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2018年11月の31件の記事

2018年11月30日 (金)

部屋の片づけ

子どもたちが部屋の片づけをしない、というママさんたちの悩みも多い。「ママが片してしまうから子どもたちがしなくなるのだ」とパパが言うが、それが正解なのである。ママは待っていられないのである。あるブティックの店長の話である。彼が閉店後、ゴミ箱のゴミを集めるのを毎日の仕事にしていたのだが、店員は少しも手伝わない。それどころか、店長が集め始めると店員が「ハイ、店長!」といってゴミの袋を差し出してきたという。驚いて「皆にやってほしいのだが」と言ったところ、店員が口をそろえて「エッ!この仕事は店長以外の人がやってはいけないものだと思ってました」と言われたという。思い込みである。それ以来、店員に任せるようにしたという。どちらが先にやるか、先にやった方が「負け」である。

2018年11月29日 (木)

冷却期間

子どもたちは学校や友人関係のストレスを抱えながら家に帰ってくる。すぐに宿題に取り掛かれないのは、冷却期間を置いているからである。職住接近の大人でもそれがある。ある人は自宅そばの会社から帰宅後、リビングルームに来れずにしばらく自室にこもっていたという。大人はそうした余裕の時間をもつことができる。会社帰りに立ち寄るお店や施設があるが、子どもたちにはそれがない。子どもたちはそんな冷却期間を家で過ごしているのだ。そのことをそっと見守ってあげたいものである。

2018年11月28日 (水)

過去・現在・未来(3)

音楽を聞いているときの過去・現在・未来はどうなっているのだろうか。音を聞いたとき、ほんの少し前に聞いた音が耳に残っていて、差を感じながら聞いている。その音はあっと言う間に消えるが、同時にその後にくる音を予測している。予測通りの音が聞こえた瞬間、われわれは心地よいと感じるのだ。その音を聞いた瞬間だけ美を感じるがそれも束の間、音は次々と連続して聞こえてきて同時に流れ去ってしまうのである。われわれは一瞬一瞬の音の連続の中に身を置いているようなものである。もし、音が一粒ずつバラバラに聞こえたとしたら音楽を楽しいとは思えないだろう。

2018年11月27日 (火)

過去・現在・未来(2)

私たちが絵を見ているときの過去・現在・未来の次元はどうなっているだろう。花の絵を見ている私(現在)は、いつ画家はこれを描いたのかを考えており(過去)、この花はその後どうなったのか、を想像しながら(未来)見ていることになる。こうして私たちは一枚の絵を見ながら自分の心象風景を見ているのである。

2018年11月26日 (月)

過去・現在・未来(1)

私たちは過去・現在・未来という三つの次元を生きている。例えば言葉。誰かが青空を見て(過去)、さわやかな(現在)と言ったとすれば、その後に続く言葉は、天気だね、と言うはずだ(未来)という予測を立てながらこちらは聞いている。言葉がきれいだと感じるのは、この三つの次元がスムースにつながっていることを表している。相手が「天気だね」と言ったあとにこちらはどんな言葉を継ぎ足せばきれいな会話になるだろうか。

2018年11月25日 (日)

選択

人生は選択の連続である。朝起きる、起きない、はもとより、何を着るかでさえも選択している。結婚するかしないか、相手をだれにするかも選択だ。出掛けるときに無意識的に右足から出すかどうかだって無意識的に選択している。ある団体ではメンバー全員が、左足からスタートさせることが義務づけられているくらいである。あのときあの人と結婚していたら、あれを買っておけば、あの本をとっておけば、人生はまた違ったものになっていたかもしれない・・・選択したのは私自身だったのか、誰だったのか、決めている第三者がいる。

2018年11月24日 (土)

景色

一日中カーテンを下した部屋にいると一日があっという間に過ぎ去っていく。洗濯物を干しに事務所の屋上に出た瞬間、すぐ目の前を新幹線が走り去っていくのに驚いてしまう。ああ駅前に住んでいるのだなと実感させられる。あたり前のような生活に喝を入れられた気がする。人間はときに道を間違え、失敗し、普段しないことをすることで目を醒まさせられるのかもしれない。さて、明日はどんな景色に出会うのだろうか。

2018年11月23日 (金)

