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2018年10月の31件の記事

2018年10月31日 (水)

調整

人と会話するとき、片方が多弁になると、もう一方が寡黙になる。それは無意識のうちに調整し合っているからである。二人とも寡黙であってもそのことが行われて、どちらかが多弁になるのである。それは親子の場合でも同じで、両親が先に話し出すと

子どもは寡黙になる。その結果、うちの子はちっとも喋らなくて・・と嘆くことになる。子どもに語らせたかったら両親が寡黙であることだ。こうすることがいかに難しいことかは、両親が一番よく知っているのである。

2018年10月30日 (火)

郷愁

私たちは何かにつけて郷愁を抱く。見るだけではない、匂いを嗅いでも何かを思い出す。そうだあの頃のあの匂いだ、と思い出すこともある。子供の頃、地面に寝転がって家族と遊んだ時の思い出かもしれない。なぜ人は郷愁を抱くのか、それは生きていた証しがそこにあるからだ。そうだとしたら、未来像を抱けば実現するかもしれない。だから人は郷愁を抱くと同時に未来を語るのかもしれない。

2018年10月29日 (月)

会話

電車の車内で二人の男性が会話をしている。「どうしてそんな遠くに引っ越したの?」。相手が答える。「始発駅だから」。「だったら他の路線だっていいじゃないか」。「近くに妹が住んでいるから」。「私にも妹がいるけど近くには住まないよ」。「妹は体が弱くて」。「医者に行けばいい」…こうして話は否定され、相手の話に取って代わられ、最後は説教で終わるという悲惨な会話になっている。人と人との会話はこんなに悲惨なものだったのかと、久しぶりに電車に乗って分かった。スムースな会話はいったいどこに存在するのだろうか。

2018年10月28日 (日)

警戒

人間の体はいつも警戒体制にある。心臓・肝臓・胃・・私たちの体はそれらを常にチェックしメンテナンスしている。それを感じないのはそれが無意識になっているからである。もし異常が発生したらSOS信号を出す、それが症状である。それをすぐにキャッチできれば軽症で済むが、無視すればあとで重症化してくる。子どもたちもいつもシグナルを送っている。お腹が痛い、頭が痛い、目が痛い・・それが何を表しているかを正確に読み取れたら、子どもたちは健康な毎日を送れるに違いない。

2018年10月27日 (土)

感想

感想は聞かれたときだけ言うことが原則だ。感想を受け入れる態勢になっているときに言うべきである。相手が「良い天気だ」と言ったとき、そうだねとだけ言えばよい。ところが、「これから雨が降るかもしれないぞ」などと感想を言えば、語り手の感想が打ち消されることになる。もしかしたら、自分の気持ちが晴れているからそういったのかもしれないからだ。傘を持っていくべきかと聞かれたら、そのときに自分の感想を言えばよい。相手が何を言わんとしているかを感じる心を思い遣りというのである。

2018年10月26日 (金)

記憶

われわれの記憶はあいまいである。昔の記憶、上司の指示、友達との待ち合わせ時間や場所…そうだったかな?と思うほど相手の言ったことと自分の記憶との齟齬が生じている。その原因はストーリー作りである。自分に都合のよいように書き換えているのだ。そうすることで、叱られたことも、失敗も思いださなくて済むからだ。もしすべての記憶を正確に覚えていたら、前に進めなくなることだろう。どうすればよいのだろうか。

2018年10月25日 (木)

気分

天気が良ければ喜び、雨が降れば気分が沈んだりするのが人間ではないだろうか。気分が左右されているのは天気のせいだろうか。気分を悪くしている原因は他にあり、それを天気のせいにしていないとは言い切れない。空模様のせいにしておけば自然は何も感じないが、子どもや仕事のせいにしていれば、当の本人はいつまでも「自分のせいで相手の気分を損ねた」という罪意識がのこるだろう。せいぜい天気のせいにしておくことで、四方丸く収まっているのかもしれない。

2018年10月24日 (水)

父の役割(2)

