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2020年5月の31件の記事

2020年5月31日 (日)

相対的

人は相手との関係のなかで生きている。こちらが下手に出れば相手は高飛車に、こちらが高飛車に出れば相手は引っ込むようになる。対人関係とは相対的なものである。高飛車に出るのは、自分が上に見られたい願望があるからだ。自分が下手に出るのは、相手の方が高いですよ、と相手に思わせるためである。両者の考えは無意識になっているので、相手を見たとたんにその態度をとるようになるのである。そう考えると、どちらが上で、どちらが下なのか分からなくなる。やはり人と人との関係は対等なのである。

2020年5月30日 (土)

思い出

私たちの身の回りにあるものには思い出がくっついている。その品物を見た瞬間にその時の記憶を思い出している。それは写真であれ、腕時計であれ、さっき買った惣菜の表面にもくっついている。それを身につけ、食するたびにそのときの思い出に触れているのだ。よいものを身の回りに置くとは、至福に囲まれるのと同義なのである。

2020年5月29日 (金)

発散

強い人は、強く振舞うことを周囲から要請されている。例えば、教師は威厳があるように周囲から求められている。生徒は教師を敬うように言われ続けている。そうすることで周囲に迷惑をかけることを防いでいる。しかし、その態度ばかり続けていると、時に緩めたくなったり、威張りたくなってくるものである。ところがそう振舞おうとしたとたんに周囲の目がそれを許さないからまた元の木阿弥、その繰り返しのなかで強い人はより強く、弱い人はより弱く振舞い続けている。その態度に疲れている人たちはどこでその葛藤を発散すればよいのだろうか。

2020年5月28日 (木)

模倣

私たちは最初から自分というものを持って生まれてきたわけではない。誰かの模倣をしながら生きてきたのである。習慣やクセなどはそのうちのほんの一部に過ぎない。どこまでが模倣でどこからが自分なのかと言えば、そのすべてである、といえるだろう。日本語を学んだようにである。両親は勉強好きだったのに、自分は勉強が苦手、という場合はどうなのか、という質問が飛び出してきそうである。習慣やクセなど目に見える部分の模倣はそのうちのほんの一部分でしかない。そのほとんどは無意識になっていて、自分でも気づくことができない、あるいは気づきたくないものである。そのことに一番気づかされるのは、他人から「しぐさがお父さんとそっくり」と言われた時である。それ以外のものもすべて模倣だと考えるとちょっと恐ろしくなる。本当の自分はどうやって作っていけばよいのだろうか。

2020年5月27日 (水)

目指す

森の奥にある沼のほとりに男が立っている。そばに三脚を立ててカメラを据えているので、写真を撮っている人だとわかる。そんな付属物がなかったらきっと散策する人の目には、怪しげな人にしか見えないことだろう。カメラの目指す先には、森の宝石と呼ばれるカワセミが切り株にじっと獲物を狙ってたたずんでいる。カワセミが水面に飛び込んだり、森の奥に飛び去ったりするたびにカメラも方向転換する。カメラマンにとってカワセミは格好の目標である。私たちにとっても、森の宝石や銀座の宝石のような目指すものがそれぞれあるはずである。それは突然目の前に現れたり、木陰に見え隠れしてわれわれを魅了してやむことはない。そんな目標を一つでも持つことができたら幸せなことである。

2020年5月26日 (火)

存在

生きている、と実感するときはどんな時か。それは他者から承認を得たときである。声掛けをしても相手からの返事がなかった時、自分が存在していないように感じることはないだろうか。相手から「おはよう」でも「よう!」でも、単に目くばせだけでもよい。反応が必要である。そのときにのみ、人は生きている実感がするからである。無視、無反応はもっともしてはいけないことである。子どもたちは、叱られてもよいから両親からの反応を引き出すことを常に考えている。それが注意引き行動である。

2020年5月25日 (月)