愛着

今私が乗っているクルマは、まず雨漏りがする、オイルは漏れ出す、警告灯はあちこち点滅する、走行中ミシミシ音がする、上から部品やネジが落ちてくるのである。それでも健気にエンジン音だけは気持ちの良い音を響かせてくれる。そのうち走りながらバラバラになってしまうんじゃないかという気持ちもないことはない。。でも愛着は強く抱いている。このように愛してやまないものが一つでもあれば幸せではないか。誰にでも愛着のあるモノの一つや二つあるはずである。それを聞かせてほしいものである。

2018年11月22日 (木)

自動

最新の電気自動車はアクセルから足を離せば自動回生ブレーキがかかって完全停止するようになっている。コーナーを曲がるときも平気である。安全・快適であることは間違いないが、自分で考えることがさらに少なくなる。もちろんブレーキペダルも横に装備されてはいるが、アクセルから足を離して止めるか、ブレーキを踏むかで混乱するだろう。いずれそれが当たり前の時代になって行くだろう。それよりも心配なのは、自分で考えることが少なくなっていくことである。

2018年11月21日 (水)

負荷

地球上の空気のほとんどは窒素。組成のうち酸素は20%にしか過ぎない。肺が一生懸命呼吸しているのも当然である。もし酸素が多ければ肺はその機能を低下させていくだろう。重力のおかげで筋肉が発達していくように、私たちは適量の負荷がかけられていることで機能を高めているのである。その負荷も重すぎれば過剰であり、少なければ怠けにつながるのかもしれない。私たちは微妙なバランスの中で日々を送っているのである。

2018年11月20日 (火)

基準

私の夕食は多くが立ち食いソバである。店主に売れ筋を聞くと、お客の8割がソバを注文するという。ウチの売りはうどん、とも嘆いている。四国が本店の店だからだ。関東のお客はうどんをほとんど食さないという。本人が得意だからといってその商品が売れるとは限らない。私たちも得意なものを仕事としているわけではない。それを表すのが適正検査である。検査という数値化によってそれが自分に合った仕事と思いがちではないだろうか。そこに人生の落とし穴が潜んでいる。何を基準に自分の仕事を選択すればよいのだろうか。

2018年11月19日 (月)

不足

完璧に育てられた人はいない。長女として両親の寵愛を一身に受けても、夢のような時間は第二子の誕生とともに奪われることになる。第二子も同様に、第一子に愛を奪われていたりするだろう。二人いれば差は必ず生まれるのである。一人っ子も、両親は仕事などに愛を向けており、自分にだけ愛を向けてはいないと感じるのである。しかし、その愛情欠損部分を埋めるために友達を作ったりすることになる。不足が私たちを外部世界に目を向けるようになるとは何とも皮肉なことである。

2018年11月18日 (日)

天気

「良い天気も悪い天気もないのだ。晴れている、雨が降っている、それだけだ。」気象予報士の言葉である。人間の気分も同様にいつも機嫌がよいとは限らない。私たちはつい相手の表情に一喜一憂してしはいないだろうか。相手が考え事をしているだけなのに、こちらが勝手に相手は機嫌が悪いと思い込んでいるだけなのである。したがってこちらは自分の考えを言えばよいのだ。しかし、いつも私たちが欲しているもの、それは母の笑顔ではないだろうか。

2018年11月17日 (土)

記号

41


建物の入り口などに「×」と書いた立て札があれば、われわれは入ることをためらう。その記号は「ここから入れません」と書いてあるに等しい。それが記号の役割である。われわれはそれを読み、考え、その指示に従っているのである。たった二本の線が人間を行動を決定づける。言葉のない動物はお構いなしである。幼い子どもも同じである。すなわち言葉の限界が行動・思考の限界である。言葉を豊かにすることは精神生活を豊かにすることになるのである。

2018年11月16日 (金)

感性

広告を見て購買欲が刺激されることは多いものである。モデルを使った映像や音楽に接すると思わず買ってみようかと感じるものだ。従来品より優れた性能、などと言われると、今までの品は何だったのかと思うより先に欲が走ってしまう。時代に遅れたくない、新しいものに興味があるという満足の世界かもしれない。何を購買の基準にしたらよいのか。それは自分の眼と感性に委ねるしかないのである。それに失敗したとしてもその経験が感性を磨くことになる。感性とは切磋琢磨の中で磨かれていくものなのである。

2018年11月15日 (木)

