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2019年12月の8件の記事

2019年12月 8日 (日)

二人の私

私の中には二人の私がいる。それは例えば電車に乗ったときなどに登場する。すわっている私の目の前に老人が立ったとき、ひとりの私がこう言う。「席を譲れ」、と。ところが、その背後からもうひとりの私が現れてこう言う。「譲るな」、と。その二人にとっての仲裁者は不在のままなので、私は相変わらず二人の私に分裂したままとなる。このとき、仲裁者は、実はいるにはいるのである。

2019年12月 7日 (土)

無意識

私たちの思考は親の思考である。親が真面目一辺倒で生きてきたとすれば、子供はさぞ窮屈な家庭と感じるだろう。そうなると子供は怠惰な生活を送ることによって、精神の安定を図ることになるのだ。なぜそうしてしまうかというと、親の無意識に怠惰が隠されているのを、子供は無意識に感じ取って、そうするのである。本人がそれを知ることはない。立派な両親のもとに育った子供がそれほどでもないというのもその現れである。子供自身もまたそのことを知らない。こうして無意識は世代から世代へ、祟りのように伝承されていくのである。

2019年12月 6日 (金)

ブランド

服を買うとき、ブランド名を気にしてしまう。それが似合うかどうかよりも名前が優先してしまう。名前を見ただけで似合っているような気がするのは、企業の戦略に乗せられているのだろう。何となく着心地が悪くても無理して着ている。いっそのことブランド品などなくなればいいのに。そうなった時、何を基準に選べばいいというのだろうか。

2019年12月 5日 (木)

本当のこと

人から「本当のことを言ってくれ」と言われてその通りにしたら激怒されたという話がある。本当のことを知りたい気持ちと、知りたくない気持ちとの間でさまよい続けているのが人間ではないか。知らぬが仏、と言われるとおり、知らないまま一生を終えるのもいいかもしれない…という気持ちと、やはり知りたい、という気持ちと両方あるようである。

2019年12月 4日 (水)

真似

私たちは誰かの真似をしながら成長してきた。仕草・クセ・言い方・趣味・生き方…すべて誰かの真似である。しかし本人がそれを意識することはない。他人からそのことを指摘されても、受け入れない。日本語をしゃべっているのも真似だ。ちょうど、幼い子供たちが突然「オレ」と言って大人たちを驚かせたりするが、本人は一向に気づかないようにである。良い・悪いの区別なく真似しているので、人に迷惑をかけているかもしれない。「それがあなたの悪い点だ」などと指摘してくれる人もいない。自分の本当の姿はどこに見ることができるのだろうか。

2019年12月 3日 (火)

料理

食事の基本は、五感を満足させることである。味はもちろん、香り、食欲の三拍子がそろうとともに重要なのは視覚である。盛り付けは料理の華と言われるとおり、作り手は食器選びに神経を使うのである。それに楽しい会話が加わればさらに良い。すなわち家族団欒である。12月、父は家族と時間を共有することが少なくなりがちである。せめてクリスマスくらい、父は家にいてほしいものである。

2019年12月 2日 (月)

つもり

分かったつもり、理解したつもりでいることのなんと多いことか。絆を結びましょう、隣人を愛しましょう・・などと言われて、ハイ、と返事はするものの、どうすればいいのか教わらないままこんにちまで来てしまった。結んでもらった、愛されたという実感もないまま・・どうすればそれらが実現できるのか。

2019年12月 1日 (日)

誇張

話を盛る、という表現がある。おおげさな言い方、と言ってしまえばその通りだが、正確な言い方よりも誇張した表現が好まれる場合もある。驚いた、というより、冷や水を浴びせられたようだ、とか、煮え湯を飲まされた、などと言ったほうが驚きが伝わってくるように感じられる。では真実はどこに表現されているのだろうか。

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