立場

人の気持ちは、その人の立場に立って答えてあげることが大切だ。こんな当たり前なことを実行することは意外と難しい。「わからずやの上司に叱られた」という訴えに、聞く側が「それはつらかったね」と答えるだけでよいのだが、多くの人は「上司にも上司の事情が…」などと言ってしまいがちである。聞く側が上司を援護してしまっているではないか。その理由は、聞いているうちに、聞く側が非難されているように感じるからである。「上司にも…」といいながら、自分を援護していることになるからだ。言われた方はたまったものではない。聞き手の一言で、叱られた自分が悪いかのように感じてしまう。本人がますます孤立してしまうことに誰も気づくことはない。だれでもよい、その場合は、「それは大変でしたね」の一言だけで答えてあげることが最善の策であると、教えてあげる人はいないものだろうか。

2020年5月24日 (日)

便利

道具は私たちにとって便利なものである。半面、車があるおかげで足腰が弱くなったり、パソコンのせいで文字を忘れるようになってきた。便利さと、能力の退行はなかなか両立しないようだ。もっとも便利な発明品は言葉だ。その機能は人と人とのコミュニケーションを容易にした。しかしその機能を十分に使いこなしているだろうか。言葉のおかげで癒されもするが、振り込め詐欺に引っかかることだってある。車と同様に訓練する場所はないものだろうか。

2020年5月23日 (土)

返還

子どもが成果を挙げた場合、周囲の人は「両親が優秀だから」と言いがちではないか。子どもが運動会で一等賞を取っても、「両親が足が速いから…」などと周囲の人は言うだろう。両親に気を使っての言動が、子の功績がないがしろにしている。そのことに周囲の人が気づくことはない。その時両親が「この子が頑張ったからです」と人に言ってくれれば、子どもたちは自信に満ちた人間になるだろう。子どもの功績は子供に返還してあげよう。

2020年5月22日 (金)

劣等感

人がみんな優秀に見える、そう思い始めたらそれはそれで素晴らしいことである。もし、人が自分より下に感じるようになったら危険な兆候だ。自分には自分だけの良さがあるはずだ。それを感じるためには、他者からの賞賛が必要だ。その言葉がかけられた人のみが、劣等感を感じずに済むのだ。しかし、「自分は素晴らしい」と言う場合、心の中で言える人と、他人に向かって言う人とがいるだろう。その違いはいったい何だろうか。

2020年5月21日 (木)

ほんとうの自分

私たちはいつもほんとうの自分と出会い損ねている。あるときは慈悲深い皇帝であり、ある時は奴隷。あるときには天使、別のときは冷酷な支配者…。ほんとうの自分とはいったいだれなのか。そのどれもが自分と受けとめればよいのだが、何かがその力を邪魔している。その何かもまた自分だ。その力こそプライドと呼ばれるものである。自分を知るとは、それを捨てることである。プライドを捨て去った時、ほんとうの自分と出会えるのである。

2020年5月20日 (水)

選ぶ

服などを選ぶとき、誰かに選んでもらうことで、自分を客観的に見ることができる。しかし、そういうことが続けば、いつか自分で選べなくなるだろう。自分で選ぶことが大切だ。その時に必要なことは、他者からの賞賛だ。その言葉があってはじめて自分で選ぶことに自信が持てるようになるだろう。その繰り返しの中で、自分に「よし」と言える人になっていくのである。

2020年5月19日 (火)

手に入れる

欲しいモノとは、手に入れるまでの間だけのモノである。それを手に入れた瞬間、欲望は消え去ってしまう。宅配便が家に到着すれば、それでおしまい。賞味期限は極めて短い。到着するまで、待ち続けている間の楽しみはいかばかりであろう。到着した品物は確認終了後、ただちにタンスの中か机上に直行である。それに囲まれて私たちは生活している。満足もしている。たった一冊バックナンバーが欠けているだけで、それも欲しいものの対象になる。私たちに欲望するものがなくなった時、私たちの身に何が起こるのだろうか。

2020年5月18日 (月)

