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人はなぜ誰かに向かって語るのか。自分で自分に語るのではダメなのか。それは自分の考えを呈示することで客観的になれるからである。そのとき私は他人になる。呈示された考えを他人として見ることができる。自分のなかでは考えがごちゃ混ぜになっていて良し悪しが判別できなくなっているからだ。一旦呈示したものを見たとき、それは良い、とか、悪いとかが明白になる。それをしないと思わぬ過ちを繰り返すことになるかもしれない。