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2022年8月の31件の記事

2022年8月31日 (水)

未完

人生に完成はあるのか。あるとすればそれはどんなときか。それは、完成と思った瞬間だけなのである。絵描きが完成後も筆を入れ続けたり、試合で優勝すれば、翌日から次の試合に向けての練習が始まる。だから未完でいいのだ、という訳ではない。完成に向かって行く意志が私たちを未来に生きさせるのである。

2022年8月30日 (火)

季節

季節は確実に移り変わっている。そう感じるのは、ふと気がついたら…という程度のことだ。私たちの心も気がつけば変わっている。それに気がつくことはほとんどない。ところが、ああ自分はこのように変わってきたんだと感じるのがセラピーなのである。そこで初めて成長した自分と出会うのである。前に進んだことを実感し、自信がつくのである。

2022年8月29日 (月)

五感

私たちの五感は互いに関連し合い、記憶を呼び覚ましたりしながら私たちを刺激し続けている。うまいコーヒーを飲むとき、香りを嗅ぐ。その香りはかつての友人との思い出のコーヒー店の映像を想起させたり、コーヒーカップのデザインが昔旅した国の旗の色だったりすれば、コーヒーを飲んでいるのか、思い出にひたっているのか、それともその両方なのかが判然としなくなる。味が深いとは、五感がはたらくと同時に記憶もはたらいていることを意味しているのだ。

2022年8月28日 (日)

味を見る

塩加減を見る、とか、甘いか辛いかを見る、などと言うが、味を見るとはどういうことか。それは、味わったことを言葉にして見ていることを意味している。味わったあとで、辛い、とか、甘すぎなどと言葉に出して、その文字を見て確認しているのだ。人はこのように一度言葉に置き換えて、そのモノを見たり、確認したりしながら、対処しているのである。私が今日味わったものは、文字に置き換えて思い出すことしかできないのである。

2022年8月27日 (土)

出会うもの

出会うものは自分である。たくさんの品物の中からそのモノを選べばそれも自分である。街で見かけた気になる人がいれば、それも自分である。天気も、食べるもの、選んだ会社・学校・住いすべて自分を表している。友をみれば本人が分かる、というのも同じである。今日はどんな自分に出会うのか。すべては無意識的なので気づくことはできないかもしれない。

2022年8月26日 (金)

緊張

緊張は誰もが経験する。初めて会う人、訪れる場所、道…。緊張のし通しである。ところが、会ってみれば同じ人間であり、普通に誰もが歩いており、道も次第に慣れてくるものだ。緊張とは自分で作っているものである。普通に接し、普通に話し、普通に通ればよいのだ。

2022年8月25日 (木)

見え方

いつも眺めているモノが変わって見えることがある。隣家の植木がバッサリ伐られていたりすると、空が広く見えたりもする。通りがかりの犬に近づこうとしてしゃがみ込むと、飼い主が大きく見えたりする。たかが数十センチの違いで見え方が違う。絵描きがいろいろな角度からモノを見たり、写真家がアングルを変えながら何枚も撮影しているのも、きっと見え方が違うからだろう。見方だけでなく、考え方もそのように角度を変えて見れば、違う景色に出会えるかもしれない。

2022年8月24日 (水)

今のまま

変わりたい、と思う反面、今のままでもいい、と思う心理が私たちの心にはある。それは、慣れた道順、見慣れた服などに違和感がないからである。クルマのデザインなども、初めは変わったデザインと思えたものが次第に薄らぎ、いつの間にかそれがスタンダードに見えることに似ている。きっと私たちの容姿も日々変わっているはずだ。しかし、その変化になかなか気づくことはできないでいる。

2022年8月23日 (火)

目の力

私たちの目の能力は素晴らしい。ぼーっと歩いていながらも、床の上のピンを見つけたり、雑踏の中から友達の姿を見つけることができる。その根底にあるのは危険回避能力であり、相手への関心の高さである。それさえあれば目はずっと輝いていられるに違いない。

2022年8月22日 (月)

確認

人が人に語るとは、確認である。自分が言ったことをもう一度相手の声で復唱してもらうことで、自分のかんがえ、感想を確認しているのである。同じ言葉で復唱された瞬間、語り手の顔に安堵の表情が浮かぶ。いろいろな予約もメール予約より、直接の電話予約が多いというのも頷ける。予約だけでなく、考えや感想も復唱してもらえると嬉しいのだが、それがなかなか難しい。

