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2018年12月の31件の記事

2018年12月31日 (月)

正月

正月休みは好きなことだけして過ごす。年始回りはせず、テレビは見ず、時がとまったような世界のなかで、のんびりゴロゴロ過ごすのが理想である。子どもたちにはお年玉は自分で管理させ、大人は自分のことだけ考える。退屈を満喫することで正月開けの生活が刺激的に感じればよい。大いなる退屈のなかで大いなる発見があるかもしれない。ぼんやりとリンゴの落ちるのを見て万有引力を発見したように、束縛から解放されるのは正月休みしかないのかもしれない。

2018年12月30日 (日)

世話

母は世話に毎日忙しい。母自身のことでさえそうなのに、家族全員に向ける配慮には限りがない。朝起きてから床につくまで体がいくつあっても足りないほどだ。その世話も、足りなければ気が利かないと言われ、過ぎればうるさがられる。その頃合いとは一体どの程度なのだろうか。過不足ない世話とは、理想的な配慮とはどの程度なのだろうか。

2018年12月29日 (土)

対話

今乗っているクルマには、前の所有者が残したままになっている音楽がそのまま保存されている。10年前の録音だ。前の所有者は音楽に造詣が深く、海外に行くためにこれを手放したのに違いないと思ったりしている。そのライブラリーの中に「初級イタリア会話」も録音されている。きっと、運転中にもイタリア語の習得していたのだ。私たちがいつでもどこでも何とでも対話をしていることの証明である。

2018年12月28日 (金)

情熱

情熱とは持続力と言い換えてもよいだろう。いっときだけの情熱は単に「熱」に過ぎない。ずっとそのことに「熱」をもち続けることが情熱である。その起源は幼少期にさかのぼる。母が子どものことをずっと受け入れてくれたかどうかの体験が子どもの心に持続力を身につけさせる。たまに褒める、とか、褒め方に一貫性があったかどうかが問われるのである。

2018年12月27日 (木)

同調性

暑いときは暑さの中で暮らし、寒いときは寒さを享受する、それが自然に逆らわない生き方であろう。人の気持ちも乱高下しているのが日常である。楽しんでいる人に笑うなと言ったり、落ち込んでいる人に娯楽を勧めても、それは楽しみに水を差し、落ち込みに拍車をかけてしまうことになる。百害あって一利なしである。相手の感情に寄り添う力、それが同調性である。

2018年12月26日 (水)

道具

デパートのキッチン用品コーナーにはたくさんの刃物が並んでいる。大きさ、形状、厚さ、尖り具合など同じものは一つもない。切る対象を目の前にした途端に、それぞれの刃物の価値が決まるのである。人間が発明した道具のなかで最高傑作は言葉である。形も重さもない空気の振動音にしか過ぎない単語が、人を動かしたり慰めたり場合によっては爆弾までも作ってしまう力を秘めている。人を生かし、成長させ、肯定的に使えば利器になるが、反対の意味に使えばそれは武器になる。一見危険と思える武器も使い方によっては利器になる。それはどんな時か。

2018年12月25日 (火)

自立

子どもは親元を離れて暮らさなければならないことを無意識的に知っている。そのためには未知の問題が横たわっている。そのはざまで悩む時期が青年期である。五分五分の葛藤を十対ゼロの割合いで自立に向けてあげるのが親の役目である。子どもの心には、世話になった親を見捨ててしまうのではないかという心理が横たわっている。それが罪悪感である。前向きの葛藤と後ろ向きの葛藤を抱えながら子どもは日々を送っている。その葛藤から解放してあげられるかどうかに親の価値が問いかけられるのである。

2018年12月24日 (月)

捨てる

モノを捨てるときに感じるのが罪悪感である。われわれは子供の頃からモノを大切にするよう教わってきた。洋服など小さくなれば当然だが、飽きたり、もっと気に入ったものを手にすれば、それまでのモノはたちまち色を失ってしまう。それだけを見ればまだ使える、と感じるのは家族や他人だ。思い切って捨てるのはどうすればいいのか。それは見ずに捨てる、他人にあげないの二点である。

2018年12月23日 (日)

