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2019年5月の31件の記事

2019年5月31日 (金)

心がこもってない、などと感じるときの「心」とはいったい何であろうか。それは言語である。「犬が好き」と人が言うとき、その心にある言語は「犬好き」の言葉である。それがしっかりとあれば「犬が好き」の言葉は真実の言葉として相手に伝わることになる。その言語はいったいどこで、いつ、どんな人によって形成されてきたのであろうか。

2019年5月30日 (木)

無心

本屋さんでさっと本棚を見渡したとき、目に飛び込んでくる本があったら、それは今自分が求めている本である。観葉植物に関心がある人はいつの間にかその本棚の前に立っているものである。その行為は無意識になっているので、自分ではなかなか気づくことができない。さっと見渡している瞬間、その人は「無心」になっているのである。無心なのにその本を見出すのを、無意識と呼んでいる。

2019年5月29日 (水)

景色

同じ景色を見ても、感じ方は人様々である。ある人は遠くに連なる山の稜線を目で追っている。隣の人は木々の緑に心奪われている。その人に向かって、山の頂にあるケーブルカーの終点を指さしても「ああそう」と気のない返事を返されるのがおちである。人は同じ感想を共有できないのだろうか。山の頂で共有したのは同じ時間だけだったのだろうか。

 

2019年5月28日 (火)

意味

私たちの頭の中は言葉がいっぱい詰まっている。一つの言葉がほかの言葉につながり、それがまたほかの言葉につながりとどまるところがない。それが意味である。意味自体はその人だけの経験であるがゆえに、他人に理解することができないのである。「あなたの発想は変だ」とか、「脈絡が感じられない」などと人から言われてしまう理由もそこにあるのだ。分析では、一見何の脈絡もないように見える意味の後をたどっていく作業である。すると最後に見えてくるものがある。それが真理と呼ばれるものであることを分析家は知っているのである。

2019年5月27日 (月)

飾り言葉

そのものをストレートに言わずに、異なる表現で表す言葉が飾り言葉である。「たくさんの中から」と言うかわりに「数ある中から」と言ったりするのがそうだ。そう考えると私たちの身の回りは飾り言葉で埋め尽くされている。そのおかげで人と人とのコミュニケーションがうまくいったり、誤解を招いたりもする。上手く使いたいものである。

2019年5月26日 (日)

会話

「白樺の木が僕に語りかける」、とか、「山が私を包みこんでくれる」などと人はあらゆるものと会話している。ものが語らないことを知っているにもかかわらず。それは人がつねに会話を求めている証である。ところが、人と人との会話となると話は別だ。それはお互いが語ってしまうからだ。木や山はそれをしないから人は癒されるのである。人間同士の会話も、聞く側が語るのをやめることが必要である。

 

2019年5月25日 (土)

置き換え

自分のことを誰かに語っている時に、「自分はこんなことを考えていたのだ」と気づくことがある。例えば、どこか遠くに行きたい、、と語っていながらも、心のなかではどこへも行きたくないことに気づく場合などがそうである。現実から逃げ出したい欲望のかわりに、遠くに身を置きたいという言葉で言い換えているのである。逃亡者である私と、遠くに身を置く斜に構えた私との葛藤の末に、後者が勝利し、素敵な言い回しになるのである。私が私の欲望を素直に語れる日はいつになったら来るのだろうか。

2019年5月24日 (金)

共鳴

人が苦しいとき、文字に頼ることになる。「大丈夫・大丈夫」とつぶやいたり、カレンダーの「大安」の文字を見たりしていくばくかの安心感を得る。それをつぶやいたとき、誰かが同じ言葉を言ってくれたら安心感は二倍になる。それが共鳴である。エコーのかかった自分の声が心地よく感じるのは、共鳴の働きである。それを周囲の人がしてくれた時、人は生きていてよかった、とさえ思うものである。

2019年5月23日 (木)

