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2022年5月の33件の記事

2022年5月31日 (火)

悟り(2)

よいアイディアが突然ひらめくこともないではない。スラスラとブログが書けたような気になることもなくはない。そんな時に、突然ピンポーンと新聞の集金が来たりする。まだまだ悟るのは大変だ。長生きして悟りを開かなくてはならない。

2022年5月30日 (月)

悟り(1)

人の話を聞いていて、なるほどと合点がいくときがある。それが悟りなのだろう。そんな悟りもしばらく経つとすっかり忘れていたりする。そこでそうした悟りを小悟と名付けてみた。中位の悟りもあるだろう。ときには大きな教えに触れて自分の存在の小ささに驚かされてしまうような悟りもあるかもしれない。それを大悟と呼ぼう。いつになったら大悟に触れられるのだろう。面壁三年かかるか、もっとかかるのだろう。

2022年5月29日 (日)

無心

無心になるとはどういうことか。宗教家に尋ねたら、なれませんよ、とすげない返事。なれたらバカですよ、と追い打ちをかけてきた。たまにちょっとの間だけ無心になれる時があるはずである。

2022年5月28日 (土)

景色

私たちは景色を見ながらカメラのズームレンズを動かすように見ている。何を見ているかというと大きく分けて近景・中景・遠景の3つである。ここからあの交差点までどのくらいの距離だろうか、その景色の中央あたりに自転車が横切ろうとしているから用心しなくては…というように目を動かしている。その基本にあることは関心である。子どもたちの関心の高さを大人はしばしば忘れないようにしたいものである。

2022年5月27日 (金)

目標

目標には3つある。近い目標、少し先の目標、そして、遠い未来の目標の3つである。近い目標とは今夜録りためておいたテレビ録画を見ようといったものかもしれない。少し先のそれは、本を読破しよう、ゴルフのコンペで優勝しようといったものかもしれない。それらはハッキリしていて視覚化しやすい。それに比べて遠い未来の目標は実に見ずらい。しかも見失う可能性も極めて高い。それがハッキリ見えたらどんなに未来への自信がもてることだろう。

2022年5月26日 (木)

テーマ(2)

私たちは日々テーマを決め、それに従って生活している。今日は何時起床で会社ではこれこれをして、お昼は何を食べ、帰宅途中に本を買って…というのはスケジュールであって、テーマではない。テーマとはこの場合、「本を買う」である。一日はそのためにあり、それを中心に動いている。そうしたことはいちいち気にはしていなくてもテーマは必ず存在しているのだ。

2022年5月25日 (水)

テーマ(1)

子ども時代のテーマは遊ぶことである。遊びのなかで子どもたちはルールを学ぶ。他児からおもちゃを譲ってもらったり、譲ったりすることで他児との交流を学ぶのだ。その仲介役こそ親の役割かもしれない。

2022年5月24日 (火)

三分の一

ものごとはすべて三分の一が良い。一日のうち三分の一の時間眠り、あとの三分の一は働き、そして楽しむ。人生初期に働くことが叶わなかったら後の三分の一の時間働けば良い。青春時代学ぶことがなかったら後で学べばよい。中年期に遊ぶことが許されなかった人は後でたっぷり遊ぼう。要は、するときにはしておくのが良いのだ。

2022年5月23日 (月)

飛ぶ

近所の空き地で模型飛行機を飛ばす人がいる。リモコンで空中を自在に飛び回わらせている。真っ青に晴れ上がった空を切り裂くように白い機体を急旋回させたり背面飛行させたりしている。空き地の隅に人がいてリモコンを巧みに操作している。こうした機体はすべてドローンと呼ぶのです、と彼は説明してくれた。きっと空中からわれわれを眺める気持ちになっているのだろう。

2022年5月22日 (日)

わが道を行く

「わが道を行きなさい」との言葉に従ってしたい放題したらお叱りを受けた、ということはないだろうか。人の目を気にすれば自分らしくなく、かといってしたいことをしていてもなんとなく、「こんなことでいいのかな?」と後ろめたかったりもする。片方に肩入れすれば片方がおろそかになる、その繰り返しのなかで右往左往している自分がいる。誰か私の味方になってくれる人はいないのだろうか。