手放す

親にとって子どもから見捨てられることはつらいことである。あっちに行って!とか、うるさい!などと言われて嬉しいと感じる親はいないのではないか。しまいには、自分のアパートに来ないで!と言われることが正常と心得ることが大事である。それは親からの分離・独立の証であるから、その言葉に素直に従うことで子どもは出立していく。その前段階が、最初の言葉の数々なのである。喜んで受け入れようではないか。

2018年12月22日 (土)

見守る

本当に良い親とは、子どもを見守ることができる親だ。経験も知識もある親にとって子どもの行動や考えは幼く見える。そこで親はつい先回りして助言することになる。遊び・友人・進学…すべて親にはお見通しなことだろう。それを見てみぬふりをすることが親の役割である。そのためには無口に徹することである。口を出す場面は一体どんなときだろうか。

2018年12月21日 (金)

感動

「感」の字の上部は「すべて」という意味。すなわち感動とは心のすべてが動くことをいう。毎日が感動の人生とはどんな生活だろうか。それは発見である。どんな小さなことでも発見があれば人生は楽しくなる。幼い子どもがヤンチャな言葉を使い始める、通勤の道を変えて見る、模様替えをする…あえて変えることによって発見があるものである。そのとき人は小さな感動を重ねていくことになる。人間の感性はこうして磨かれていくのである。

2018年12月20日 (木)

適確

子どもが「ボクカッコいい?」と親に向かって言ったとき、親が「カッコいいよ」と返事をすれば、子どもは微笑むだろう。「そうでもない」と返事を返せば、子どもの顔から笑顔が消えるだろう。顔に付いたご飯粒が誰かの指摘によってしか気づくことができないように、自分の姿は他者の言葉によってしか知ることができない構造にわれわれの体はできている。同じ言葉を返してもらえなかった子どもは、将来、「自分はなんとカッコいいんだろう」と周囲の誰彼かまわず言い続けることになるかもしれない。幼いうちから同じ言葉を子どもに返してあげたいものである。

2018年12月19日 (水)

受容

子どもたちはときとして真実を言う。そんなとき親はハッとさせられ、狼狽したりする。親に命令してたり、批判することもある。そんな言葉を、なるほど、と認めることで子どもは自分の言葉の真実性を学んでいく。子どもの言葉を受容するとは、子ども自身を受容することである。そのとき子どもは、自分は言っていいのだ、ここにいていいのだ、生きていていいのだと感じるのである。

2018年12月18日 (火)

遊び

子どもが遊んでほしいと言ったとき、親がすぐに対応することで子どもは親への愛が生まれる。遊びを通して子どもは愛を学んでいく。愛とはもともと持って生まれてきたのではなく、遊びを通してでなければ学べないのである。その遊びとは子どもが自分で考えだすものだ。鬼ごっこ、じゃんけん…大人の価値観では測れない楽しさがあるのだ。それに付き従ってくれるのは親しかいないのではないか。忙しい日常生活のなかで、親御さんは子どもたちの要求に従うのは大変である。小さい時期の子どもたちの遊びは、時間も費用も知れたもの。そんな時間をもつ時間を余裕というのである。

2018年12月17日 (月)

甘え

人は甘えたり甘えられたりしながら日々を送っている。一人では人は生きていけないことが前提だからである。自分に依存してくるのは、自分に対する信頼の証である。その習慣は両親との対話によって学んでいく。子どもが親に手伝ってほしいといったときに親が手伝ってあげることで子どもは信頼を学んでいく。それを敏速・適確に両親が受け入れるかどうかで、将来、人を信頼することができるようになるのである。

2018年12月16日 (日)

嫌・できない・無理

親はつい子どもに何かを言いがちである。こうすればいい、これが普通・・・といった具合に。その指示を素直に聞く子と、「うるさい」と言う子どもとがいる。どちらがかわいく親の目に映るかというと、当然前者であろう。親の言うことはあるときは建設的であったり、破壊的であったりして一貫性に欠け、しばしば子どもを動揺させる。動揺とは、子どもの計画と、親のそれとが子どもの頭の中でぶつかり合い、葛藤を生じている状態を指す。それを必死で否定し、自分の計画を押し通そうとする子がよい子と言える。その言葉とは、「嫌・できない・無理」という言葉である。

2018年12月15日 (土)