父のもう一つの役割はブレーキをかけることである。子どもが喧嘩をすれば、そのくらいにしておくようにという審判を下す。それも父の役割だ。そのことから、子どもは節度を学ぶ。子どもはまた、父に審判してほしいのである。試合における審判員の役目を果たすことだ。このばあい、厳しすぎたり、片方に肩入れしてしまえば依怙贔屓になる。父は公平・中立の立場で両者の意見を聞き、審判を下すことである。それも冷静沈着にすることは言をまたない。

2018年10月23日 (火)

父の役割(1)

父の役割は、目標を与えることである。「かく生きろ」と言葉で伝えることである。子どもは何になればいいか目標を持てないでいる。子どもの心に父の言葉が挿入されて子どもは生きる意味を見出すのだ。父とは生きる意味である。大事なことは、その目標に向かう姿を父が自らが見せることである。それによって言葉と目標が一致するのである。

2018年10月22日 (月)

想起

青空を見て、人が思うことは何か。よい天気だということだけだろうか。ある人は出かけたいと思うだろう。さあ洗濯だと思う人もいるし、東京オリンピックのことを思いだしたり、2020年のオリンピックと重ねて想像を膨らませるひともいるかもしれない。同じ事象に接しても皆が同じ感情を共有することはないのである。できたとしたら、意見の食い違いも、理解してもらえない悲しみもなくなるのだろうか。反対に自分の考えがすべてわかってしまったとしたら、それもそれで怖いことになるかもしれない。理解してほしい、でも理解されたら困る…そんな動揺の中で私たちは暮らしているのである。

2018年10月21日 (日)

ピンチ

ピンチをピンチととらえるか、チャンスととらえるかで人の意識は変わる。本人は深刻であるが、現在の窮地を語り、正確に知ることが必要だ。それを認識するためには、聞いてくれる相手が必要である。相手に語ることで、今の事態を冷静に受け止めることができるからだ。そのとき、自分がいま置かれた状況を客観的に見ることができるのだ。一度自分の頭の中からその事実を出すことである。それも詳細に、何度でも、さまざまな面から語ること、それを、「語りつくす」のである。そのとき、一条の光明が見えてくるはずである。

2018年10月20日 (土)

イメージ

モノを買うときや車を運転するときでも、われわれはイメージをもちながらしている。こんな服が欲しい、とか、運転している車の速さをこの辺で緩めればコーナーをスムースに曲がれるだろう、といった具合に、イメージしながら生活している。最初にイメージがあって、次にそれを実現していっている。それを抱くことができれば、願望は必ず実現していく。実現しないとは、その力が途中で途切れたこと。それがいつ実現するかというと、あきらめず持ち続けることである。それがイメージする力である。

2018年10月19日 (金)

自己主張

子どものわがままを、わがまま、ととらえるか、自己主張ととらえるかで、子どもの成長は変わっていく。自己主張しない子の方が問題である。わがままを言わない子は、自己主張を放棄させられた歴史を持っている。子ども時代の経験は大人になってからも続くからだ。人前で説明しようとすると緊張する、何を言ってよいかわからなくなるというのは、子ども時代の名残かもしれない。それらをどうしたら改善することができるだろうか。

2018年10月18日 (木)

包容力

自分の考えと相手のそれとが一致したときの喜びはたとえようもない。自分を理解してくれたと感じる瞬間である。自らの考えが間違いではなかった、そう感じていてよいのだという安堵感でもある。子どもの考えを親が承認してあげることで、子どもは自信がついてゆくのである。「僕が歩いていたら犬が近寄ってきたよ」とか「新しいお店が開店したよ」というたわいもない話を承認してあげるだけで、子どもはうれしいのである。そうした親が承認する能力を包容力と呼んでいるのである。

2018年10月17日 (水)

価値観

同じものを見て、複数の人が同じ感情をもつことはない。天気一つをとってみても、天気続きをうれしいと感じる人と、傘の業者などは雨を待っているかもしれないからだ。贔屓の野球チームが勝ったとしても、贔屓の選手がそれぞれ異なれば、二人の間には微妙な違いが生じるだろう。人間は大雑把な感覚を共有しているに過ぎない。二人の感覚が一致することはないのだ。それでも相手を知ろうとする努力だけはする価値はあるに違いない。

2018年10月16日 (火)

