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2021年12月の31件の記事

2021年12月31日 (金)

作法

家にはそれぞれの作法がある。元旦に大掃除をやる人もいれば、夏の間に済ませる人もいる。それぞれに一理あるのだ。普通とは、誰が決めた基準なのか。私のなかの普通って何だろう。

2021年12月30日 (木)

ブラックボックス

電子機器はすべてブラックボックスだ。音楽を聴くとき、機器の中を覗いても、音がスピーカーから出てくるメカニズムは全くわからない。しかし、この働きがあるせいで楽しむことができる。クルマのエンジンしかり、テレビしかり…一番のブラックボックスは人間の頭かもしれない。

2021年12月29日 (水)

モノ

私たちの身の回りにあるモノにはすべて思い出がくっついている。それに記憶と感情が一緒になって脳裡に刻みつけられている。自分自身みたいなものである。だから粗末に扱われると腹が立つ。捨てることなどもってのほかである。それを捨てるときはいったいいつか。

2021年12月28日 (火)

決める

一度決めると人はなかなか変えないものだ。毎日ウォーキングする、と決めれば走らないと気持ちが収まらないように。きっと食べない、と決めれば周りがいくら美味しそうに食べていたとしても、みんなが食べているものが異様なもののように見えるかもしれない。それが、決めた、という言葉の力である。

2021年12月27日 (月)

対話

私たちが対話する対象は人だけとはかぎらない。レストランのバイキングのご馳走などはすべて対話相手である。お刺身に向かってあぶらはのっているかと質問している。ローストビーフには焼き加減について尋ねている。そんな対話もない場合は、きっと食べ過ぎになることだろう。

2021年12月26日 (日)

進歩

進歩とはさっきの歩みの否定である。否定とは顧みないことである。さっきの歩みは見事だったとか、こうすればよかったなどと振り返ることはしないように。生き方も同様、振り返らないことだ。そうと知りつつ、私たちはつい後ろを振り返ってしまう。それが反省である。そんな反省は意外にも役には立たない。もし数十年間の反省が効を奏していたならば、今の自分はすごい人生を送っているはずだ。しかしそうなっていないのが現実ではないか。どうするか。

2021年12月25日 (土)

満足

人間に満足はあるのか。あるとすればそれを手にしたほんのいっときである。手にしたそばからすぐに他のものが欲しくなる。それが人間だ。もし一つのもので満足したら進歩はない。進歩とはより新しいものやことを求め続ける意識そのものではないか。

2021年12月24日 (金)

迷い

進むべきか、進まざるべきか、人は曲がり角で悩む。そんなときに発生するのが感情である。情に棹させば流されてしまうのだ。岐路に立たされたときに役立つのが知性である。岐路とは、感情と知性とのせめぎあいの場なのである。どちらが勝利するか。

2021年12月23日 (木)

変える

人間性はなかなか変えられるものではない。明るく生きろ!とか、発言しろ!と言われても、そう急には変えられない。それは私たちの手や足が変えられないと同様、視覚的な変化がないからである。一挙に変わらなければ変わらないのだ。しかし、部屋の模様替えで気持ちは一気に変わる。なぜ気づかなかったのかと思うくらいに、変化してしまう。服を替えるのもよい。とにかく一歩自分を前に進めることが大事である。

2021年12月22日 (水)

挨拶

挨拶を返してくれなかったときは落ち込む。私の後ろを秩父線のSLが盛大な煙を上げながら通過していく。私の前で子どもが手を振っているので、私は子どもに手を振って応えたが、子どもが手を振る対象は汽車だった。手のやり場は頭しかない。そうだ、私に手を振る人などいるわけはない、と知りつつ誰か見てはいないかと気にしてもいる。私は見られたいのか、見られたくないのか。

2021年12月21日 (火)

内界

私たちは音を聞いては何かを思い出し、匂いからも記憶がよみがえる。その記憶が楽しければ顔の筋肉を弛ませてしまったりもする。しかし、人間の記憶は楽しいことばかりとは限らない。それを経験として精神内界に取り入れるにはどうすれば良いのか。

