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2019年8月の31件の記事

2019年8月31日 (土)

私たちが絵を見るとき、何かと比較しながら見ていないだろうか。女性の顔を描いた絵を見るとき、それがイラストであっても、アニメであっても、無意識的にだれかと比較している。その誰かとは母である可能性が高いのである。それがベースとなって、好きとか、かわいいとか、心の中で言いながら見ているのかもしれない。

2019年8月30日 (金)

人の気持ちを落ち込ませたり、悲しませ、やる気をそぐのが言葉である。色も形も重さもない発言が人の気持ちを支配していると思うと言葉の効果を感じるものである。反対に、私たちをやる気にさせ、安心感や勇気、自信など生きる力を与えるのも言葉の力である。言葉のプラスの効果を使うこと、それをお釈迦様は愛語と言ったのである。

2019年8月29日 (木)

感情

人間の行動を良くも悪くも支配しているものが感情ではないか。プラスの感情が働けば、どんなことでも成し遂げられるかもしれない。反対に、悪感情が働けば、梃子でも本人を動かすことができなくなるだろう。週末のレストランは大混雑だ。店員を呼んで注文すれば、ハイといって注文に応じる。「まだ食べるの?」などとは言わず、何度でも来てくれる。従うことに徹しているからである。そのとき彼の感情は「無」である。無になれれば何事も達成できる…しかし、嫌なものは嫌というのも感情である。

2019年8月28日 (水)

見られる私

私たちは誰も見ていないのに、いかに格好よく歩くかなどと気にしながら暮らしている。食べるとき、人と会話するとき、段差につまずいたりするときでさえも気にしている。それが過剰であれば、格好ばかり気にする人になり、まったく気にしない人は自由な人といえるのではないか。例えば赤ん坊がそうである。そんな自由な時代はとっくの昔でおしまいとなり、今日も少しは気にしながらつまずかないように歩くことにしよう。

2019年8月27日 (火)

仮面

私たちはその場にふさわしい顔をして日々を過ごしている。店員であれば店員の顔を、客は客の顔をしている。家に帰れば、父や母の顔をしている。子供たちも、親の前では子供の顔をし、先生や友達の前ではそれにふさわしい顔をする。それは言葉やしぐさ、物腰、態度などから成立しているので仮面などと呼ばれている。社会で生きるとは、仮面の付け替えがいかにうまく行われるかということである。大勢の人に合わせていると、本当の自分がどんな顔をしているのかわからなくなることがある。そのことに仮面自身が気付くことがない。本当の私とはいったい何者なのだろう。

2019年8月26日 (月)

衝突

自己を持つと、必然的に世間と衝突する。もめごとの嫌いな人(たぶんほとんどの人)は、衝突を避けるために自己を否定する。そうすることで世間からは「いい人」という評価を受けるので、とても心地がいい。その分、ほかの場所で自己を主張しているのかもしれない。その対象が誰なのか、ターゲットにされた方はたまったものではない。そんなことを他の人に語ったところで、誰も理解してはくれないだろう。われわれは知らず知らずのうちにそうしているのかもしれない。

2019年8月25日 (日)

記憶力

秀れた記憶力の持ち主と接していると、すごいと思う反面、この人はどこまで自分のことを記憶しているのだろうかと不安な気持ちになる。君はあの時こんなことを言ったよね、とか、あんな失敗をしたね、などとご親切に告げてきそうである。法事の席ではそんな会話があちこちで聞かれたりする。記憶にない、とか、そんなことは忘れた、などと言ってくれる人のそばで人は癒されるものである。

2019年8月24日 (土)

11年

仏教では「唯識三年倶舎八年」という言葉がある。修行僧でさえ自分を知るのに三年、本当の内面を知るのに八年もかかるという。倶舎とは、蔵とか入れ物のこと。精神分析でいう無意識に近いものかもしれない。桃栗三年柿八年とどちらが古い言葉かわからないが、修行僧でもそれだけかかるとしたら、自分などはどれだけ時間がかかることか計り知れない。それが分かった時、きっと今までとは違った世界が目の前に現れるに違いないと、自己のことさえわからない身としては思っている。

2019年8月23日 (金)

多彩

ファミレスに行くと、女性陣の食の多彩さは目をみはるばかりだ。ステーキ、パスタ、ラーメン、タピオカ…ドリンクバーには40種類の飲み物が用意されテーブルには組んでくるカップは色鮮やかである。それに比べて男たちの牛丼一筋という単調さは何だ。彩の豊かさは食に始まり、ファッション、室内装飾、読書、趣味…女性に学べ、と自分にも人にも言いたい、などと考えながら、いつものカウンターに陣取っている。

2019年8月22日 (木)