2022年5月21日 (土)

気にする

私たちはつい人の言葉を気にする。服装や仕草、趣味にいたるまで、人の言葉で否定されたように感じてしまうのだ。私は私!と思ってはいても、ちょっとしたひとことで先程までの自分など吹き飛んでしまう。どうすれば自分がなくならずに済むのだろうか。

2022年5月20日 (金)

関連

人間の五感は互いに関連し合っている。コーヒーを飲むのも、食べるのも、嗅覚・視覚・味覚が関連し合いながらわれわれの口に運ばれていく。もちろんコーヒーカップが唇に触れる感覚や飲むときの音なども参加している。風邪をひいたときのコーヒーや食べ物が美味しく感じられないのは、鼻がきかなくなったためである。そうしたことに気づくのは病気になったときではないか。健康なときには気づかないことに気づかされる瞬間である。

一直線

ものごとに夢中になっているとき周囲が目に入らない。と本屋でお目当ての本を見つけたときとか、ブティックで気にいった服を見つけたときなど、店のBGMや周りの人など気にもしない。一直線とは、その「モノ」にしか心も目も向いていないのだ。そんなモノを見つけられたら、人からの非難も聞こえなくなるに違いない。

2022年5月19日 (木)

美化

記憶はしばしば美化されている。自分は親に迷惑かけなかった、というのも美化されており、一番ヤンチャだった、も美化された記憶であろう。確かめる術があるわけではないからと、否定する前に、美化しておかなければならない心理があることを認めることが大切である。

2022年5月18日 (水)

約束

約束は誰としているのか。その相手は自分自身ではないだろうか。未来の自分に賭けていると言っていいだろう。期待をもって自分に賭け、自分を実現しようとしているのだ。約束を果たすとは、未来の自分との握手である。

2022年5月17日 (火)

パソコンは一人一台が当たり前である。自転車、クルマ、テレビすべてパーソナルなものとして一人一台が原則である。「個」は個人の尊重を表わし、個性を育むものでもある。自分だけの大切なものを持ちたいものである。

2022年5月16日 (月)

机とは、自分の考えを並べる場所である。今日起きたことを一度机上に並べ、客観的に眺める場所である。そこで今日一日を反省し明日に備えるのである。パソコン画面にページを呼び出して眺めていると思えば、机上の出来事が、まるで他人の行動のように批評できるものである。子どもたちにも一人一台ずつ机を与えてみよう。

2022年5月15日 (日)

ONとOFF

日々の生活はONとOFFの繰り返しである。この切り替えこそが健康的な生活のポイントとなるのだ。OFFできる場所こそ家庭ではないか。家族の目には怠けているようにみえても、本人にとっては学校や職場での緊張を解いている時間である。そんなときこそOFFを認めてあげたいものである。

2022年5月14日 (土)

元気

元気出して!と言われてすぐに出せるものではない。にも関わらず、思わず「ハイ!」などと言ってしまう。励ましてくれたことへの感謝の返事?それとも相手の言葉を遮るための言葉?人はどうして元気のない人を励まそうとするのか。かといって放っておかれるのもつらい。どうされたらよいのか。

2022年5月13日 (金)

四季

一年に四季があるように、私たちの心にも四季があるだろう。気持ちを新たにしたり、希望に燃えて邁進し、ちょっと息抜きして食欲を満たす旅に出かけるのもよいだろう。一日やり遂げたことを思い返して一日が暮れる。歳の暮れと一日の終わり。反省したり明日の準備をしたりする。それが夕暮れ時だ。

2022年5月12日 (木)

眼力

モノを選ぶ能力を眼力などと言う。ボーッと見ていてはいけない。しっかり見分けているはずでも、眼力はしばしば選び損ねる。賭事は自分の眼力に懸けているようなものだ。それだけではない。洋服や食べ物選びでも発揮され、そして選び損ねる。それでも懲りずに買い続けているのは、いまだに自分を信じている証拠かもしれない。

2022年5月11日 (水)

返事

返事を返されないといささか不快な気分になる。そこでこちらから積極的に返そうと考えた人が、有名な水芭蕉の沼を訪れた。すれ違うたびに挨拶を交わす回数が何百回かしれなかったという。たまに返すくらいがいいのかもしれない。