2021年12月20日 (月)

先入観

人はみな先入観に悩まされている。あの人は怖い、と誰かから告げられた瞬間に、その人の規定がなされてしまう。反対に相手を甘く見てしまえば試合に負けたりもする。ブランド、うわさなども私たちに多大な影響を及ぼしている。先入観に左右されずに純粋に対象を見ることはできないのだろうか。

2021年12月19日 (日)

イライラ

人はなぜイライラするのか。そんなことで?と思うことにもイラついてしまうのが人間である。同じ条件がそろってもイラつかないことだってあるからだ。ということは、イラつく原因は対象や事柄にあるのではなく、それらは単なるきっかけに過ぎないのだ。心の奥にイライラを放出したい何かがあるのだろう。それは何だろうか。

2021年12月18日 (土)

見方

私の目の前にプリンの写真がある。購入して食べようかなとも思う。この写真をレストランか何かのメニューに掲載しようと考えている人は発色の良し悪し、照明の具合を見ているだろう。私にとっての食べ物が、カメラマンにとってはインク(こちらの方が正しいのだが)になる。見方によって何にでも早変わりするのだ。

2021年12月17日 (金)

消え去る

私の目の前に京都の清水寺の坂道の写真が置いてある。たくさんの観光客の姿も写っている。このとき、観光客の姿を消し去ることができるのだ。これが消え去り能力である。すぐに閑静な坂道を確認できる。もし、消え去り能力無しで景色を見たとすると。私たちはいったいどんな人生を歩むことになるのか。

2021年12月16日 (木)

聞き分ける

食品売場のレジ台に、用のある方は押すように書いてあるので、小さくチンと金を鳴らした。どこからともなく係員が現れた。この雑踏の中で聞こえるね、と訊ねたところ、聞こることは聞こえるが、BGMや金具が当たる音などに同じような音が混じっていると、それも聞こえてしまうという。私たちもたくさんの音の中から、「お待ちの○○さま」の声だけを聞き分けている。聞こるとは関心である。関心の起源はいったいどこか。

2021年12月15日 (水)

思い

思いは実現する。思わないものは実現しないも同然である。スポーツ選手になりたいという思いがなければなれないということである。才能や環境は自ずと後からついてくるからである。それを後押しするものこそ言葉である。意志を持つとは、言葉を持つことに他ならない。

2021年12月14日 (火)

やり残し

人は誰にでもやり残したことがある。功成り名遂げた人にでも、甲子園に出たかった、とか、ステージに立ちたかった、などとテレビで語っているのを見ると、その地位にいるのに、とも思う。しかしそれでよいのだろう。これで思い残すことはない、と思ったらおしまいだからだ。

2021年12月13日 (月)

見た目

人間は見た目に左右されやすい。見た目だけではなく、文字からの影響も無視できない。ブランド名などはその最たるものだ。そのロゴマークなどが私たちが品物を選択するときの基準になっている。それらはわれわれの無意識に刻み込まれていて、これからも私たちの選択基準に大きな影響を与え続けるだろう。そうした見た目に左右されずにそのモノ自体を見るにはどうしたらよいのだろうか。

2021年12月12日 (日)

食べたいとき

無性に食べたいときがあるものである。それはお腹が空いているとき、美味しそうに食べている誰かを見たときである。お腹が空いているときは志考が集する。何を食べるか、どこで食べるか、どのくらい食べるか…こんなに考えることができるものかと自信がつくくらいである。志考とは空腹がもたらすものかもしれない。

2021年12月11日 (土)

受身

~される、~られる、の言葉には、こちらに向かって押し寄せてくる様子がうかがえる。思いもよらないことを言われた場合などがそうだ。それは前触れもなく到来するので、身をかわす間もない。だから驚愕するのだ。そうした圧倒されるような言葉をかわすにはどうしたらよいのか。

2021年12月10日 (金)

