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「申し訳ない」の言葉が私たちに植え付けられた罪意識である。おのれを後にし、相手を優先する、自己を犠牲にして先方の気持ちを汲む、それが道徳心であり、それに背くことは罪として排斥されてきた。「自分を通したい」自分との葛藤を回避するには、自己を犠牲にする方を選んできた。お蔭で人から叩き出されることからは免れた。人生とはいつ、どんなときに相手を優先し、そのまた逆をするかの方法を学ぶ場所でもある。