包まれる

人はいつでも、何かに包まれていたいのではないか。自分の好きなモノ・人・ことに囲まれているだけで、居心地よく感じるのではないか。しかしいつも家にいたり、人のそばにいるわけにはいかない。そんな時、何に包まれていたいだろうか。それはコトバにである。心地よく、温かく、同意してくれる言葉に包まれていたら、どれほど安心感を得られるだろうか。それもかなわないとき、人は温泉に浸っていたくなるのかもしれない。

2019年5月22日 (水)

希望

明日を希望をもって考えられるひとは、希望したことが実現した経験があるからである。反対に希望を持てない人は、希望がかなえられなかった経験があるからかもしれない。自転車を買ってほしいという希望がすぐにかなえられた経験が、その人の「希望は必ずかなう」という確信を持つ源になるからである。単なる言葉が重さも形もある「モノ」に変換されるということは、考えてみればすごいことなのかもしれない。

 

2019年5月21日 (火)

回り道

いつも通っている道を間違えてしまうことがある。その行為を失敗と考えるか、回り道をしたと考えるかで気持ちは変わる。それで発見があると考えれば、新しい店を見つけることができるかもしれない。さらに先を考えるならば、何かを発見したい、という無意識が自分の心に生まれてきた証と受け取れればもっと前向きな自分を見いだせるはずである。すべては受け取り方なのである。失敗したことも成功したこともその一点にかかっているのである。

2019年5月20日 (月)

五感

「梅干し」と聞いただけですっぱい味を感じたりするように、私たちの五感は経験と連動している。それらは今までの経験によって学習されたものである。それらがよい経験であれば懐かしく親しみを持って思い出されるが、それが苦い経験と結びついていれば、苦しく悲しいこととして思い出されるのである。ある言葉や人の名前を聞いただけでうれしくなったり悲しくなったりしてしまうのかがわからずじまいということもある。その気分は一瞬にして出てきてしまうので、自分でも止めることは不可能である。それがコンプレックスである。人間の一生はコンプレックスとの戦いといわれている。敗戦国となった日本がそれを完全に克服したように、一人一人がそれを克服出来たら人間関係などは一気に改善されるはずである。

2019年5月19日 (日)

近道

人はいつでも近道したがる生き物である。道路の斜め横断は危険極まりないが、交通量の少ない夜間にはついしてしまいがちである。書庫の下のほうに埋もれている書類を取るときにも、上のものをどけてから取るのではなく、力任せに引き抜こうとしている。そばにどけておくだけでいいのだが、数秒の作業すら省いてしまいがちである。結局、崩れた上の書類を再度積みなおすはめになるのだが、そんな苦い経験は役には立たない。こうした近道を好む心理が、新幹線や、エレベーターの発明につながるのだ・・・などと考えている一方、人間は一つだけ遠回りしていることがある。それは何か。

 

2019年5月18日 (土)

後悔

人の一生は後悔の歴史である。あの時こうしていたら・・、あの時しておけばよかった・・。お昼にAではなく、Bを食べればよかった・・いつも後ろ向きの自分を思い出してはまた後ろを向いてしまったと後悔してやむことがない。どうしたら前を向くことがてきるのだろうか、と考えるだけで、これはこれで前向きになっているのではないだろうか。

2019年5月17日 (金)

複数の人の意見が一致することはないのではないか。夕食をどのレストランでとるかの一つとってみてもそれは明らかである。たいていは誰かの提案にしたがっているのが現状ではないか。親しい人同士だと、そこで意見の食い違いが発生する。一人の提案に、相手が、え?という場合がそうである。そこで人が次善錯誤を繰り出す。それでも、え?といわれたら、また次善の次善の策をだし続けなければならない。丁度野球のバッテリーがサインの交換に多大な時間をさくようにである。それでも一致することなどない、と心得なければならない。一致とは幻想なのだろうか。 

2019年5月16日 (木)

