« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »

2019年2月の29件の記事

2019年2月28日 (木)

文字

文字とは書かれた文字だけが文字ではない。自動販売機の表面に「×」のしるしがしてあったり、喫茶店のテーブルにハンカチなどが置いてあったりすれば、それも文字である。それぞれ、故障中、ここはわたしの席です、と書いてあるのと同等の価値をもっている。女性のウィンクや流し目なんかも文字である。それらに私たちはしばしば立ち止まったり、クラっとしたりする。そう考えると、私たちの身の回りは文字で埋め尽くされていると言っても過言ではなさそうである。

2019年2月27日 (水)

寒山拾得

寒山拾得は中国の仙人である。俗世間から離れて清談を好んだ人物で、横山大観などが好んで題材として描いている。JR の駅の柱なんかに、安全拾得器と書いてあるとつい「寒山・・」と読んでしまうのはなぜなのだろうか。

2019年2月26日 (火)

すれ違い

ラジオのパーソナリティーが、「やっと寒い季節を抜け出しますね」と感慨深げに言っている。それにこたえるように、ゲストコメンテーターが言う。「これから花粉症の季節ですよ、そのあと猛暑が来ますよ」と。パーソナリティーは慌てて、「でも桜が咲いて明るくなるよね」と言えば、「虫が出て、熱中症で搬送される人が出ますよ」とかぶせてくる。パーソナリティーは「話しててつまらないな…」とため息をついている。コメンテーターは「そうですね」と言ってはいけない商売なのだ。カウンセラーはコメンテーターをつとめてはいけないという例である。

2019年2月25日 (月)

変化

田んぼ道を歩いているときののどかさはたとえようもない。あげひばりの声が空高くから響いてくる。のどかさの反面、単調なことも否定できない。あぜ道が長く感じられる。それに比べて駅前の煩雑さはどうだ。飲食店、クラブ、文房具店・・・様々な店が軒を連ねていて、ポスターなども賑やかである。都会の人が田園に憧れ、田園に住む人が都会に憧れるのは、この変化である。そう考えながら歩いていると、道の真ん中にラグビーボールのモニュメントが行く手を阻んでいる。これを変化と呼ぶべきか、邪魔と言うべきか、などと考えているのも変化なのであろう。

2019年2月24日 (日)

似る

レストランの「いらっしゃいませ」という声に迎えられて、いつものスタッフの声だと思っていると、それは違う声だったということがある。声の調子、イントネーション、間合いが、いつものスタッフとそっくりだったのである。同じ店で働いていると、声がみな一様になってくるのである。同じことは、家族の場合にもいえる。自分というものを持たない子供はとくにそうである。知らず知らずのうちに家族の声を真似しながら私たちは自分を形成しているのである。声だけでなく、趣味、好き嫌いまでも真似してしまっているのが私たち人間である。人間は家庭が作る、といってよさそうである。

2019年2月23日 (土)

視聴率

テレビ局も視聴者も、テレビの視聴率をきわめて気にしている。それは、自分とみんなが同じ感想をもっていると思い込みたい心理が働いているからだろう。考えてみればわかることだが、自分の感想と他人のそれとが一致することなどないのだ。自分の本棚にある本やCDなどと、友達のそれとが一致することなどないのが普通であろう。自分の好きなことは自分で決めるのが当たり前と考えることだ。そこから個性が育っていくのではないだろうか。

2019年2月22日 (金)

気づき

私の目の前にある壁掛け時計を見て、文字盤の表面に複雑な模様がプリントされていることに気がついた。何年も見続けているにもかかわらず、今まで気がつくことはなかった。それは時計の時刻を確かめるという機能だけで見ていたからである。その機能から離れて、それ自身として見た瞬間に見えなかったものが見えてきたのである。人も同様に、その人自身として見たときに、なにかしら見えてくるものがあるはずである。

2019年2月21日 (木)