2022年8月21日 (日)

差異

人と人との関係は差異である。生年月日はもちろん、身長・体重の差、役職や100メートルを何秒で走るか…それが何だと思っていても、その差をどこかで気にしている自分もいる。私たちはいつの頃からか、1点でも多く、1秒でも速く走ることを期待されてきた。気がつくと、差をつけることが善であるかのように教えられてきた。そろそろ差ではなく、本当の自分を見つめるようにしなければならないときに来ているのではないか。

2022年8月20日 (土)

オリジナリティ

オリジナリティを出すことは勇ましく耳に響くが、受け取り方で、変わった人という評価をされてしまうだろう。それを押し通す勇気はなかなか出ないものだ。変人扱いされていた人が成功する、それは限られた人だけである。などとつぶやきながら、つい着慣れた服に手が伸びてしまうのを何とかしたい。

2022年8月19日 (金)

方向

夢中になって何かに打ち込んでいると、「それをして何になる?」、などと言われたことはないだろうか。釘のように捻じ曲げられた私の意志はいったい何に向かっていたのだろうか。もう一度、向かっていた方向を確かめるすべはないのだろうか。

2022年8月18日 (木)

誤解(2)

誤解が生じるのは言葉の曖昧さである。私たちは曖昧にしか伝えることができないのである。正確に伝えようとしたら何百もの言葉で説明しなければならないだろう。だいたいのところで説明すると、その曖昧な部分を相手が相手自身の言葉で埋めて理解しようとする。そこに誤解が生じるのである。それは仕方のないこと。でも誤解されるのは困ったことでもある。

2022年8月17日 (水)

誤解(1)

人が言ったことはしばしば誤解を受ける。「美味しいよ」と伝えたはずが、自慢していると受け取られることもあるかもしれない。そこで、「つまらないものですが…」と説明することになるのだ。美味しいか、そうでないか人の評価はさまざま、と言ってしまえば確かにそうでもある。味気ない会話にしないためにはどう言えばいいのだろうか。

2022年8月16日 (火)

変える

日々の習慣を変えることは勇気がいる。散歩コース、食べ物、本、音楽、付き合い…今まで通りにしていれば安心だ。ということは、周囲を見ていない可能性がある。考えることなく、自動的に歩いている。考えるとは、ものごとを変えることなのである。

2022年8月15日 (月)

切りがない

欲しいものが手に入っても満足しないときもある。反対に、欲しいものが手に入って満足することもある。後者の場合も、その満足が一生続くとは限らない。それが差異である。他人がもっと良いものを手にしたときや、宣伝文句に刺激されたときに不満が生じる。それは人間のもっとよくなりたいという向上心のなせるワザである。切りがないとは、向上心の表れである。しかし、どこかで欲望に切れ目を入れる必要がある。その役目を担ってくれる人こそ父なのである。

2022年8月14日 (日)

発達

天気予報で、「雨雲が発達しています」と聞くと、雨雲自体に意志があるかのように感じる。私たちの心のなかでも、こうしよう、という意志が芽生えてくる。発達しようという意志である。その意志は私のなかの何者がつくっているのだろうか。

2022年8月13日 (土)

出会い

人と人との出会いは必然だ。出会うべき人と出会ったのだ。偶然はない、とフロイトも言っているくらいである。本との出会い、本のどのページをめくっても、そのページとの出会いがある。買ったもの、失ったものすべてに意味があるのだ。いい出会いをするためにはどうしたらよいのだろうか。

2022年8月12日 (金)

模様替え

家具の配置一つ変えるだけで、周囲のものまで新鮮に見える。たった30センチ右にずらしただけなのに。変えるとは、自分を変えたい心理の裏返しである。クラス替え、髪型を替え、性格はそうそう変わらないかもしれない、でも、模様替えしたことで自分にも変化が起きそうである。

2022年8月11日 (木)

探す

探し物をしているときの目は真剣である。たくさんのモノのなかからたった一つのモノを見つけるとは、人間の目は、いったいどうなっているのか。目が見ているのではない、意識が見ているのである。それも、ノートの山のなかから、ちょっとしたノートの汚れからそれを見つけ出したり、配置が変わっている椅子と椅子の間から見つけ出すこともある。すると探し物はそれ自体というよりも、他のものとの差異がヒントになっているのかも、しれない。

2022年8月10日 (水)