感情

理屈ではいけないと知りつつ出てしまうもの、それが感情である。思いより早くそれは出てしまうので、本人もとめることはできない厄介なものである。役所の係の人や店員さんのように淡々と対応できていたら、私たちの人生はもっと悔やむことの少ない人生だったに違いない。反面、なにごとにも感動しない人生もさぞ味気ないものに違いない。ときには心のそこから感情を出すことも必要なことではないだろうか。

2019年5月15日 (水)

文字の力

文字によって私たちは一喜一憂している。レストランなどでは、すべてのワインを飲むことができなくても、ワイン・リストを見るだけで飲んだ気分になれるのである。「濃い目の色合いに、きっちりドライな味わい、グラスをグルグルまわして、少しずつ変わる味わいをお楽しみください。」(フランス・ワイン、シャトー・モーの紹介文)。「スパイシーですが、肉料理との相性は抜群、フルーツのような味わいに深い旨味も加わって夢に心地の味わい地です。」(シャトー・ブリオンの紹介文)。読めば読むほど、ワイン好きを夢中にさせる言葉の羅列である。こんな文章がリストを埋め尽くしていると、飲む気分を一層高めてくれるのである。こうした効果を「文字の享楽」と呼んでいる。

2019年5月14日 (火)

他人の言葉

私たちが欲しいと思うものは、すでに誰かが言葉としているものである。誰かがそれを口に出した途端に私の中の欲望が発生するのである。それまで私はそんなものを欲しいとは思わなかったのである。欲望とは視覚が生み出すものなのだ。それを顕著に表すのが広告だ。テレビの映像からはおびただしい量の宣伝文句が放出されていて、いつの間にか脳裏に刻み付けられている。そんな言葉には乗せられまいと街に出れば、そこはやはり看板の文字が私たちの目に飛び込んでくる。私たちはときに、自然に触れる必要があるのかもしれない。

2019年5月13日 (月)

行くか行かないか

友達からの誘いに行くか行かないかで人は悩む。買うか買わないかでも悩み、買えば買ったでまた悩む。誘われて悩まないのは行く、と決めているからである。買うと決めてしまえばいいのである。買いたい私と買わない私の二人が私の中にいて対話していることになる。そこで私はもう一人の私を登場させて片方に軍配をあげさせることでとりあえず葛藤を回避させているのである。その第三の私とは誰なのだろうか。

2019年5月12日 (日)

デパートなどに行くと全部欲しくなるという人は欲望がある証拠である。欲しくない、という人も、関心のある売り場ではやはり欲望が発生するだろう。チャップリンの映画で空腹だと仲間までが肉に見えてしまうシーンがあるが、その辺の事情をよく表している。欲望のない世界があるとしたらきっと殺風景な世界が広がっていることだろう。

2019年5月11日 (土)

言語

言葉の源にあるのが言語である。言葉とは、枝葉の葉と同様、根幹からの派生物である。このことがしばしば誤解を招いたり、嘘の源になったりする。お茶でも飲んでいきませんか?というメッセージが言葉だ。その源にある言語は、私の話を聞いて欲しい、というメッセージが根幹にはあるので、聞く側もそんなことは何となく知っているので、お茶を飲むだけですか?などとは言わないようになっている。言語だけで会話をしたらさぞかし殺風景なことであろう。かといって、おもての言葉だけで会話をするだけでも誤解はさけられそうにない。私たち人間は言葉と言語の間で右往左往している生物なのである。

2019年5月10日 (金)

故郷

人にはそれぞれの故郷がある。それがよい記憶に彩られていれば、将来、彼は故郷に錦を飾ることになるだろう。誰かに命を助けてもらった人は人命救助の仕事についたら、その人の故郷は人命救助の場所ということになるだろう。それが心のふるさとと呼ばれる由縁である。

2019年5月 9日 (木)