比較

人はいつでも誰かと比較している。テニスが趣味という人も、無意識的に人のもっているラケットと比べているかもしれない。釣りに出掛ければ、釣り竿や釣果で比べているかもしれないのだ。私たちはいつのころからか、人よりも1点でも多く点数を取ることに慣らされてきたのがその原因なのだろうか。人と比べることのない趣味をもつことはできないのだろうか。

2019年2月20日 (水)

食事

人が最も心満たされる時間が食事のときであろう。その時間は家族団欒、楽しい会話、美味しい食事であることが望ましい。もしその時間に、会話がなければ、食事はただお腹を満たすだけの行為となってしまうだろう。それは味気なく、早く済ませたくもあり、顔も見たくなくなることになる。そんな日々が続いたら、人間の味覚は育っていくのだろうか。味覚とは最初から人間に備わっているものではなく、育てていくものなのかもしれない。

2019年2月19日 (火)

聴覚

私たちの耳はすべての音を聞いているようでいて聞いてはいない。もしすべての音を聞いていたとしたら、私たちの情報処理能力はたちどころにパンクしてしまうだろう。私たちの周囲に流れているテレビの音、空調音、外を通るバスの音や市役所が流す捜索者の放送の音…それらの中から自分に最も関心のある音だけをチョイスして聞いているのである。それが選択能力である。部長の命令、課長の命令、社長の訓示・・・すべてを聞いていたら、きっと何から手を付ければいいかわからずに呆然としてしまうだろう。「何をやらせても中途半端な人」というレッテルを張られたとしても仕方がなくなるかもしれない。

2019年2月18日 (月)

嗅覚

モノを嗅ぎ分ける能力に長けているひとこともいる。ある人は古本屋に入ったかと思うとすぐに欲しい本を探し出してくる。また違う人は美味しい料理を出す居酒屋を探すのに長けていたりする。臭いを嗅ぐわけではない能力が衰えてくると人の善悪を嗅ぎ分けられずに簡単に振り込め詐欺に引っ掛かってしまうことだろう。そんな能力の起源は以外と古い時代に培われたものに違いない。

2019年2月17日 (日)

視覚

同じ景色を前にしても、ある人はそこに大きな壺が置いてあったと言うが、一緒にいた別の人にはそんな記憶がなかったりする。同じものを見てもあるなしの違いが生じるのは関心の違いである。その源は母が私だけに関心を示してくれたかどうかにかかっているのかも知れない。私もを見つめてくれた母に関心が向け代わるメカニズムである。

2019年2月16日 (土)

花粉症

季節柄、花粉症の相談をされることが多い。花粉症の原因は花粉そのものではない。それが証明されるのは、花粉が飛んでいるのをテレビで見ただけでくしゃみが出た、というクライエントの話を聞いたときである。花粉そのものが原因ではないことがこれでわかったのである。話を聞きながら、その原因が数秒で判明するものから、分析に20分かかるものまで様々ではあるが、共通して言えることは、クライエントさんの話から花粉症以外の話が提出されることである。話の中に原因がかくされているのだが、話している本人が気づくことはないのである。話の中に花粉症のきっかけとなったキーワードがそれとは気づかれない形でひっそりと隠されているからである。

2019年2月15日 (金)

ゆとり

久しぶりにホラー映画を見た。アメリカ製なのでハッピーエンドのに終わるのもうれしい。見ているうちに、どことなくリアルさが少ないことに気がついた。それがゆとりに感じられるのだ。完璧なリアルさで見せられてはこちらの体が持たない。どことなくユーモアがあって、どことなく笑える、そして少し怖い・・・くらいが私には程よいゆとりなのであった。

2019年2月14日 (木)

本当に欲しいもの

自分が欲しいものは、本当に自分が欲しくて買ったものだろうか。ネクタイを買うときに、その品物が実は憧れの人が締めていたネクタイかも知れず、花柄のシャツを買おうと思ったのも、ステキな店員さんが着ていたからかもしれない。自分では安価なセーターを買おうと品定めをしている脇から、それよりもこちらの方がお似合いで・・・などと店員さんに言われて買ったものかもしれないのだ。支払うときに、それが自分で選んだモノよりはるかに高価だったということもあるかもしれない。自分で選ぶことの難しさ、自分で選べない理由とはいったいどんな無意識が働いているからなのだろうか。

