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2020年6月の30件の記事

2020年6月30日 (火)

感想

雨が降れば不満を言い、晴天が続けばこれまた不満を言い続けるのが私たちではないか。そうした不満は心のなかにためておけばやがて鬱積して体の不調につながることになる。それらを誰かに聞いてもらいたいとも思っている。ところが聞かされる側はあまりよい気持ちにはならないのが普通である。話す側は感想を言っているだけでも、聞く側は、「しかたないじゃないか、梅雨だから」とか、「私に何が言いたいの?」などと返したくなるのも人情だ。言う側は言いたい、聞く側は聞きたくない、こうしたすれ違いのなかで互いが暮らしている。

2020年6月29日 (月)

前進と後退

人間の顔が前についているように、私たちは前しか見えないようになっている。しかし、ときには、あの言い方で良かったかな、とか、こうしておけば良かったのに・・などと考えたりする。それが後退の思考だ。後ろのことぱかり考えていれば前に進むのに極めて危険だ。前ばかりを考えていたらきっと傲慢な性格になってしまうに違いない。どうしたら後退の思考を前進の思考に活かすことができるのだろうか。

2020年6月28日 (日)

目指す

私たちにはそれぞれ目指すものがある。それは知識・情報・モノなどさまざまである。美味を求めればグルメに向かい、別の人は星や植物に向かったりする。他人にはなぜそんなことを目指すのかさっぱりわからなくても、本人は真剣だ。きっと何かを目指していたときに褒められた経験があったからなのかもしれない。

2020年6月27日 (土)

反省

欲望とは満足を得られた一方で、反省もしてしまうやっかいなものである。欲しいものを手にしたあとで、友達がもっといいものを手にしていたり、買えば買ったで、財布が軽くなった、とか、昔の製品の方がよかったのではないか、などと心の中は満足と不満足の両方の気持ちがぶつかり合っている。永遠に私たちは満足は得られないのか、どうすれば満足したまま生きていけるようになるのか、ここでも、満足をめぐる議論が頭の中でグルグルと渦を巻いている。

2020年6月26日 (金)

性能

この製品は他の製品より優れている、と言われて手にしていることが多い。その性能をどれだけ使いこなせるか、より、その性能を手にしていることに満足している。そこには大きな欠如がある。それが劣等感だ。もしそれがなかったら、新製品にも高性能にも興味がなくなるだろう。すなわち劣等感こそわれわれを進化させる源なのかもしれない。

2020年6月25日 (木)

性格

あの人はきつい性格だとか、優しい性格だとか、一言で評価しがちである。そうした一面だけで生きていけるはずはないのに、である。それはその人の一面しか見ていないことになる。教師は生徒の前で頼りない姿は見せられず、店員はお客を前にしてへりくだる姿をとり続けることが要求される。性格とは、相手次第でコロコロ変わるものである。もしある態度を自分に対してとる人がいたら、自分にもその態度がないかどうかを振り返ってみることである。

2020年6月24日 (水)

沈黙

人が沈黙しているとき、内面と対話している。あれかこれか、買うか買わないか、あちらを立てればこちらが立たず・・無限ループに陥っているのが、私たちの日常だ。そんなとき、他人に語ることで自分自身を客観的に見ることができるのだ。ちょうど服が似合うかどうかを、自分の身に当てて見るように。その時自分自身に気づくことができる。沈黙と語り、静と動のなかで人は自分自身と出会うのである。

2020年6月23日 (火)

求める

子どもたちの求めるものは無限に存在する。ゲーム、オモチャ、お菓子・・いつでも求め続けてやむことはない。大人にもそんな気持ちはあるが、抑圧の壁に阻まれて口に出すことはない。ということは求めるものはやはり存在している。大人のそれは高価だからだろうか、諦めているか、口に出さないだけだろうか。子どもも大人もいつも求めているものは、ドラマや小説のなかで常に語られているものである。それは何か。