味わう

人間はものを味わうとき、文字も同時に味わっている。コーヒーを飲むときは、缶やメニューに書いてある原産国やメーカーの名前を見ながら飲んでいる。その向こうにある風景や、メーカーの印象なども一緒に味わっている。ブラインドテストなどでなかなか正解が出ないのも、そんな作用が働いているのかもしれないのだ。そんな名前などすべてなくしてしまったとしたら、きっと味気ない世界が現出するかもしれない。人間は舌だけでなく、あらゆる感覚を動員して味を楽しんでいるのである。

2018年10月15日 (月)

想像力

子どもたちはモノを何かに置き換えて見たりする天才である。女の子は、野の花を集めて赤飯に見立てたり、つなぎ合わせてネックレスにするだろう。男の子は石ころを並べて自分の領地を示す境界線にしたり、これが隕石だったらと見立てるかもしれない。花や石を何にでも変換する能力を想像力という。ただの花、単なる石ころではないのである。それを親が承認してあげることで子どもたちは自らの想像力を高めていくのである。

2018年10月14日 (日)

学習

われわれは言葉をもって生まれてきたのではない。人間の言葉は親の言葉を反復することで学んだものである。子どもが片言で何かをしゃべったとき、親がそれを正確な言葉で反復する。その繰り返しの中で子どもは正確な言葉を覚えてゆく。その姿は英会話教室そのものだ。こちらが英語で発音すると、教師が正確で美しい英語を返してくる。それをこちらが再生する。英会話を習うように、私たちは日本語を学習してきたのである。

2018年10月13日 (土)

まなざし

上野動物園のパンダ舎の前には長蛇の列ができている。シャンシャンに会うまで40分かかると立て看板に書いてある。待つ間、立派なカメラを肩にかけた初老の男性が誰に話すともなくつぶやいている。「6回も来たのにいつもシャンシャンは寝ている・・・」。しばらくスマホのパンダ情報をのぞき込んでいるうちに「今動き出した!」などとつぶやく。彼のまなざしは、一日中パンダに向いているのだ。人には、それほど夢中になることがあるだろうか。それをもつことを周囲は推奨する、その一方で、そんなことに夢中になるなとも言う。それは本人にとって本当に好きなことなのに。

2018年10月12日 (金)

自然

人は人に向かって話をするだけで、気持ちが楽になるものだ。話をしているだけなのに、それだけで人の心は癒されていくのである。それだけで気持ちが変わるのですか?という質問をされるが、こちらが耳を傾けているだけでそうした気持ちになるのである。そして自然に振る舞えるようになる。そのとき、話をしたという記憶はなくなってしまうのである。ちょうど擦り傷が治ってしまえば、傷はどこだったかわからなくなるように、跡形もなく傷は癒されて本来の自分に戻れるのである。それを自然治癒力と呼んでいる。

2018年10月11日 (木)

不安

人はいつも不安を抱えながら生きている。死への不安である。その一方で自分だけは大丈夫という思いも抱いている。台風が来ても我が家だけは難を逃れらるだろうという思いである。そのどちらも同時に抱えているのが正常。前者だけではなにもしなくなるだろう。後者だけでは能天気と言われるだろう。両方あっていいのだ。備えを怠りなくしながら磐石の構えでいることが大切である。

2018年10月10日 (水)

向き合う

スマホは多くの人たちの必須アイテムだ。スマホが手放せないのは、いつでもこちらを向いているからだ。スマホはいつでも相手になってくれるし、答えてくれもくれる。相談にものってくれれば、無聊をかこってもくれる。その答えが正しいかどうかはともかく、とりあえず私だけに向き合ってくれるのである。一方、人はどうだろうか。自分に向き合って、どうしたの?と聞いてくれるだろうか。自分が生きることで精いっぱいなのが人間ではないだろうか。批判も否定もせずに反応してくれる人が一人でもいたらどんなに幸せなことだろうか。

2018年10月 9日 (火)

声は勝手に相手に届くものである。パーティーなどで遠くにいるから聞くことはないだろうと判断してその人のことを話していると突然「私のこと?」などと当の相手から言われたりする。自分に関係したことだけは耳聡くキャッチする能力があるらしい。反対に、都合の悪いことは聞こえない。人は自分だけの周波数をもっているようである。人は自分のことが大好きだからである。壁に耳は確かにあるのだ。