成長

時の移り変わりは何によって知るのか。固い蕾だったバラも、2~3日経つと花びらを開かせている。それが時の移りだ。毎日接しているときには気づかなかった子供たちの成長も、少しの間に成長しているのを見て驚くことがある。それに比べて大人の成長は遅々として進まない。その違いは外見だ。身体的成長は青年時代にほぼ終えてしまう。しかし、ちょっとした言葉遣い、単語の豊富さに人の成長は顕著に表れる。言葉遣いの豊かさが本人の成長である。すなわち、人は永遠に成長し続ける生物と言うことができるのではないか。

2020年5月17日 (日)

前を見る

人はしばしば後ろを見がちである。「あの時こうすればよかった」、「こう言えばよかった」などと、過ぎ去ったことをぶつぶつ言っている。その時、人は前を見ていないのだ。もし後ろばかり見ていたら、電信柱にぶつかってしまうだろう。過ぎたことはつぎつぎ消去していく、そうすることで、人は前を見ることができるのである。

2020年5月16日 (土)

思い込み

人はつい思い込みをしがちである。良い方にも悪い方にも考えがちである。きっと良くなるだろう、と考える場合もあれば、あのお客さんは怒っていたからきっと買ってはくれないだろう、とも思ってしまう。なぜ思い込むかといえば、思い通りにいかなかった場合を想定しているからである。その通りにいくことだけを考えればよいのだ。たとえその通りにいかなかったとしても、それは仕方のないことと受け止めればよい。そう思うことを理性と呼ぶのである。

2020年5月15日 (金)

内向

思考が外に向かなくなれば、考えは内向きになるものだ。家の中でできることは何か、とか、本箱の整理、あるいは、庭仕事・・整理棚やDIYが売れている要因もその辺にありそうである。それも一段落すれば、自分とは何か、何のために生まれてきたのか・・と考えが深くなってくるのは必然の流れかもしれない。そんな深みに入り込む前にこの騒ぎが収まってしまえば、再び思考は外に向くようになるだろう。そのころには鍬やシャベルも庭の片隅に追いやられ、見向きもされなくなるのだろう。

2020年5月14日 (木)

晴耕雨読

晴れの日は耕し、雨の日は書物に親しむ。そんな日々を過ごさざるを得ないときもある。これなら友達がいなくてすむ。「友達がいないのが悩み」というラジオの人生相談ごとに対して、お高くとまっている、という回答に驚いてしまった。雨読はよしとして、畑仕事を手伝いたいという私の申し出に、あなたには無理、と一言のもとに断られてしまった。この答えこそ名回答というべきであろう。

2020年5月13日 (水)

うっとり

歌手がうっとりとマイク片手に歌っている。自分の声にうっとりしているからだろう。歌手にとって一番の聴衆は自分ではないか。その感動が聴衆の表情の上に見ることができれば、感動が倍増するだろう。相手を感動させるにはまず自らが感動することだ。自分のことが好きになればきっと相手のことも好きになれるに違いない。

2020年5月12日 (火)

立場

人が人の気持ちを理解するとはどういうことだろうか。会社の上司は部下の気持ちを理解できず、部下は上司の気持ちを理解できない。お互いがお互いに「自分の気持ちなど分かってはくれない」と心のなかで叫んでいる。その部下も昇進したとたんに部下の気持ちがわからなくなるのだ。それが立場の違いだ。親と子、教師と教え子、店員と客・・もともと脳が一緒でないから理解できない。理解するとは幻なのか。男と女など理解し合えない典型的な関係だ。一番理解できない相手はいったいどこにいるのだろうか。

2020年5月11日 (月)

感情

人間は感情の生き物だ。感情は一定とは限らない。ご機嫌のよい日が続くことはあり得ない。24時間ずっと笑顔を絶やさない人がいたとしたら、それはそれで怖い話かもしれない。毎日笑顔の絶えない家庭・・ときに喜怒哀楽を出してもいいかもしれない。それらをいつでも出せる家庭、それが理想である。