2020年6月22日 (月)

成長

子どもたちの成長の速度は著しく感じる。それは身長の伸びにとどまらず、ランドセルがカバンに変わったりして、視覚的に変わるからである。それに比べて大人のそれは目に見えにくい。大人の成長はどうやって確かめられるのだろうか。

2020年6月21日 (日)

すぐに聞いて欲しいもの、それが私たちの話だ。後回しにされると忘れてしまうからである。それらはたいした内容ではないものかもしれない。聞く側からすればそれがどうした?というものかもしれない。それでも心の内にたまっているものを吐き出してしまいたい衝動にかられる。その時聞いてくれる相手が必要だ。聞いてもらえないと、歩きながらぶつぶつ言い出すかもしれないからである。

2020年6月20日 (土)

怖い

ちょっとした言葉で人は怖がることがある。言った人は、「なぜそんなことぐらいで怖がるの?」などと怪訝な顔をするが当人にとっては地獄の沙汰だ。それは犬の話や、人名であったりするが、それらはある恐怖体験と結びついている。しかし、あまりにも辛いことなのでその事実を思い出すことはできない。語れる体験はたいしたことはない。そのことには触れないで、と言われたら追求しないことである。

2020年6月19日 (金)

刺激

人は刺激に囲まれて生きている。椅子の座り心地が悪いと感じて座る位置を変えたり、心地よい椅子を探したりする。隣の家が車を買い替えれば、自分の車を替えたくなる。新製品が出たとテレビが訴えれば、デパートに向かったりするのが人間ではないか。刺激がなければ退屈だろう。ありすぎれば心を定めることは困難となる。そうした忙しさを遮断するためにあるのが睡眠ではないだろうか。

2020年6月18日 (木)

競う

人間は競うことが好きである。スポーツなどで新記録や1点の差で手に汗を握ったりする。ところが競技が終わってみると、2位以下は物の数に入れてもらえないような対応を受けている。競うことは過酷なことだが、反面そのために科学技術は飛躍的に向上してもいる。2位以下の人たちはどうすればよいのだろうか。そんな競う世界に身を置きたくないと考えている人はどうすればよいのだろうか。

2020年6月17日 (水)

先頭

デパートでの買い物客を見ていると、家族連れの先頭に立っている人が買い物の主人公である。意気揚々としたその姿は凛々しく目に映る。いったん買い物が終われば、攻守交替だ。次男か次女が今度は先頭に立つ習わしだ。先頭の人の足の速さに比べて、他のメンバーは少し遅れ気味である。彼らにとって、似合うかに合わないなど、どうでもよい、といった風情が漂っている。常に先頭に立たせてあげることだ。それによって、先頭に立つ喜びと、付き合ってくれる人への感謝を学んでいるのである。

2020年6月16日 (火)

食物

人によって食べ物の好き嫌いはあるものだ。嫌いの度合いたるや、ちょっと嫌い、などというものではない。その食べ物を口にした途端にアレルギー反応を起こすくらいに嫌いなものである。これはかなり危険だ。場合によっては命にかかわる反応でもある。他人は、美味しいのに、とか、信じられないなどと冷ややかである。ところが本人にとっては深刻である。それがアレルギー反応である。信じられない、などという人も、嫌いな人が目の前に現れれば、アレルギー反応だ、などとのたまう。嫌いなモノに悪い思い出がくっついているように、嫌いな人にも何かの思い出がくっついているに違いない。その思い出を語れた時、きっとその食べ物を口にすることができるはずである。

2020年6月15日 (月)

評価

人の評価は的を得ていないことが多い。誰さんは無責任極まりない、誰君はいい加減だ・・と言う評価を聞いたあとで、本人に会って見ると、きちんとしていたりすることも多々。愚妻、愚息と言われて、本人に会ってみたら、良妻・才子であったりもする。人は謙遜で言っているのだと言うが、果たしてそうだろうか。誰を誰が評価しているのだろうか。