2022年5月10日 (火)

心地よさ

心地よいモノを身につけていれば安心だ。それを続けていると、特定のモノに限られてしまう。体になじみ、ゆるくなり、だらりとしたモノだから見た目はあまりよくないかもしれない。見た目とは大違いになっているだろう。服に限らず、心地よい場所も居酒屋の定位置であるかもしれない。服、椅子、住まい…それに囲まれつづけていたい。

2022年5月 9日 (月)

進歩

進歩したかどうかはどうやって知ることができるのだろうか。心構えを変えるのは至難のわざではないだろうか。作家が原稿を書く場所を変えるのもそうした理由からかもしれない。読む本が変わる、付き合う対象が変わる、道具が変わることで、自分を変えられるものである。見ている対象は自分自身だから、対象が変わるとは自分が変わったことに他ならない。見る対象を意識的に変えてみよう。

2022年5月 8日 (日)

否定

否定というとマイナスイメージがあるが、否定しないと前に進めない。今の足を否定することで前に進めるからだ。すなわち否定とは進歩である。否定されたら進歩しろ!という指示だと思えばいい。進歩に良い悪いはない。とにかくはじめの一歩を進めることである。

2022年5月 7日 (土)

見つける

モノを必要とするとき、何とか身の回りのモノで間に合わせようとしている。ボールペンが必要となれば必死に周囲を探す。そのとき目がオートフォーカスレンズ付きカメラのように作動する。日頃からそんな習慣になっているせいか、高齢者ドライバーの視力検査で高得点を獲得して試験官を驚かせてしまった。うれしいやら悲しいやら。

2022年5月 6日 (金)

買い物

普段買い物に行かない、というよりも、買い物のためだけ出掛けない、要は欲望がそれほどないからだ。たまに外に出たついでに買うくらいだ。その日がたまたまポイント3倍デーだったとしたら、やはりちょっとはうれしい。

2022年5月 5日 (木)

五感

私たちの耳はすべての音を聞いているわけではない。もし聞こえたとしたら、日々うるさくて仕方ないだろう。だからこそ踏切の近くに家を構えても平気なのだ。人からの非難や批評が踏切の音のように聞こえなくなってしまえばいいのに。その方法はあるのか。

2022年5月 4日 (水)

一直線

ものごとに夢中になっているとき周囲が目に入らない。と本屋でお目当ての本を見つけたときとか、ブティックで気にいった服を見つけたときなど、店のBGMや周りの人など気にもしない。一直線とは、その「モノ」にしか心も目も向いていないのだ。そんなモノを見つけられたら、人からの非難も聞こえなくなるに違いない。

どちらにしても

休みが続くと退屈だ。会社に行けば働くのはしんどい。でも仲間に会える…考えはいつも行ったり来たり。しかしそれでいいのかもしれない。一日に昼夜があり、四季があるのだ。ときに退屈をうんざりするほど満喫するのもうべなるなか。

2022年5月 3日 (火)

重力

私たちはすべての感覚を研ぎ澄ませているわけではない。たとえば重力がそうだ。学校で習ってはじめてそれを知ったのだ。毎日それを感じてなどいないにも関わらずあることは知っている。それを意識するときはどんなときか。それは体調が悪くなったときである。すなわち健康とは感覚がなくなっている状態をいう。人から鈍感と言われたら、健康で幸せだねといわれたようなものである。

2022年5月 2日 (月)

あいさつ

人はなぜあいさつを交わすのか。相手に失礼だから…呼びかけるため…どちらもあたっている。両方に共通していることは、互いの存在証明のためである。あいさつを返されなかったときに感じる不気味さがそれである。まるで自分がこの世から消え去ってしまったかのように感じるのだ。あいさつはされたら返そう。

2022年5月 1日 (日)

生活

私たちの生活は文字に支配されている。たとえば曜日がそうだ。日曜日休みの人には寛ぎ・休みであろう。仕事の日という人もいるだろう。文字に支配され、動かされ、考えや感情までも縛られている。逃れることはできないのだ。逃れるという言葉も文字なのだから。自由になるのはいつなのか。

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