地名

地名にはいろいろな記憶が詰まっている。駅のホームで電車を待っていると、熱海行きの電車がホームに滑り込んでくる。私の思考は一挙に海岸のリゾート地に飛んでいく。同時に、そのときホテルの娯楽室で卓球した思い出などが思い出されると同時に、仲間、という言葉がふと頭の中をよぎる。こうして次々と言葉の連鎖が始まるのである。膨大な記憶の中から数個の記憶を呼び覚ます力はいったいどこにあるのか、その核はいったいなんなのだろうか。

2018年12月14日 (金)

ヒント

パソコンの前に座っていてもヒントが浮かばないことがある。そんなときは部屋を移動する、買い物に出かける、スマホで文章を作成するなどでヒントが浮かぶことがある。降りてくる、まではいかなくとも、一言が種となって文章が出てくるものである。そう考えるとママさんたちの買い物も、お喋りもヒントを生み出すきっかけになっていると考えたくなる。男性は仕事一直線、机に向かって一日を過ごす。対照的な生き方の両方を取り入れることで、新しい発想が浮かぶかもしれない。

2018年12月13日 (木)

歴史

ある人が江東区豊洲周辺を散策したところ、そこは新しい倉庫と高層ビルばかりだったので単調で少しも楽しくなかったと感想を述べていた。歴史がないからである。私たちが古い商店街の路地裏を歩いたりするのは、歴史を紐解きたいからである。そこには思い出や人の往来の軌跡がいっぱい詰まっている。そう考えると私たちの部屋も歴史の宝庫だ。古くて黄ばんだ書類をはじめ、昨日買ってきた品物のレシートなどが散乱している。何もないがらーんとした部屋にいたらきっと苦しくなるかもしれない。われわれは歴史に囲まれるなかで、過去・現在・未来を行き来する散策者なのかもしれない。

2018年12月12日 (水)

悲しみ

人が一番悲しいのは自分の考えが否定されたときである。第二には価値観が切り下げられた時である。その考えは変、などと言われて誰もが悲しくなるに違いない。発奮できないからこそ悲しみが増えるのである。風邪をひいても人は自分の症状に比べたらまだましなどと言ってくるのが人である。社会で、サークルで、仲間内でそれが普通になっているが現実ではないだろうか。ただ受け入れてほしい、多くの人はそれだけを願っている。

2018年12月11日 (火)

庭園

名庭園では、ここからの景色がいい、というのはないらしい。逍遥しながら振り返ったり背伸びしたり、かがんでみたりしながら見るのがよいという。少し歩を進めただけで景色が変わって見えることもある。同じ位置に立ったつもりでも先ほどの景色と再会できるとは限らない。四季の変化を加えたら無限の景色がそこに存在するといえよう。人間もしかり、ありとあらゆる面から人と接するとまた違った面が見えてくるものかもしれない。

2018年12月10日 (月)

便利

言葉ほど便利なものはない。誰かが「パリ」と言えば、パリの凱旋門の前に立つこともできる。極寒の北極点に到達し、キリマンジャロの頂上に旗を立てることさえ可能である。そう書けるのも言葉の力である。われわれ人間は言葉から空想し、味わい、感想を述べあうことで一時の満足感を得ているのである。それならもっと言葉を豊かにすればより豊かな経験を積むことさえ可能である。ただし、空想ばかりが先立つと、名所旧跡が観光客であふれていたとか、天気がわるかったということにもなりかねない。やはり現実と空想と言葉とすべての境地で楽しむのがよさそうである。

2018年12月 9日 (日)

パッケージ

品物のパッケージを見ると百花繚乱のようである。互いに妍を競い、こっちを見てと言わんばかりである。チョコレートのパッケージを見ると、チョコの角がキラリと光っていたりする。現実にはちょっと光るのを見ることはあってもケースのそれはひかりっぱなしである。パッケージをながめながら食しかつ飲む、いったい味わっているのか、デザインごと口にしているのかわからないほどだ。かといって暗闇の中では食べる気がしないはずである。我々はこうして内も外も同時に楽しんでいる。

2018年12月 8日 (土)

比べる

人と比べてはいけないと思っていても、つい比べてしまうのが人間ではないだろうか。誰かがが素敵なコートを着ているのを見た瞬間にそれよりも色が濃いとかタケが長い方がいいなどと比べている。これではいつまでたっても自分だけのモノを手にすることはできないだろう。しかし、そうすることで自分を保っているのも人間なのである。誰と比較すればよいのだろうか。