影の存在

セラピーを受けているうちにクライエントの生活が自然と改善されていくことがある。「なんとなく楽になりました」とか、「あまりくよくよしなくなりました」」などとクライエントが言うのである。その場合、改善の原因はあくまでも本人の努力の成果である。その瞬間にセラピストの姿は消える。ちょうど演劇が終われば、鳴りやまない拍手を背にして楽屋口から姿を消すような人物なのである。表舞台には決して立つことのない存在、それがセラピストなのである。

2018年11月14日 (水)

笑顔

嬉しいことがあれば人は笑顔になる。その起源はどこにあるのか。それは幼いころ母がふと私に笑顔を向けてくれたことにあるのではないか。その瞬間、私は笑顔を返したと信じたい気持ちにかられて仕方がない。母自身はどう感じていたのだろうか。いつも機嫌が良かったとはいえない。それにもかかわらず、私たちは人に会えば笑顔を向ける。その相手こそ、今は会うことのできない母に笑顔を返しているようなものである。

2018年11月13日 (火)

季節

ふと気がつけば秋が一段と深まっている。花柄の半袖シャツもロッカーの中でその出番を長袖のシャツに席を譲っている。ずっと半袖で暮らせたらと思っても、きっとその人は単調な生活を送ることになるだろう。常に変化しているのが人間である。その変化を趣味や生きがいにつなげればいいのだが、病気やケガに置き換えないことが大切である。

2018年11月12日 (月)

満足

人に満足はあるのだろうか。昼食で美味しいものを食しても、夕方にはもうおなかが空いている。野球の試合で優勝しても、また勝たなければとおもうのが人間である。その時点で満足してもそれはほんの一瞬にすぎない。満足とはそんな一瞬一瞬の積み重ねにしか過ぎない。だから、これで思い残すことはないという考えはとても危険なことなのである。子どもたちが、もっと本を読んでほしいとか、もっと遊んでほしいというのは、僕たちは生きている!と叫んでいるようなものである。その叫びにマイナスの反応をしてしまう大人はいったい何者なのだろうか。

2018年11月11日 (日)

思い遣り

人の話は、詳しく聞く必要がある。たとえば人が「温泉に行きたい」と言ったとき、その言葉が何を意味しているか、本人でさえわからないからだ。普通は、「どこの温泉?」とか、「いつ行くの?」などと聞き返してしまいがちである。本人は単に「ちょっと寛ぎたい」というのが本音の可能性が高いからだ。最初からそう言わないところが人間の心理である。それを鋭く突くのではなく、そっと気持ちを汲んであげることこそが思い遣りである。そのための方法とは何か。

2018年11月10日 (土)

人知れず涙したことはないだろうか。涙には浄化作用がある。涙を流す分だけ成長することができるのだ。ところが、私たちは長ずるに従い、いつの間にか涙することを忘れたり、子供っぽいかもしれないという考えにしばられてしまっている。感動の涙、再会の涙、悲しみの涙…それらを流すことは人間的なことである。何ごとにも感動できる心、そのためにはどうしたらよいのだろうか。

2018年11月 9日 (金)

馴れ

美味しいものだけをを食べているとどうなるだろうか。そこに生じるものは食の基本ではないだろうか。反対に、美味しくないものばかりを食していたとしたらどうなるのか。その場合、美味しいものがわからなくなるのである。薄味の美味しさや優しい味がわからなくなり、なにか物足りないと感じるようになる。悪貨が良貨を駆逐するように、本当の味がそうでないものを駆逐してしまって、超辛口や、刺激的な味が跋扈するようになるのである。味の基本とは、母の手料理にあるのだ。母の作った味噌汁や胡麻和え、カレーライスなどの味をデータベースとして、私たちは味というものを吟味し、比較しながら食事を楽しんでいるのである。

2018年11月 8日 (木)

増殖

人が聞いてもらえなかった話はいったいどこに消えてしまったのだろうか。それは消えたのではなく、語った人の脳裏に回帰して今なお残存している。それも増殖した形で。それらは聞いてもらえる状況になった時に、2倍3倍と増えて何度も何度も語ることになるのである。過去の自慢話などは、こうして繰り返し語られることになるのだ。最初の時に、その話に耳を傾け、価値を認め、正しい評価をしてあげることで語り手は満足感を得るのである。真摯に耳を傾けることの意味はこんなところにあるのだ。

2018年11月 7日 (水)