規定

人の評価は気にしない、と頭では分かっていても気になるものだ。あなたは優しい人だ、のひと言でそのように振る舞わなければならない私にさせられている。そうかなと思っていると違うひとからの評価は全く違う。いろいろな人の言葉が侵入する。侵入を許さないためには、どうするか。自分は自分と思って、自分をもつことである。

2022年8月 9日 (火)

新た

私たちは毎日生まれ変わっている。皮膚がそうだ。骨も新しくなっている。新たな気持ちでいるためにはどうすればよいか。昨日の私はもういないと思うことだ。できない私はもういない、声の小さい私ももういない。髪型をガラリと変えるように、ガラッと変えてみよう。新しい世界が見えるはずだ。

2022年8月 8日 (月)

時、と一言でいってもいろいろな時がある。楽しいけど何か不足とか、苦しくても希望もある。純粋に、楽しい、苦しい時はあるのだろうか。料理に隠し味があり、空に雲が浮かんでいるように。今楽しい、と言っている時の楽しさのなかに隠されている隠し味はいったいどんな味なのだろうか。

2022年8月 7日 (日)

なり切る

舞台上では劇が繰り広げられている。観ている私は舞台上の主役になり切っている。見た目も何も、俳優とは異なった人、という現実はこの場から姿を消し、見事な剣さばきをこなしている。舞台だということは知っているけど知らないという摩訶不思議な世界。座っているということも忘れて剣を鞘にピタリと収めたりもしている。テレビの平たい板ではない、生身の私がいるみたいだ。劇場をあとにしてもあの主役は絶対に私ではない、でも私だったような気がする。

2022年8月 6日 (土)

人と人とが同じ食べ物をたべていて、同じ味を味わっているのだろうか。一人が「旨い」と言っても、その味をこちらは再現できないのだ。ただ「旨い」と言った人の言葉だけが頼りである。いったい一人が言っている「旨い」のどこまでこちらと共感できているのだろうか。1%?それとも10%くらいだろうか。それとも「旨い」と言った言葉だけなのだろうか。

2022年8月 5日 (金)

夏休み

夏休みのテーマは「夏休む」こと。うんざりするくらい休ませること。退屈が極限にまで達して「早く学校がはじまらないかな」、とか、「友達と会いたい」と言い出す。そのときをひたすら待つ、それが親御さんにはできないようです。反対に、塾、夏期講習などでテーマを与えていると、子供たちは疲れ切ってしまうのだ。マラソンにしても、最初から飛ばすランナーはいない。そう思うのだが、それを受け止めきれない何かが心のなかに存在するのだろう。

2022年8月 4日 (木)

意味

私たちは言葉を聞いたときにどうしても意味を考えてしまう。その意味が心地よいものであればその言葉を心地よく聞くだろう。反対の場合はその逆である。それだけでなく、その言葉を忘れるための心的行動に出る。「私には関係のないことだ」、とか、「聞いたことがない」、「忘れた」、といった具合に。私たちは心が壊れないためのいろいろな防衛システムをもっているのである。

2022年8月 3日 (水)

話し言葉

話し言葉と書き言葉はまったく異なる。語れても、書こうとすると書けないということがある。同様に、書くことと話すことは違う。両方学ぶのはたいへんだ。書くときはどうしても格好つけて書いている。語るときはつい本音が出てしまう。失言は無意識の言葉ゆえ、気をつけていてもつい語ってしまう。無意識は恐ろしい。

2022年8月 2日 (火)

言い換え

人に「あなたはどう思いますか?」と尋ねられたときに、「私はこう思います」と言い換える。あなたは、から、私は、への転換は実はすごいことなのだ。よく子供たちに、「和夫はこれ食べる?」と聞いたときに、「和夫は食べる」と誤って言ってしまう姿を目にしたことがあるはずだ。「ボク食べる!」と言い換えるんだよ、とそのとき親が教える。こうした言葉は言い換えなければならないことを学ぶ場所、それが家庭である。私たちはどれだけ学んできただろうか。

2022年8月 1日 (月)

説明

道を尋ねられたりしたときの説明は難しいものだ。駅までどのくらいですか?にどう答えようかと思案を巡らす。すぐです、2~3分です、目に見えるのが駅で…その場の状況や相手の年齢、急いでいるのかさほどでもないのか…いろいろな頭を使って答える。頭の体操になるかもしれない。

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