忘れていること

私たちが忘れていること、それは全部といってよい。覚えていることなどほんの一部にしか過ぎない。忘れているけれど、そんなことはきっとあったに違いない、それを無意識と呼んでいる。日本語がそうだ。思い出しながら話しているわけではない。ときどき失言するのはそのせいである。いちいち思い出し検討を加えながら話していれば失言することはないはずだ。しぐさ、態度、悲しい記憶など全部が無意識になっている。それらを思い出していたら生活していけなくなるだろう。人間はほどよく記憶を喪失している。記憶力が悪いことは幸せなことかもしれない。そう思い込むことにしよう。

2021年12月 9日 (木)

あっても無くても

「無くてよく誘われてよき年忘れ」

という俳句がある。忘年会には、誘われても誘われなくてもどちらにも楽しみと同時に葛藤も生じるものではないか。体がしんどいと感じても、楽しかったことにしているかもしれないからだ。どちらにするか、自分で決めて良いのだ。そして一度決めたらそれがベストの選択だったと思うことである。

2021年12月 8日 (水)

悪口

俳優が他の俳優の悪口を言っていた、などという情報に接すると、俳優をしているのだから言わなくてもいいのに、と誰もが思う。同じように、社内の仲間のことを批判せずとも、仕事をしていれば良いのに、などと思ったりするものだ。俳優には俳優の世界があり、社内には社内の世界があるものだ。そんな自分を高い位置から平然と眺められるマシーンがあればいいのに。

2021年12月 7日 (火)

悪い言葉を言わない

日本は言霊の国だ。言葉には力があることを昔の人は知っていた。言葉通りになると信じていた。悪い言葉を言えばその通りになるということだ。戦争中も「善戦せり」と言ったり、スポーツの試合でも「惜敗」などと表現するのも同じだ。なるべく良い方に言う、それが原則。願えば叶う、良い言葉だけを言うようにしよう。

2021年12月 6日 (月)

美化

昔の自分のことは美化している。あのときああしていればこうなっていた、とか、もっとこうだったのではないか…といった風に。そう考えることで今の状況から免れている。それだけが人の心の平安を保ってるのかもしれない。まぶしいくらいの未来があれば良いのだが、それがなかなか難しい?難しくない?

2021年12月 5日 (日)

改変

人間の記憶は改変されて記憶されている。クラブ活動で大活躍、とか、一番もてた、などの記憶も改変されているかもしれない。反対に、もてなかったという記憶も都合よく記憶されているのかもしれない。誰もその現場を見てはいないから証明することはできない。ただ本人の語りだけがある、それだけである。

2021年12月 4日 (土)

感想

人からの感想は気になるものだ。褒め言葉だからといって安心してはいけない。セールスかもしれないからだ。むしろ厳しい感想の方が良いかもしれない。そんな厳しい言葉をどうやって受け止めれば、傷つかずに済むだろうか。

2021年12月 3日 (金)

意味

身の周りにあるものには、意味が張り付いている。私たちはそれを読んでいる。モノが捨てられないのは、その文字を読んでいるからだ。あるモノには、大好きな人からもらったものと書いてあり、別のモノには、結婚したときに買ったモノという言葉が張り付いているから、それが楽しい文字だから捨てられないのだ。たとえ嫌な思い出の言葉が張り付けてあったとしても、自分と関わったことが一度でもあれば、それを捨てるとは、自分を捨てることになるからやはり捨てられない。こうしてモノは増える一方である。

2021年12月 2日 (木)

失敗

人間誰もが失敗する。しない人などいない。したくなくてもしてしまう失敗の心理をフロイトは日常生活の精神分析によって明らかにした。その原因については失敗した本人でさえ気づかないとフロイトは名言した。もしその原因の一つ一つを自覚したら毎日がつらくなるからである。自分で自分を知らないことも無意識の優しさと言えるかもしれない。

2021年12月 1日 (水)

放出

人はいろいろな悩みを抱えている。欲しいモノが手に入っても悩み、悩んでいる自分にまた悩み…それらはすべて言葉になって体中をぐるぐる巡っている。いったん放出すればいいと思って誰かに話しをしようものなら、相手の拒絶に会う。それだけでなく、相手から否定され、説教され、挙げ句の果てに、相手の話まで聞かされてしまう。その繰り返しのはてにあるものはいったい何だろうか。

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