従う

人間は、自分の意志を通したいという気持ちと、人の言いなりにはなりたくないという気持ちが共存している。買い物に行くとき、コンビニバッグを持参することにしている。環境破壊が叫ばれている中で、まあいいかという気持ちがふとよぎることがないようにするためである。誰かが声を大にして「レジ袋撤廃」と叫べばいいのだが、非難ごうごうになるとともに、大人の事情が絡んでくることもあるかもしれない。る。さらに、人の心のには、そうやすやすと人に意見に従わされたという気持ちを知られたくない、無意識を理解しているようで、自分の気持ちも傷ついて枯を傷つけることも念頭に置かなければならない。

話したいこと

人の心の中は、語りたいこと、知ってほしいことでいっぱいである。それを誰かに伝えたくて仕方がないでいる。そんな話の数々を「そうだったのですね」と聞いてもらえただけで、人の心は軽くなるのである。聞いてもらえなかった場合、その話は自分の心の中でたまってしまい、聞いてもらえる機会があると一気に噴き出すことになる。それだけではなく、繰り返し同じ話をすることになるのはそうした理由があるからである。些細な話であっても、早いうちに聞いてあげることが必要である。

2018年11月 6日 (火)

聞く

人の話を聞いていて疲れるのは、相手の話と自分の経験とを重ね合わせて聞いているからである。昨日サッカーをして楽しかったという話を聞いて、自分がサッカーをしたときは雨の中でして辛かったなどということを思いだしている。自分の経験に比べて、相手は楽しいと言っているという、その差に引っ掛かりながら聞くことになる。これでは、相手の話を聞くと同時に、自分の経験にも耳を傾けていることになる。語り手は楽しいが、聞き手の頭の中では不協和音がずっと鳴り響いているような状態が延々と続くことになる。それが聞き疲れの原因である。対策法は自分の経験を思い出さないことだが、なかなか難しいことかもしれない。

2018年11月 5日 (月)

欲望

人間は最初から自分の欲望を持って生まれたわけではない。無一物でこの世に誕生した。その子どもの脳裏に周囲の欲望が書き込まれてしまうのである。医者になれ、スポーツ選手になれ、お家の再興のため・・等々。それだけではない、某大学は価値がある、大学院はその上だ・・といった具合にである。もともと価値のわからない私たちの頭にそれらの価値観が書き込まれてしまっている。気がつけば洋服や流行、好み、趣味など、ありとあらゆる価値観が書き込まれている私がいる。自分だけの趣味などを人前に持ち出しても理解されないのはそんな理由によるのである。真の私の生き方とは一体なんなのだろうか。

2018年11月 4日 (日)

夢には二通りある。一つは未来に向けての「夢」。これは言葉で説明することができる。もう一つは睡眠中に見る夢。こちらは口外できないか、実際の夢が実現できない原因や、人に語ると否定されるであろう壮大な夢である。それらは語れないので、せめて夢の中で実現させている内容である。精神分析では、後者の夢を重要視する。そしてその実現に向けて語りを重ねていくのである。そう考えると、夢の中で私たちは私自身の主になる、というフロイトの言葉が真実味を帯びてくるのである。

2018年11月 3日 (土)

味ほど、人によって感じ方の異なるものはないだろう。同じものを食しても、ある人は美味しいと感じ、別の人はそう感じないこともある。本人の好み、食欲がその原因かもしれない。それだけではなく、だれと一緒に食べたのかということも原因かもしれないのである。それを一言でいえば、場所であるといえる。その場所に好感を持っていれば美味しく感じるのである。その場所とは、店の前に行列をなしている、という視覚的なものである可能性もあるかもしれない。自分で自分の味覚を決めることが大切である。

2018年11月 2日 (金)

イメージ

文字を見ただけでそのモノが彷彿として想像できる力がイメージ力である。レストランのメニューを見てその料理に限らず量、香り、味、食感などをイメージする力のことである。今は写真がそれを代行してくれるが、文字からそれをイメージできれば、本を読んでも楽しさは膨らむものである。「お化け」という文字から「オバケのQ太郎」がイメージされてもよいが、もっと夢が膨らむことも豊かさである。そのためにすることは一体なんだろうか。

2018年11月 1日 (木)

想像力

私たちは日頃想像力を働かせながら生活している。車を運転していても、包丁で何かを切っているときもそれを働かせている。モノ、場所を見なくてもこの辺でハンドルを切ればいいだろう、とか、この圧で切ろうなどと想像して作業している。それが豊かであればあるほど事故や怪我は少なくなり、効率も上がることになる。そのために必要なことは何か。

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