臨機応変
私たちの日常は臨機応変の連続である。フォークの代わりに箸、メモ代わりの広告、ご飯からパンに変更、JRが不通なら地下鉄・・。こうした技ができるようになったのはいつ頃からだろうか。それは言葉を覚え始めた頃に遡る。ところが、覚えればそれでいいかと言うとさにあらず。その言葉を親がそう、と認めてくれてはじめて自我が成立するのである。そのとき子どもは、こんな考え、やり方でもいいと感じ自信を得ることになる。私たちはどんな子ども時代を送ってきただろうか。
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