2019年2月13日 (水)

青春時代

われわれは母に欲望されながら生きている。母の無意識には、こんな人間になってほしい、こんな性格の子になってほしいなどという欲望がひしめいている。母が自分にはどんな子になってほしいのかを、母のまなざしの上に見出そうとする。そうした母の、子への欲望があって初めて子どもはその実現を目指せるのである。それがなければ、子どもは何を目標に生きていけばよいのかわからなくなるのである。そんな母の欲望の通りに生きれば問題がないかと言えば、さにあらず。子どもにもやがて自らの欲望が芽生える時を迎える。母の欲望に生きるべきか、自分の欲望に素直に生きるか、二者択一の選択に悩まされているのが青春時代なのである。

2019年2月12日 (火)

意味

言葉には意味がある。一つの言葉を耳にした時、意味も同時に聞いている。「恋」という言葉を聞いて、ある人は初恋を思い出し、ある人は恋を束縛と受け止めるだろう。人によって意味が異なるのだから、同じ意味をうけとることなどできないのかもしれない。「あなたの気持ちが理解できない」のは当たり前なのだ。「私の気持ちが誰にも理解されない」というのもまた事実である。それでも相手の気持ちを理解したいと考えて精神分析学は誕生したのである。

知性

小さな失敗を人からひどく叱責されたことはないだろうか。名前を間違えた、会議の書類を持参しなかった・・。そんなとき、「それでも世界は動いていく」と考えられる人がいたとすればさぞ幸せなことだろう。そうは考えられないのが子供たちである。「お前は何々だ」と言われればその言葉は子供たちの心に深く刻み込まれ、失敗することや、新しいことにチャレンジすることに恐れを感じるようになるだろう。大人は「それでも世界は動いていく」と考えることで精神的な苦痛から逃れることができるのである。そのように考える力のことを知性と呼んでいる。

2019年2月11日 (月)

満たされる

欲しいモノはすぐ手に入り、食べたければどんなに高級のものでも口にでき、言いたいことは言い放題、室温も最適・・・こんな暮らしができたらどんなに幸せなことかと誰もが想像し、一部の人が実現している。その結果はときどき耳にする。その満足を、求めている途上にあるのが人間ではないか。しかし、誰もがそんな時代を経験しているのだが気づくことはない、それが無意識である。

2019年2月10日 (日)

知性

世界は私の失敗にもかかわらず何事もなく動いていく・と考えられる能力を知性と呼ぶ。知性とは文章作成能力のことである。その文章が肯定的なものであればプラス志向であり、否定的なものであればマイナス思考となる。その源は、幼少期に、それでいいのだよ、と言われた体験であることは間違いがない。

2019年2月 9日 (土)

受けとめ方

一つの現象に出会っても、受けとめ方はときによって異なる。私が立ち寄る喫茶店は、「お客である私をそっとしておいてくれる」店である・・・と言えば聞こえは良いが、裏を返せば、まったく愛想がないとも言える。注文のときも、ドリンクを運んでくるとき、支払いのときも、まったくこちらの顔を見ない。かといって、愛想よく「今日もひとりなんですね」などと言われるのも癪であろう。理想的な店は一体どこにあるかと、酒場放浪記のように店を訪ね歩くのは、きっと「おかえり」と言ってくれた、亡き母の姿を求めているからかもしれないのである。

2019年2月 8日 (金)

レストランなどでBGMを流しているのは、お客さん同士の話し声を打ち消すためである。BGMが途切れた瞬間、お客さんの声同士が重なり合ってしまうからだ。人間は二つの音声を同時に聞くことができないのだ。聖徳太子のようなわけにはいかない。一対一で会話しているときも同じである。一方が喋っている間、相手が沈黙を守ってくれれば、一方は喋っているという実感を得る。ところが、こちらが喋っているのに相手も喋ってしまえば、両者とも話を聞くことができなくなる。片方が沈黙を守り続けることがいかに困難なことであるかを思い知らされるのである。

