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2019年7月の31件の記事

2019年7月31日 (水)

真理

物事の真理はこの世にあまねく存在している。それが見えるのは問いを立てたときである。病気になって初めて薬の効能があらわれるようなものである。問いを立てるとは、悩みが生じたときである。それは苦しく、壁にぶつかり、にっちもさっちもいかなくなったときである。その悩みが生じたとき人は真実の声に耳を傾けることができるのである。

2019年7月30日 (火)

名前

人にそれぞれ名前があるように、道具に名前を付けている人もいる。知り合いは4台あるパソコンに、「さより」、「いくら」、「かんぱち」、「いとう」と名付けていた。子どもが飼い犬に名前を付けるのも愛着も持っているからだ。そう考えると、私たちが筆記具を手にするたびに、「トンボ」、「MONO」と心の中でささやきかけているのかもしれない。

2019年7月29日 (月)

快適

冷夏と思えば暑すぎたり、湿気も多くても少なくてもダメ、そう考えると丁度よい気候はないのではないか。いつも絶好調といっている人も、どこか無理しているようにも感じられる。気持ちが落ち込んでいるという人の心の中にも、少しは気持ちが晴れることもあるかもしれない。毎日のようにニコニコしている人がいるとしたら、それも怖い話かもしれない。人には感情の起伏があって当たり前なのである。人の顔色を見ながら生活することから自由になるべきなのである。

2019年7月28日 (日)

興味

私たちが興味を示すものは他者が興味を示したものである。その人を先達と呼んでいる。先達が夢中になっている姿を見て、何だろうとのぞき込むところからそれに興味を示し始めるのである。周囲から影響を受け続けているのが私たち人間である。後になってから、なぜそのことに夢中になったのかわからないというのもまた無意識のしわざである。

2019年7月27日 (土)

できる・できない

人はあらゆる可能性を秘めて誕生した。そのうちのほんの一部しか実現させることなく一生を終えるのが大半である。人ができることとは他者から承認され褒められたことである。できないと思っていることは否定されたことだ。どんなに褒められたことでも、それを続けていくうちに、才能や体力などによって自分から見切りをつけるようになる。できないと信じ込んでいることのなかに実はできることがまだ残っているかもしれないのである。

2019年7月26日 (金)

知り難いこと

「近くにして見難きは我が心」と空海が言うように、自分のことは知り難いものだ。人のことは指摘できるのに、自分では何もしない人、背中が曲がっているよと言っている本人の背中が曲がっていたりするのもその例だ。自分の姿を見ることができないのが人間だからだ。鏡を見ればいいではないかと思うが、自分に都合よく見ているのが現実だ。毎日本当の自分の姿と直面していたとしたら、それはそれで怖い話ではある。

2019年7月25日 (木)

本音

「本音で語り合おう」と言われても、それが不可能であることは誰もが知っている。人間は本音を知りたい気持ちと、知りたくない気持ちとの間を揺れ動いている。しかし、相手の語る言葉の中に本音が隠れている場合だってある。表情の上にそれを知ることもできる。にもかかわらず、人はそれを読み取ろうとはしない。人はそれほどまでに自分のことを良い人と思いたいのである。

2019年7月24日 (水)

高所

高いところが苦手という人の話を聞いた。幼いころのことを語ってもらったところ、その時代に言われたことが原因であることが判明した。高いか低いか、という物理的な問題とは無関係だったのである。些細なエピソードや聞き流している語りの中に私たちの葛藤が隠されていることに、人間はなかなか気づくことは少ないのかもしれない。

2019年7月23日 (火)

オアシス

砂漠の真ん中に、奇跡のように水をたたえた場所がある。それがオアシスだ。日々課題や畏怖に追われている子供たちが最も必要としているものは潤いではないか。それを求めて子供たちは家に帰ってくる。そこで彼らはいやされ、くつろぎ、活力を得て生き返るのである。その潤いを与える家こそが心のオアシスではないだろうか。

2019年7月22日 (月)

意見

私たちは人の意見にしばしば左右される。服選びはもちろん、レストランのメニューでさえもいつの間にか店員の勧めやシェフの気まぐれサラダなんかを注文している。私たちは人の意見を聞くことが善で、自分を通すことが悪であるかのように教わってきた。店員の顔色やシェフの怪訝な顔を気にせず、自分の意志で着たり食べたりする勇気がなかなか湧くことは難しいようである。

2019年7月21日 (日)

決断

決断したあとで、それが揺らぐことがある。それを手にした後でもっと新しいものに取って代わられた経験があるからだ。この世には完璧なことなど存在しないのである。物を買えば財布は軽くなり、食べるだけ食べれば苦しくなるといった具合に、満足と不満は表裏一体である。その都度決断する、それがベストなのである。

