるのかもしれない。
人は生まれたときから、家庭という風土の中に暮らしてきた。温かい風土、文化的な風土、競争だけがすべてという風土・・・人は否応なくそうした中で暮らしてきた。
幼い子どもの心に、風土という文化が書き込まれてきた。それが肯定的なものであるとか、ないとかに関係なく、家庭の価値観の中に、曝されてきたのである。
私独自の文化を書き始める前からである。私は私の風土を創りたい。
言葉で相手を尊重してあげることを思い遣りという。「老けたね」、「背中が曲がっているよ」、「お前は何て〇〇なんだ」…そうした言葉の前で、私たちはしばしば沈黙させられる。
「事実を言っているんだ」の言葉が私たちに追い打ちをかけてくる。お世辞を言ってほしいというのではない。誰もが思い遣りの言葉をかけてほしい、それだけを願いながら暮らしているのだ。
人と人との交流に欠かせないのは言葉遣いである。相手の言葉を聞きながら、どう反応すべきかを考えて返事を返す。単純なようで、高度なテクニックを要する。こちらの意見を優先すれば、相手の機嫌を損ねるだろう。ただうなづいているだけでは、自分の意見がないと思われそうだ・・・などと考えている間に、相手の言葉はどんどん積み重ねられていく。その流れに身を置きながら自分を差し込まなければならない、この知的作業をいつ学べばいいというのだろうか。
私たちは常に「人の目」を気にしながら生きている。いったい「人の目」とはいかなるものなのか。それはどこの、誰からの視線なのだろうか。
いかにして飲食店の店員に嫌われず、なおかつ客としての威厳を示しつつ料金を払うか・・・誰も見てはいないと知りつつ、そう考えて行動してしまうのが人の目の仕業である。
人の目を気にしなければ、傍若無人になるだろうし、気にし過ぎれば卑屈になることだろう。何ごとも調味料のように程度というものがありそうである。
寛ぎとは、肯定である。自分はここにいてよいのだ、何を言っても否定されることはないのだ、という安心感を肯定という。何を言っても「無理」「無駄」「たいしたことない」といわれてしまう環境のなかでは、子どもは息苦しさを覚えることだろう。
一度しゃべらなくなるとなかなか口をきいてはくれない。親が何か言っても「うるさい」としか返事が返ってこなくなる。
反抗しているうちは、「僕はここにいる」と主張していることになる。そんな場所は家しかないのだ。言えない子どもたちはいったいどこで主張しているのだろうか。