2020年6月14日 (日)

思い遣り

思い遣りとは、相手の立場に立って考えること、と辞典にはある。これを実行することは難しい。思い遣りの起源は養育期間にさかのぼる。赤ちゃんが泣けば、母は赤ちゃんが何を要求しているのか、想像力を総動員して対応する。この時代の要求は生理的要求が多く、授乳・おむつの取り換え・抱っこ・あやす…という体の要求を満たしてあげることが基本。ところが、言葉を覚え始めたころから、それだけでは済まなくなる。それが母子の葛藤の開始である。要求にどれだけ応えればよいのか、敏速・適格に応えることが思い遣りの基本と言えるのである。

2020年6月13日 (土)

本心

人は本心を知って欲しい反面、知られたくないとも思っている。でも最終的には知って欲しいやっかいな生き物である。語り手の言葉通り受け取ってはならないのである。大酒飲みと思われたくない場合に、「のどを潤していかないか?」と友に声をかけたりする。その言葉通りに友がコーヒー店に誘ったとしたら、本人は、自分のことを分かってくれない、と思うだろう。そこで親友は、飲食店に誘うことになる。それを思い遣り、と考えるなら、思い遣りとはたいへんな知的作業と言わざるを得ない。

2020年6月12日 (金)

目標

私たちは日々何かを目標としている。それは刻々と変化し、姿を変え、多彩さを増している。人から目標は?と答えられてすぐに答えられないのは目標がたくさんありすぎるからである。あるときは、愛読しているアニメのシリーズの欠けている一巻であったり、今晩のおかずの一品であったりする。だから、目標は?などと聞かれて肉厚のシャケの切り身で・・などと答えたら怪訝な顔をされること間違いなしである。それを知っているから、ちょっと洒落た目標を伝えることになるのである。それも目標、シャケも目標、目標があることは楽しくも忙しいことである。

2020年6月11日 (木)

経験

私たちが経験したことはほんのわずかなことである。氷山を見たことがある人にとって感動的な経験でも、見たことがない人にとって実感がわくことは少ないであろう。子育て・嫁姑問題・老後・ケガ・病気…本人にとっては重大な問題であるが、それらを心の内に秘めておくことができない経験でもある。それを誰かに聞いてほしいとさえ思っている。その一つ一つの経験を、聞き手がどのような態度で聞けばよいのだろうか。

2020年6月10日 (水)

繋がり

人と人とが繋がるとはどういうことだろう。それは同じ言葉を交わすことだろう。「おはよう」と挨拶されたら、「おはよう」と返事を返すことである。同じ言葉を返されたとき、人は自分の存在が明らかになる。返されなかったときの不気味さはここにある。一瞬、自分がなくなったかのような不安感に陥る。これは恐ろしい体験だ。挨拶とは、自分の存在証明を相手に求める必死の言葉でもあるのだ。

2020年6月 9日 (火)

満たされる

人はいつも不満を抱えている。体のどこかはいつも痛いし、常に空腹で、食べれば苦しくなる。部下や子供は言うことを聞かず、部下や子供も上司や親にいつも不満ばかり陰で言い続けている。車のガソリンタンクがいつもいっぱいではないように、満足というのは満たされた一瞬だけのものではないか。私たちはその状態を目指し続ける生き物なのかもしれない。

2020年6月 8日 (月)

方向

人間には力が備わっている。体力・知力・生命力の三つである。体力を器物を壊せば犯罪だが、既成の考えに使えば進歩である。生きる喜びを感じられれば生命力の源になる。顕微鏡を覗けば研究になり、人の家を覗けば罪になる。すべては方向性一つにかかっている。良い方向に向けるか、反対に向けるか、その境目にあるものこそ知力と呼ばれるものである。

2020年6月 7日 (日)