後ろ姿

自分の後ろ姿を見ることはできない。斜め前からも上からも無理である。もしそんなことができたとしたら自分を振り返るだけで一日の大半が費やされてしまうことだろう。こんな姿ではダメと感じてどこにも出かけられないことになるだろう。人間は程よく自分を見ずに済んでいる。全く見ない人のことを傍若無人などと呼んでいる。姿とは外見だけではなさそうである。

2019年5月 8日 (水)

失敗

完璧な人などこの世にはいない、と知りながら、失敗すると落ち込むのはなぜだろう。それは、自分だけは完璧な人間だと思っているから、という皮肉な答えが返ってくる。不完全だと思ってしまえば、失敗したって平気である。これを自分を捨て去る、などというのだが、これがなかなか難しいのだ。「私っておっちょこちょいで・・」と言うとき、相手の「そんなことないよ」と否定してくれることを密かに期待している。

2019年5月 7日 (火)

言葉の力

道具は文明の利器にも危険な武器にもなるように言葉も人を生かしたり貶めたりもする力をもっている。愛の言葉の一つに「かわいい」があるが、男性に対してはなかなか使えない。言って欲しいときに言って欲しい言葉を言う、それが愛の言葉だ。私たちの心の中にどれだけの愛の言葉があるだろうか。

2019年5月 6日 (月)

故障

機械類は故障したときに不便を感じる。車・パソコン・・生活に支障をきたす。といって普段から備えているわけではなく、治ってしまえば備えようなどという気持ちなどどこかに飛んで行ってしまう。体の方はというと、馴れが生じている可能性が高い。肩こりなどは治療に行って初めて指摘されたりするように、慢性化しているので、気づいたときは重症ということもしばしばである。あまりに敏感すぎても仕事に集中できないだろう。適度に敏感でいることも必要である。

2019年5月 5日 (日)

態度

私たちの態度は先人たちが私たちに見せた態度のコピーである。人の話を聞く態度がなってない、などと言われても仕方のないことである。それがスタンダードと思いこみ、右へ倣えしていただけである。カウンセリングでは態度や口調を注意することはしない。カウンセラーは言葉だけに注意を向けているからである。言葉の核心にクライアントが気がついたとき、クライアントの態度が一変する、真理が舞い降りてきた瞬間である。

2019年5月 4日 (土)

地名

地名にはいろいろな思い出がつまっている。記憶の缶詰みたいである。一度その名前を聞けばたちどころに記憶がよみがえってくる。同じ地名を聞いても、ある人は距離を連想し、またある人は高原の景色を思い出すだろう。私たちが人に「どちらにお住まいですか?」と尋ねるのは相手と自分の思い出とを結びつけるためなのかも知れない。

2019年5月 3日 (金)

苦楽

楽しい時間はあっという間に過ぎ去る一方、苦しいと感じる時間は長いものである。前者はいつも楽しいかというとそうでもないらしい。例えばマラソン。空気を切り裂いて走り抜ける爽快感は格別なものがあるだろう。足の痛み、息苦しさはと拮抗しているかもしれない。どちらか一方だけだったとしたらマラソンの楽しみは半減することだろう。楽しみと苦しみは表裏一体のものなのである。

2019年5月 2日 (木)

人気

観光客に背を向けて人気のない公園のハナミズキを愛でていると、一日が静かに過ぎてゆく。行楽地の混雑ぶりをテレビで見ると、静かに過ごした自分がどことなくすねているようにも感じられる。かといって、人気のない遊園地ほど淋しいものはあるまい。混雑に背を向けているのは、心の片隅でそこに身を置きたい気持ちがあるからかもしれないのだ。

2019年5月 1日 (水)

自分との出会い

私という人間はいろいろな顔を見せながら生きている。友達と共にいるとき、家族を前にしたとき、目上の人と接するときの顔…全部が自分である。いったい普段自分はどんな顔をしているのだろうか。もしその顔を見ることができたとしたら、興味をそそられる半面、すこし怖いことかもしれない。しかし、普段の自分と出会うことができる瞬間があるのだ。それも思ってもいないところでである。

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