2019年7月20日 (土)

自分

自分に優しく答えてしまうのが適性検査ではないか。「仕事は好きな方だ」には「ハイ」、指示されたことには従う方だ、ハイ・・どこまで聞かれても、仕事はできればやりたくない、従いたくない・と答えることは何としても避けてしまう私に気づくだけである。本当の気持ちに自分でも出会えないもどかしさが残る。

2019年7月19日 (金)

成長

昔歩いた道も、久しぶりに通ると様子が変わっていることがある。存在していたはずの店がなくなり、新しいレストランがオープンしていたりする。子どもたちも日々成長している。その証はなにか、それは言葉の豊かさである。友達が増え、目にするものが増えるにつれて大人びた口調で友だちと会話しているのを驚きの目で親は見ている。成長するとは言葉の数が増えることである。大人も語彙を増やさないと子供に追いつかれてしまうだろう。

2019年7月18日 (木)

決定

自分で決めたこと、作ったものには格別の愛着がある。もちろん机の配置一つ自分で決めれば、部屋が違った景色として目に映るはずである。なにごとも人まかせ、選んでもらう、決めてもらうことに慣れてしまえば、それはそれで楽である。そして人から批判されることもない。よいことづくしである。そんな批判をものともせずファッションや品物、食べ物など決めることができれば人生にもう一つ楽しみが増えるのではないだろうか。

2019年7月17日 (水)

自然

雨が続けば鬱陶しいとつぶやき、暑くなればなるで文句をいう、それが人間ではないか。それを聞く側の気持ちにもなってほしい、とつぶやく自分がいる。聞く側は、語る側がただつぶやいているだけと知りつつ反応してしまうところから、相手の気持ちとの間にズレが生じてしまうのである。いっそのこと、聞かされる側も自然現象のようにどこ吹く風と受け流せればよいのだが。

2019年7月16日 (火)

インプット・アウトプット

われわれはインプットされた言葉しかアウトプットできない。それは初めて習う言葉が日本語であることで証明される。それと同様に、やさしい言葉をかけられて育てられれば優しい子に育つのである。その反対の状況においては人を貶める言葉が本人の口からアウトプットされることになる。しかしその言葉が人にどう思われるかは本人には気づかれないままである。われわれがどんな言葉をインプットされてきたのかをどのようにして知ることができるのだろうか。

2019年7月15日 (月)

影響

私たちの心はさまざまなことの影響を受けている。空模様・駅が混雑している・・・一番影響を受けやすいのが人の言葉である。ちょっとした一言で心はいとも簡単に崩れ去ってしまう。反対にやさしい一言で慰められ、癒され、勇気が出ることもある。よい影響だけ受ければよいのだが、いろいろな言葉が一緒になって私たちに降りかかってくる。影響を受けない心とはいったいどんな心なのだろうか。

2019年7月14日 (日)

登録

私たちはモノを頭脳に登録する際、そのモノを文字に変換して登録している。信号が赤、とか、自転車といった具合にである。その変換能力が知能である。その速さがわれわれを危険から回避したり、雑踏の中に友だちを見出したりする速さにつながるのである。われわれが生まれて最初に登録した人物、それが母である。

2019年7月13日 (土)

選ぶ

私たちの生活はものを選択することで一日の大半を過ごしている。洗濯を今するか後にするか、食事は魚か肉か、肉は肉でも何の肉か・・どちらでもよいという人も、こだわらないという方を選んでいる。アミダくじのように張り巡らされた選択のあとが船の航跡のように私の後ろに残っていて、その最先端に私は立たされている。これからも選び続けていくことであろう。そう考えると、選択には良いも悪いもないと思えるのである。

2019年7月12日 (金)

失敗

私たちが何か失敗をしたとき、あれほど気をつけていたはずなのになぜ失敗したのか分からずじまいということがある。裏を返せば分かりたくない、という無意識がはたらいているためである。まるで私という人物とは別のもう一人の人間が私の体を操っているかのようである。その人間と会話ができたらどれだけ本当の自分のことが理解できることか計り知れない。会話したい私としたくない私とがここでもせめぎあっている。

2019年7月11日 (木)

休み

休みをとることは今まで考えてきたことをもう一度振り返る大切な時間である。日本では休むことが悪であるかのようにとらえられている。考えては休み、休んではまた考える。この静と動の振り子運動によって人は前に進んで行けるのである。

2019年7月10日 (水)