2019年2月 7日 (木)

共存

人の話を聞くと疲れる、という人が多い。その原因は、相手の価値観と自分のそれとがぶつかってしまうからである。相手が、温泉が好きだ、と言った瞬間、こちらに温泉に興味がなければこちらの機嫌が悪くなるのだ。相手は楽しそうにすればするほど、聞く側は浮かぬ顔になるばかりである。どうすればよいか。そのためには、自分の価値観を捨ててしまえばいいのだ。それによって、相手の価値観がすんなり聞く側に入って来るだけなのでストレスはないはずである。ところがそうすることで聞く側が全く無知蒙昧な人間に成り下がってしまうことに恐れを抱くことになる。それでは自分がみじめになるので、慌てて、こちらの趣味などを語ることによって無知な人間から辛うじて脱出することに成功する。その繰り返しの中で疲れてくるのである。相手とこちらの価値観が共存できる道は一体どこにあるのだろうか。

2019年2月 6日 (水)

女優

最高の女優の条件は何もしないことである。人の話を聞くときも然り。聞く側が何かアイディアを提出したり、コメント加えたりしてはいけないのである。いけないどころか、有害でさえある。相手の話に、こちら側の意見を加えることなく聞き続けることで、相手は癒されるのである。よく「話を聞いて」と言われることがあるのがそれを物語っている。ただひたすら聞き続けることそれを傾聴というのである。

2019年2月 5日 (火)

リセット

人は一日に何度も心も体もリセットする。その一つが睡眠だ。一日の出来事をすっかり忘れることで新たな考えを生み出せるからだ。昼食をとるために仕事を一時停止する、書類を閉じることで新たなアイディアがひらめくこともある。小さなリセット、中くらいのリセット、大きなリセット・・・それをきっかけに新たな生き方がひらめいてくるものである。

2019年2月 4日 (月)

見方

同じモノを見ても人によって感じ方は異なる。目の前にある一粒の「豆」から、ある人は「福は内!」と大音声と共に撒かなくてはと考え、別の人は食べるか食べないかと悩み、また別の人は、ぼんやりとただ眺めるだけかもしれない。すなわち、人の数だけモノは存在するのである。人によって考え方、・感じ方が異なるのはそのためである。そう考えると、自分の考えを人に告げたときの相手の、「そうかな?」という怪訝な返事の理由もわからないでもない。

2019年2月 3日 (日)

理解

明け方や夕方、車を運転していて太陽が眩しいことがある。ところが対向車の運転手は全く平気である。その逆に、そんなに眩しいのかな、と思うほど太陽光線に辟易している様子を相手の車の運転手に見ることもある。このように、人は相手の立場に立ってみなければ相手を理解することはできないのである。もっともよい例が男と女の立場であろう。男は女を理解できず、女もまた男の気持ちを理解することができないのだ。永久に両者は理解することができないのだろうか。その方法があるとすればどのようにすればよいのだろうか。

2019年2月 2日 (土)

失くしもの

人間は、ときに大切にしていたモノを失くすことがある。先輩からもらったペン、友人からのプレゼント、学生時代愛用していたバッグ・・・。絶対失くしてはならないはずのものを紛失してしまうことが一度ならずあるはずである。それらは失ってはならないと心に決めれば決めるほどに、失うことへの恐れがなかったのではないだろうか。私たちの無意識が私たちの知らないうちに私の体を動かしていることは大いにあり得ることである。

2019年2月 1日 (金)

生きがい

自分の生きがいはなかなか見いだせないものである。それが簡単に見つかれば誰も悩むことはないだろう。見つからない理由の一つには、世間の評価があげられるだろう。人は常に人の評価を気にしがちだからだ。もう一つの理由は、自分で決めた価値観だ。速く走れる、歌がうまい・・・といった目に見える能力に、私たちも周囲の人たちも目を奪われがちだからである。目に見えずに埋もれた能力にこそ自分の生きがいが隠されているかもしれないのである。

« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »

2019年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
フォト
無料ブログはココログ