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言葉を使って、私たちは目に見えるモノだけを語っているわけではない。目に見えないモノだって語っている。例えば「痛い」という言葉がそうだ。どこが、どのくらい痛いのか、どんな痛みなのか、はたまた心が傷ついているのか曖昧である。この、「感じる」という言葉も曖昧である。こうした曖昧な言葉のやり取りをしながら、分かり合えているという幻想のなかで生きているのが人間である。分かり合えることは可能なのだろうか。