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人の話を聞いていて、なるほどと合点がいくときがある。それが悟りなのだろう。そんな悟りもしばらく経つとすっかり忘れていたりする。そこでそうした悟りを小悟と名付けてみた。中位の悟りもあるだろう。ときには大きな教えに触れて自分の存在の小ささに驚かされてしまうような悟りもあるかもしれない。それを大悟と呼ぼう。いつになったら大悟に触れられるのだろう。面壁三年かかるか、もっとかかるのだろう。