模倣
私たちは最初から自分というものを持って生まれてきたわけではない。誰かの模倣をしながら生きてきたのである。習慣やクセなどはそのうちのほんの一部に過ぎない。どこまでが模倣でどこからが自分なのかと言えば、そのすべてである、といえるだろう。日本語を学んだようにである。両親は勉強好きだったのに、自分は勉強が苦手、という場合はどうなのか、という質問が飛び出してきそうである。習慣やクセなど目に見える部分の模倣はそのうちのほんの一部分でしかない。そのほとんどは無意識になっていて、自分でも気づくことができない、あるいは気づきたくないものである。そのことに一番気づかされるのは、他人から「しぐさがお父さんとそっくり」と言われた時である。それ以外のものもすべて模倣だと考えるとちょっと恐ろしくなる。本当の自分はどうやって作っていけばよいのだろうか。