2018年10月 8日 (月)

言葉

言葉は大切に使いたいものである。ちょっとした一言で相手が傷つくことがある。言った本人さえ気づかない一言であるかもしれない。一方で、さりげなく言った一言で相手の顔がぱっと明るくなることがあって、何と言ったかそれも思いだせないことがある。そんな場面を招き寄せてしまうためにはどうすればよいのだろうか。

2018年10月 7日 (日)

見る

見ると食べたくなるのが人間ではないか。食欲がなくても気がつけば食べている。誘われればお酒を飲んだりもする。「そこに山があるからだ」と言った登山家の言葉は真実だ。そこに目をやるからである。街に出れば食べ物の広告が私たちの目に飛び込んでくる。帰宅しても食べ物が目に飛び込んでくる。事務所にいれば平気である。食べ物がないからだ。お茶ばかり飲んでいるから体重がみるみる減っていく。油断して一歩外に出れば牛丼屋の店先には「割引券発売中」の文字が私の目に飛び込んでくる。しまったと思った時にはもう遅い。カウンターに座って注文している自分がいる。ああ外に出なければよかった。

2018年10月 6日 (土)

お気に入り

人にはそれぞれ「お気に入りのもの」がある。お気に入りの指輪、スイーツ、子どもにとってはおもちゃ、ぬいぐるみなどである。他者には些細なものでも本人にとってはかけがえのないもの、それがお気に入りである。そのものには感情が詰まっている。その人だけが抱いている思い出である。一体いつの、どんな時に抱いたものなのだろうか。

2018年10月 5日 (金)

目標

人はいつも無意識的に目標を掲げている。近い目標、中くらいの目標、遠い目標の三つである。近い目標は子どもたちにとっての受験である。中くらいのは就職、遠いそれは自分探しである。多くの場合、人には近い目標しか見えない。現在の成績が振るわなくても、将来偉大な仕事や能力を発揮する人も多い。今の能力が劣っているからといって今の状況を否定することは意味がないどころか有害でさえある。人間の能力は無尽蔵。その中から人は何を発見するのだろうか。発見する方法とはいったい何か。

2018年10月 4日 (木)

こだま

声をかけても返事がないときの虚しさは幽霊と対面しているかのようである。子どもたちが母親に向かって何度も「ただいま」を繰り返すのもうなずける。母の口から発せられる「お帰り」の返事を要求しているのである。レストランでも店員は返事だけでなく、態度、まなざしもプラスしなければならない。さらに、買わないことをこちらから告げたときの店員の失望した態度にも耐えられる自分でありたい。

2018年10月 3日 (水)

捨てる

衣類を捨てがたく感じている人も多いのではないか。上着は自分の体を思わせるし、ハンカチは自分の汗をぬぐった痕跡を見てしまうからである。それは想像の産物だと言ってしまえばそれまでだが、本人にとっては重大なことである。体型も汗のあとも全てが私自身だからだ。古い服や靴下は次々に捨ててしまおう。なぜなら、古い私はもうそこにいないからだ。

2018年10月 2日 (火)

心の豊かさ

複雑な表現をたった1・2文字に閉じ込めてしまうものが文字である。必ず守ること、では説明が長くなるので、「約束」と詰めてしまう。しゃべったことを他の人にしゃべらないでほしいことを「秘密」と圧縮する、それが文字の役割である。文字がなかったら、われわれの話は長くなってしまうだろう。「冗長」と」「迂遠」とは異なるのである。言葉の豊かさが人の心の豊かさである。

2018年10月 1日 (月)

依存

私たちの生活のほとんどは他者に依存している。食欲さえもである。共に食べる相手に好意を抱いていればなおさらだ。一緒に飲んだり食べたりすると、食欲が進むことがある。それは相手の顔の上に美味しさを映し込んでいる。つまり依存しているからだ。一人で食べても食事が進まないのは相手がいないからである。子供も誰かと一緒に食べたがっている。それも大好きな母と共に。

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