共鳴

自分の声が広い部屋などで共鳴した時、その響きは耳に心地よい。それを感じるのは風呂場で歌を歌ったりしたときに顕著であろう。反対に、響きを抑えた無響室で声を発すると、自分の声が広がらずに苦しい思いさえするものである。私たちが誰かに向かって「雨が続きますね」と言ったとき、相手が「続きますね」と言葉を返してくれればほっとする。逆に返事がなかったり、「梅雨だから」などとすげない返事をされれば、心は満たされないだろう。その響きのあるなしが人の心を豊かにしたり、虚しくさせることになるのだ。共鳴こそ共感を呼び起こす原動力なのである。

2019年7月 9日 (火)

愛着

自分が好きなもの、それは自分で選んだものである。それが愛着である。自分で選んだモノ・人・こと・学校・会社など自分が選択したものの表面には「好き」の文字が刻まれているので、それをいつも手放すことはない。離れていても、遠くにいても目で追い思い続けているものである。文字通りくっついて離れないものである。その起源はいったいどこにまでさかのぼるのだろうか。

2019年7月 8日 (月)

生きている

生きているという実感は刺激があるかないかによる。ただ食べて寝るだけでは生きているとは言えない。そのためにはどんなことでもよい、刺激を受けることである。その刺激は人によって異なる。仕事・趣味だけにとどまらず何でもよい。ライヴハウスでミュージシャンのパフォーマンスにうっとりするのも刺激であり、歯を食いしばりながらマラソンをするのも刺激である。そこにあるのは個人個人の違いがあるだけで、比べることのできない価値基準があるだけである。

2019年7月 7日 (日)

失敗

私たちはしばしば失敗する。完璧にしたつもり、という言葉は幻で終わっている。完全無欠が実現された瞬間に終わりが来るからだ。完璧を目指しているからこそ未来があるといえよう。さらに、失敗することで人は刺激を受ける。私たちは感動したくても、それがいつも続くわけではない。失敗という形で、心の活性化を図っているのかもしれない。

2019年7月 6日 (土)

曜日

人は何をよりどころとして生活しているのだろうか。それは曜日によってという考え方もあるかもしれない。月曜日と金曜日とでは生活する心構えが異なっている。同じ日曜日でも、午前と午後とではまた異なる感情を持っているだろう。人は曜日や時間によって生かされているのかもしれない。そうした感覚がなくなることを「山中に暦日無し」と昔の人はいうのである。

2019年7月 5日 (金)

感情

人と人とが同じ感情を共有することはできるのだろうか。同じ料理を食べながら、双方が同じ味を味わっているという証明はできないのだ。一人が昨日食べた料理を思い出しながら食べている一方で、こちらはこちらでさっさと食事を済ませて仕事にとりかかろうと考えていることもあるからだ。どうすれば感情を共有することができるのだろうか。

2019年7月 4日 (木)

景色

日本式回遊庭園には、ここから見るとよいといった固定点がない。ある角度から見てしばらく歩みを進めてから振り返ってまた同じ景色を見る。そこにまた異なる景色が繰り広げられる。鑑賞とはすなわちこうした見方を指すのであろう。人間の心象風景もきっとこうしたものだろう。角度を変えてみればその人なりの考え方・感情が見られるはずである。その景色は時・場所・相手とともに千変万化して見えるに違いない。

2019年7月 3日 (水)

真実

「朝日が昇ってきた」というのが一般的な表現である。「地球が自転しているので太陽が昇ってきたように見えます」などと、朝の散歩の最中に隣りの人に言えば、その人は周囲から奇異な目で見られることになるだろう。「びっくりして心臓が止まる思い」などという表現もそうだ。真実とは異なる表現を人はしばしばしがちである。そう考えると、真実はいったいどこに存在するのだろうか。

2019年7月 2日 (火)

無意識に出る言葉

語る言葉は無意識が語る言葉である。意識している私が語ったものではない。だから、子供に「自転車を買ってあげる」とか、友達に「今度食事をご一緒しましょう」などと言ったことも覚えていないことがあるのだ。それが無意識の不思議なところ。自分の顔や声だって、本当に自分が思い描いている姿とは隔たりがあるのと同様に、語っている言葉もそうなのだ。そう考えると、どれだけ自分の無意識が相手に伝わってしまっているのか計り知れない。

2019年7月 1日 (月)

光と影

地球に昼と夜があるように、人間には光と影が存在する。昼は活動し、陽気であり、悪いところなどないかのようにふるまっている。これが表向きの顔である。影の部分については寝ているから分からないというのが本音である。その両方ともが自分なのだと知ることが精神のバランスである。知らずにふるまえば、周囲が右往左往させらることになるだろう。自分の中でそれを両立している人は少ないかもしれない。そのとき影の部分はいったいどこに行ってしまうことだろう。

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