無意識

五知覚、そして悲しいという感覚、さらに自己意識というものがあると分かった。それでおしまいかというと、さにあらず。その下にあるもの、それが無意識である。意識がないという意味ではなく、意識はあるがそれを意識化できないという意味でこう呼んでいる。果物は母の好物だったと、言葉にならないような記憶とともに味わっているのがそれである。それでおしまいではなく、母の好物→母の顔→母の生家→藁ぶき屋根→父と食べたそうめん…といった具合に延々と続く連想こそ無意識と呼ばれる世界である。

2019年8月21日 (水)

自我意識

人間には五知覚以外に、うれしい、悲しいという感覚が存在すると言ったが、隣人と果物を味わいながら、この果物にまつわるエピソードを思い出していれば、それこそ悲しいという感覚である。それに加えて、人間には自己意識というものもさらに存在するのだ。なぜ友は私に果物をご馳走してくれているのだろうか、などと考えている自分、それが自己意識というものである。

2019年8月20日 (火)

感覚

一般に五感と呼ばれるものがある。視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚の五つである。それらは、現実に言葉で表現可能なものである。同じものを食べているとき、「この果物は美味しいね」と隣の人に言えば、そうだねと返事をされる。そのとき、きっとその感覚は共通のものであると感じられるはずである。ところがそれ以外の感覚があって、それが実に厄介な代物なのである。それは、うれしい、悲しいといった感覚である。我々はそう言われた時、相手のことをただ何となく、そうなんだろうと想像することしかできないのである。そんな復唱でも、返事をされればやはりほっとするものである。

2019年8月19日 (月)

読み取る

人は知らず知らずのうちに相手を傷つけている。「おはよう」という挨拶に同様の挨拶を返しても、相手はこちらの表情や口調などで愛想のない奴だというレッテルを貼ってくることもある。店に行けば、店員が返事を返さないだけでもこちらが少しは傷つくことを私たちは日々経験している。どうすれば傷つかずに済むかといえば、人と会話しないことである。それでは生活ができないではないかというお叱りを受けそうであるが、それがベストである。

2019年8月18日 (日)

子供時代

子供時代は想像の時代だ。ああしたい、こうしたい、サッカー選手にもなりたい、金持ちにもなりたい…そんな空想話に大人たちは笑いでもって答えている。その笑いの意味はいったい何かということも知らないまま子供たちは日々を過ごしている。そんな話に真剣に耳を傾け続けてくれたら、自分はもっと違った人生を歩んでいたのかもしれない。それもまた想像の世界。

2019年8月17日 (土)

イメージ

何かを成し遂げようとするときに大事なことはそのことをイメージすることである。それが基準となってイメージが膨らんだり、改変したり、あるいはまったく違ったイメージになったりもする。それに向かって人は工夫したり、準備したりするからである。他人にそうしたイメージを語ろうものなら、たちどころに反対されたりすることがしばしばある。聞き手が、その膨大なイメージを聞かされてはらはらしてしまうからである。聞き手が「それは無理だ」と言わずに、自分で「これは無理だ」と感じさせるにはどうすればよいのだろうか。

2019年8月16日 (金)

道具

人類は多くの道具を作り出してきた。その中で最も優れたものは言葉である。言葉がなければオリンピックスタジアムも建てることはできず、オリンピック新記録も生み出すことができなかったはずだ。そう考えると、言葉とは道具以上に、我々の体を作っているものそれ自体ということができよう。我々の体が言葉でできているとしたら、体の症状も言葉として解読できるはずである。

2019年8月15日 (木)

聞く

人が人の話を聞くときは、自分の心を無にして聞くことが望まれる。語り手は真っ白な紙に自分の思いを書き連ねることができるので、語り手は大いに癒されることになる。一方の聞き手は、白紙の心が相手の「暑さで仕事が大変だ」などの言葉でいっぱいになってしまうので疲れるのだ。疲れないための方策が二つだけある。それは何か。

2019年8月14日 (水)

元気

人から「元気出して!」と言われても出ないものは出ない。言われた方も「ハイ!」と答えてしまうのが人情である。出せと言われて出るのであれば、人はどんなことだってできるはずだ。そうできないのには訳がある。人は三つの状態を交代させながら生きている。いつも元気にふるまっていたら、いつか疲弊してしまうだろう。自分の現在の気持ちに正直であればよい。そのためには、自分の体の声を聴くことが一番なのである。

2019年8月13日 (火)

遊び

近所の運動公園から、サッカーの試合の歓声が響いてくる。その公園の一角では珍しく野球の試合が行われている。メンバーは60歳以上の方々と見受けられる。その世代は明けても暮れても野球が生活の中に浸透していた。人は子供時代に親しんだことを生涯にわたって味わい続けるのではないか。子供時代に何に夢中になっていたことだろう。

2019年8月12日 (月)

大波

画家が海辺で制作に打ち込んでいるとき、晴天で無風、大きな船が通ったわけでもないのに、突然大きな波が襲ってきて頭からずぶぬれになることがあるという。一発大波と呼ばれるものである。私たちの生活でもそんなことがあるのではないか。ふと仕事のヒントが浮かんだり、突然元気が湧いてきたりすることはないだろうか。それが怒りでも、悲しみでも、活気でも何でもよいのである。それが人間の感情ではないだろうか。