追い詰める

言葉には力がある。人を生かすのも殺すのも言葉だ。殺す言葉をかけ続ければ、人を追い詰めることになるだろう。「あなたのためだから」、とか、「お前の将来を思って…」という言葉の中にも殺意がこもっていることに気づく人はいないだろう。そう言われて「自分のためを思っているのなら、放っておいてくれ」と言えればいいのだが、追い打ちをかけるようにパワー・人数・経済など総力戦で本人を追い詰めることになる。そうなったとき、本人が使う最終手段は何だろうか。

2020年6月 6日 (土)

口答え

子どもたちは成長するにつれて口答えが多くなる。その行為を成長と受けとるか、反抗ととらえるかが問題だ。前者として受けとれば、それは大人になってからの交渉の方法を学んでいることになり、後者ととらえれば、単なる反抗となるだろう。親なしでは生きられない子どもたちが果敢にも親に物申す姿を、社会に出てからの訓練中…などと見ることはかなりの難かしいことだろう。母は世界中の女性を相手に交渉するための対象であり、父は世界に自分を押し出していくための最初の対象者だ。そんな未来を見据えてはいないはずなのに、子どもたちは今日も口答えし続けている。

2020年6月 5日 (金)

言葉には力がある。人を勇気づけるのも言葉であり、反対に殺すのも言葉である。温かな言葉をかけられればそのまま力になるが、人をあやめたり、マイナスな言葉をかけられたとき、それを建設的でプラスの言葉に変えることはできないものか。あたかも熱すぎる炎も、フライパンという道具を間に介すれば、食材を美味しく調理できるようにである。相手の言葉と自分との間に何かを挟み込めば素晴らしい力に置き換えることができるだろう。「オマエは若いから土日も休まず働け!」などと言われたらどうやって建設的な言葉に変換すればよいのか。その道具こそ知性と呼ばれるものである。

2020年6月 4日 (木)

演技

舞台上でお笑いコントのメンバーがツッコミとボケを演じて観客を笑わせている。ツッコミ役の言葉はかなり攻撃的だが、ボケ役は逆に相手をやり込めたりかわしたりしてお客を笑いの渦に巻き込んでいる。とても演技とは思えないほどだ。セラピーにおける相談事の多くは人間関係である。コントのように相手をやり込め、かわし、ときには突っ込んだり…そんな言葉の数々を繰り出すことができたら……。そんな願望を実現しているのがコントなのであろう。

2020年6月 3日 (水)

価値観

人にはその人だけの価値観がある。ゴルフ愛好家、釣り好き・・その人だけが大切にしている価値観がある。他人からあーだこーだ言われたくない。たとえ言われたとしても聞く耳をもたない。言われて気にするようではまだまだである。たとえ強情といわれようと、頑固と謗られようと譲ってはいけないもの、それが価値観である。それは自分自身を表すものだからだ。ある人が、たくさん所持するゴルフのパターのなかで捨てずに愛用しているものがあるという。なぜこれだけ愛用しているのかと自問自答しているなかで気づいたことは、一番高価であると呟いていた。これも価値観である。

2020年6月 2日 (火)

道具

道具の手入れは大切である。機械の汚れ取り、鎌・ハサミを研ぐことで、作業能率は格段に向上する。心の真理を知るための道具は言葉である。言葉を多く知ることは真理への近道だ。「喧騒」、「騒々しい」はそれぞれ意味が異なる。異なる、と、違うも意味が異なる。そんなことを考えながら今日も鎌を研いでいる。

2020年6月 1日 (月)

アドバイス

人のアドバイスは役に立つのだろうか。夜中に頭上を飛び回る蚊に悩まされている、と友人に訴えたら、その友人は、腕をさらけ出して蚊を止まらせ、彼にいっぱいあなたの血を吸わせることです、とアドバイスをしてくれた。理論的なアドバイスだが、今まで実行したことは一度もない。私の対策法は徹底的に探し出すこと、それにつきる。

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