2020年5月10日 (日)

諦め

捨てなければよかった、と後悔することはないだろうか。あのときの判断は間違いだったのか、私は愚かな選択をしたのか、などと思っても後の祭。そんなときは、縁がなかった、自分には不要だったと諦めることだ。必要なら買い直せばいいのだ。新しくて、便利なものがきっと手に入るものだ。そのとき、愚かな選択が賢い選択に変わるはずである。

2020年5月 9日 (土)

モノ

身の回りにあるモノには思い出がくっついている。その思い出は手にした店であったり、プレゼントしてくれた人の笑顔や、匂いだったりする。懐かしくて思わずギュット握りしめたくなるものであり、毎日身につけていたいものでもある。だから捨てられないのだ。それらを捨てることができたとき、どんな世界が現れるのだろうか。

2020年5月 8日 (金)

出会い

人生は出会いの連続である。人との出会い、本、友達、住まい・会社・・それらが私の性格を形作るといってもよい。よい出会いをしたいと思っても、運命の導きで違う場面に出会ってしまうこともある。運命の導きとは無意識の別の名前である。

2020年5月 7日 (木)

意味

私たちは目の前で起きた現象に意味をつけたくなる。電車に乗り遅れる、買いたいものが品切れ・・それらをすべて自分のせいにしていないだろうか。日頃の行いが悪いから、バチが当たったから、などと、諦めるための口実を作っている。遅れた、とか、品切れだっただけ、と受けとることができれば、悩むことはないのだ。単純に考えること、それが一番の解決法である。

2020年5月 6日 (水)

飾り

「南側向きの出窓に置いたランチをほうばっていると・・」などと書くとしゃれて聞こえるが、実は、机の上がごった返していて場所がなく、しかも、カップ麺である。後者を読まされたとしたら、身も蓋もないものが、前者で聞くときれいに感じてしまう。もし、後者のような会話だけで世の中が成り立っていたら、きっと味気ない世界になることだろう。言葉を使うとは、置き換える力を養うことではないだろうか。

2020年5月 5日 (火)

飽きる

一つのことばかりしていて感じることは、飽きることではないか。子どもたちが次から次に遊びを考え出すのも、飽きてくるからである。そう考えると、飽きるとは進歩と言えるだろう。人は退屈だからこそ、何かを考え出す生物なのかもしれない。

2020年5月 4日 (月)

同じ

人は皆同じテーマで悩んでいる。多くの人は自分だけが悩んでいると思いがちである。それを誰かに語ったとき、相手にも同じ悩みがあると分かり、自分だけではないことを知るのである。そのとき得るのが共感である。悩みは誰かと共有することで、半減する。そして安堵し、前に向かって進めるのである。

2020年5月 3日 (日)

発見

人は発見したことを誰かに話したいと思っている。それも自分だけが発見したことを、である。その発見を誰かと共有することで、感動が二倍になるからだ。聞く側も大きな感動をもって受け止めてほしいものである。

2020年5月 2日 (土)

語呂合わせ

私たちは語呂合わせが好きである。特に日本人はそうだ。電話番号、車のナンバーなど、何かにつけて言葉に置き換えてしまう傾向がある。なぜなら、言葉に置き換えて安心感を得たいからだ。置き換えられた言葉にも、読む人の願望が隠されていると言えるのではないか。私たちは、願望とともに喜び、願望に苦しんだり、目標を得ようとしていると言っても過言ではなさそうである。

2020年5月 1日 (金)

言葉の奥

私たちがふつうに喋っている、その奥に何か言葉が潜んでいる。こんにちは、というごく当たり前のあいさつの奥にだって、何か本当に言いたい言葉があるはずだ。それを理解してほしいと切実に感じてもいる。その言葉が何なのか、自分でもわからないのだ。それが分かり、また分かり合えたら、私たちはどんなに癒やされることだろうか。それは夢のまた夢なのだろうか。

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