2019年8月11日 (日)

小学生の子供を持つお母さんからの質問があった。子どもが楽をすることばかり考えていて困るという問いかけであった。考えてみればわかることだが、人は楽をするために生きているのではないだろうか。エレベーター、車、新幹線…それらは、いかに快適に、スピーディーに過ごせるかだけを考え続けた結果なのである。

2019年8月10日 (土)

差異

人は差異に生き、差異に悩む。誰かが入手したものを見ては、自分のものと比べて安心したり、悔しい思いをしたりする。本当に自分が欲しいかどうかではなく、人と比べて高いか安いか、大小、色や重さなどの違いを比べながら一喜一憂している。他人と比べるだけではなく、自分が買ったものと比べてもいないだろうか。品物の価値はそれ自体にあるのではなく、差異の中にあるといっても過言ではない。自分が本当に欲しいものはいったい何だったのだろうか。

2019年8月 9日 (金)

流れ

北海道に小川が蛇行している湿原がある。小さな池塘を囲むようにくねくねと悠久の時を刻んでいる。まっすぐ流れればいいではないか、と考えるのは人間の勝手であろう。まっすぐに流れるのも自然、曲がりくねるのも自然。自然は互いを批判することなくただ流れるのみである。

2019年8月 8日 (木)

いつするか

即断と決めて、蜘蛛の巣取りなどの作業を始めてみたらすぐに終わってしまい、夏休み期間中にしようと思っていた仕事がなくなってしまった。大したことはないと思っていたことが意外にも大仕事だったり、反対に大仕事と考えていたことがさほどでもなかったりすることもある。大事なことはそれをいつするか、という一点にかかっている。

2019年8月 7日 (水)

即断

物事を後回しにしてよいことは一つもない。買い物・食事はもちろん、ガソリンを先に入れておくかどうかまで、先にしておくことが大切だ。それはその時になればその時で、新たな課題が発生して対処しなければならなくなるからである。それでも、誰かに先回りされて希望の服が手に入らなかったとしても、それはそれで縁がなかったと考えることが大切である。

2019年8月 6日 (火)

善悪

私たちは物事を善悪という基準でとらえてはいないだろうか。働くことはよいことで、怠けは悪といった具合に。もし前者だけが善であるならば、人は休みなく働き続けなければならないだろう。物事を善と悪という二分法でとらえるのではなく、どちらもあっていいのだというようにとらえること、それが精神のバランスではないだろうか。

2019年8月 5日 (月)

すぐに

「ギターのバンドはどうすれば組めるの?」と近所の友達に聞いた翌日、彼は私一人のためのコンサートを私の自宅で開いてくれた。彼は友人を伴って突然現れ、バンジョー片手に3曲歌い、嵐のように去っていった。その間、解説・説明・方法など一切なし、ただひたすら歌い、ギターをかき鳴らし去っていった。触発されるとは、言葉ではないのだ。

2019年8月 4日 (日)

飾り

「あらゆる製品があります。それは、リーズナルブル、ハイ・クオリティー、バラエティに富んでユニーク、驚きと楽しみに満ちた品物を用意して皆様をお待ちしています。」百円均一の店の入り口に英語で書いてある文章である。そんな英文に誘われて品選びするころにはイタリック体の文章は頭からすっかり離れて、製品にキズがないかだけに頭を使っている自分がいる。

2019年8月 3日 (土)

新製品

買ったばかりの品物も、数ヶ月たつと新製品に取ってかわられ、前より高級になったと知らされる。あの時手にしたものはいったい何だったのだろうかと感じられてしまう。われわれはこうした消費文化に組み込まれていて、ここからの脱出は不可能なようである。満足とはほんの一瞬の出来事なのかもしれない。われわれはそんな一瞬一瞬の満足をこまかく繋いでいくことに一生懸命になっている。

2019年8月 2日 (金)

見本

誰かが仕事や趣味を楽しんでいることを目の当たりにしたとき、楽しそうだな、と感じて自分もそれをやってみるだろう。周囲からはマネしていると言われても、その人と同じように道具をそろえたり、見よう見まねで挑戦してみるだろう。私たちは周囲の人や物事を模倣することから自分を形成していくのである。それは、日本語を模倣しながら自分の中に取り入れていったようにである。すべての人が自分の師匠なのである。

2019年8月 1日 (木)

見いだす

大勢の人の中にあっても、私たちは大切な人を見つけることができる。それが見いだすということだ。一人一人の顔を見比べなくても、それが可能なのである。それはその人に関心があるからだ。その識別能力の源は、私たちがこの世に生まれて最初に出会った人物、すなわち母にあるのである。母が自分に最大の関心をもってくれたからこそ、自分が母に関心を向けるようになったのである。

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