2018年12月 7日 (金)

感情

言葉よりも先に湧き上がってくるもの、それが感情である。人はそれを制止することができない。なぜなら、感情は言葉を必要としないからである。言葉による制止が追い付かず、気がついたら感情がほとばしっていたというわけである。その感情は感動につながっている。感動のない人生が味気なく感じられるように、感情も多少ほとばしるくらいがいいのである。それを出しすぎるでもなく抑えすぎるでもなくコントロールするものこそが知性と呼ばれるものである。

2018年12月 6日 (木)

偉大

母は偉大である。自分を生んだ人ゆえに、その力を否定することはほぼ困難である。子どものわがままにたいして動じはしない。母の手からは何でも出てくるし叶えてもくれる。子どもはしばしばこの引力圏から脱出を試みる。それは、子どもがいずれこの家を出ていかなければならないと知っているからである。そのための作戦が、母を嫌いになること、そして、母を消すことである。母を「くそババア」に仕立て、母に向かって「消えろ」と叫ぶのはその戦術である。それは母があまりにも魅力的だからこその叫びなのである。

2018年12月 5日 (水)

大切なもの

人にはそれぞれ大切にしているものがある。家族・道具・ペット・・・。こわれかけた時計やひびが入った花瓶、よれよれになった服だって本人にとって大切なものなのである。それには記憶が張り付いているのである。他人から見れば何?と感じるものであっても、本人は真剣である。他人はそれに対して、何なの?などと言ってはならない。思い出があったとしたらそっとそばの人にささやけばいいのである。

2018年12月 4日 (火)

転ばぬ先の杖

先に生まれてきた人にとって、後から生まれた人の行動はさぞまだるっこしく感じることだろう。そこでつい口に出してしまうのが助言である。それは会社やクラブの後輩にとどまらず、子育てにおいてもしてしまいがちである。後進にとってそれは最初はありがたく感じることだろう。しかし1年を過ぎてしまえば本人なりの考えや経験が備わってくる。そこで発生するのが先輩後輩の軋轢、子育てでは反抗期である。では何も助言しなければいいのかというと、さにあらず。転ばぬ先の知恵を出す瞬間はあるものである。

2018年12月 3日 (月)

不安

運動会を間近に控えたグラウンドでの友の一シーンである。校内随一と呼び声の高いスプリンターが呟いた一言が私の耳に届いた。「このグラウンドを俺は走れるのか?」と。陸上部のスーパースターの彼が自信喪失に陥っているのだ。謙遜で言っているとは思えない。結果は予想通り一位。彼の顔に勝ち誇った様子はない。運動会でも陸上部も区別なく参加させる学校のおおらかさゆえに、一般生徒にも勝てるのではないかという期待と、陸上部だからこそ負けたくないという思惑の入り交じった争いに、参加した生徒たちは清々しい思いでゴールめがけて走り抜けたことだっただろう。

2018年12月 2日 (日)

役割

気持ちが落ち込んでいるとき、人の心には、慰めてもらいたい気持ちと、励まされたい気持ちの両方が生じてくるのではないか。いきなり励まされても辛いだろう。まず慰めてほしい、そしてその後に激励の言葉が欲しいという人もいるだろう。片方だけでは前に進めず、激励だけではかえって落ち込む結果になる可能性だってないことはない。人は両方の言葉を必要としているのである。その役割を担う人こそ父と母ではないだろうか。

2018年12月 1日 (土)

記憶

人間の記憶ほどあてにならないものはない。朝食べたものや会社にもっていくもの、上司から指示されたことなど、あらゆる場面で記憶違いをしていることが多い。それは頭の中で自分に都合よく書き換えているからだ。食べたくないものを供されたので、そのもの思い出したくないからかもしれない。命令されたことの腹いせにちょっと持参品を少なくしてしまっていることもあるからだ。そのようなことをしてもかえって煩雑になるだけなのだが、そうすることでささやかな仕返しをした気分になっているかもしれないのである。そんな自分のことをさえも記憶から消去してすまし込んでいる自分がいるのかもしれない。

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