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2022年11月の30件の記事

2022年11月30日 (水)

寛ぐ

寛ぐと聞くと、怠けていると取られがち。資源の少ない日本では働くのがよいことと思われてきた。欧米のようにプライベートを楽しむ風土がない。仕事も趣味も食事も会社の仲間と一緒、という話もよく耳にする。しかし、日本ではそれが寛いでいる姿なのかもしれない。

2022年11月29日 (火)

集中

人の話し声が一番よく聞こえるのは、劇場の後ろの席の人の話し声である。私の前には緞帳が下ろされているから無心である。余計に後ろの人の声に集中している。人に一番近いのが私の耳だ。相手は、私にではなく、隣りの人に語っているから、遠慮なしだ。その話し振りはストレートである。この状況が、人の話しを聞くためのベストの形かもしれない。そう考えると、私たちは、相手の表情や服装、お付きの人、持ち物などにかなり左右されていて、実は純粋には聞いていないのかもしれない。

■お知らせ

このたび、ホームページをリニューアルし、セラピスト名も、最上高樹と改名いたしました。今後ともよろしくお願いします。

https://www.takeda-msl.com/

2022年11月28日 (月)

体験と経験

体験とは幼少時代に体で覚えたこと。経験とは10歳以降に見聞きしたことと。体で覚えているとは、抱っこです。母のスキンシップやぬくもりが私たちの体の中で無意識的になっていて、ぬくもり、という言葉を聞いてなんとなく理解できる。それがベースとなっての経験。経験はあとの時代に教わったり、学んだりすることで身につくのですが、実感がわかないことがあったら、それは体験がなかったことになります。

2022年11月27日 (日)

悩む

人生は悩みの連続である。コーヒーか紅茶で悩み、コーヒーと決めても、あとで悩み、悩みは尽きることはない。欲しいものが手に入っても悩み、入らなければ落ち込む。ところがそれそのものが手に入った途端、欲しかった気持ちは雲散霧消してしまう。きっと永遠に悩み続けていくことだろう。とりあえずは生きていることの証明と受け止めよう。

2022年11月26日 (土)

良し悪し

物事によいも悪いもない。晴れの日も雨の日もある。決めるのは自分だ、と思ってもなかなか決められないのはなぜなのか。それは、決めてくれる人がいなかったためである。その人を父と呼ぶ。お前はこうだ、それでいいのだ、お前が決めたことは正しい、と言ってくれる人のことである。そんな経験が今の私の決断力の基礎になっている。

2022年11月25日 (金)

すべてのものに美は存在する。絵が美しい、音楽が心地よいだけにとどまらない。スムースに仕事がはかどった、きれいに机上が片付いた、駐車スペースにピッタリ車をとめられたなども美と考えたい。そう考えると、私たちは毎日芸術を創り続けているとも言えるだろう。それが美と感じられない理由は、それらは極めてパーソナルなことだからである。もし美を創れたら、隣人にそっと語ればよい。隣人が、「きれいにとめられたね」、と言ってくれた時だけ、私は一人のアーティストになれるのである。

2022年11月24日 (木)

語る(2)

人が語ることはたわいもない話が多い。深い話はなかなかしないもの。なぜかと言うと否定されるからである。失敗談を語ったら自分のせいにされるからである。だからたわいもない話でそのことを避けている。真剣な話をしたくてたまらない、そんな気持ちもないかのように暮らしている。しかし、深刻なことはやがて表面化する。それはいつか。

2022年11月23日 (水)

語る(1)

毎日のように語っていることといえば、たわいもないことだ。しかし、そんな話もためていると語りたくなる。聞き手の側にとってはたわいない話だと思うかもしれないが、語り手は喉のところにたまっているものを放出したくて仕方ないのである。そんなたわいない話の中に真実が隠されていることに気がつく人はいない。そうとは知らず、私たちは今日もポロリと真実を語っているのだ。

2022年11月22日 (火)

食べる(2)

同じものを食べているかもしれない。ラーメン一筋とか、うどん好きの人もいるだろう。毎日していることといえば食べることくらいだ。そこで、食べたことがないものを食べて見ようと思った。聞いたことのないメニューを注文してみた。やはりダメだった。もっと人生を味わう必要があるかもしれない。

2022年11月21日 (月)

食べる(1)

一人で食べても美味しくない。単に口に放り込んでいるだけだ。ところが二人で食べると味が深まる。それはなぜか。食べる姿を相手の顔の上に見るからだ。相手が美味しそうに食べ、飲んでいるのを見て、それを自分が美味しく食べていると思うからだ。食べる量も増える。あとで食べすぎたと思うこともあるだろう。そうならないためには、一人で食べる…それは嫌だ。やはり味わいは二人以上と食べることで増すからだ。

2022年11月20日 (日)

覚悟

簡単なことと思って取り組んでみたら、実際には困難を極めたり、困難と思われた仕事が容易にできたりと、思っていたことと実際とは違うことがあるもの。なめてかかってはいけない、と教わってきたが、やはり安易に考えたりするものだ。しかしそれでよいのかもしれない。すべてのことに躊躇していたらなにごとも成し遂げることはできない。命を奪われることがなければ、当たって砕ける覚悟が大事だ。


2022年11月19日 (土)

得意と好き

得意と好きとは異なる。得意とは、たまたま才能があった、周囲から褒められた、そのことができる環境に恵まれた、などの条件に恵まれたのである。得意でもそれを仕事にしない人もいる。得意でなくても仕事にしている人もいる。そのことが好きだからだ。好きとはどういうことか。そのことをしていれば一日楽しくて、体の不調も感じないこと。しかし、そんなことをしていれば周囲から非難される。だから好きなことは多くの場合心の奥にしまわれたままだ。ほとんどが、得意と好きとを混同しながら仕事しているのかもしれない。

2022年11月18日 (金)

夕焼け

夕焼けが美しい季節だ。美しいと感じる起源はどこにあるのだろう。夕焼けとともに、誰かと一緒にいた心地よい体験があったのだ。それがどんな体験であったのか、今となっては忘却のかなた。景色と心地よさとがセットになって記憶されている。事柄を見たときに感情が湧き上がってくるのは、このメカニズムの働きである。

2022年11月17日 (木)

価値

私が価値があると思っているものは、本当にそう思っているものだろうか。実は、誰かに「似合うね」と言われたためかもしれない。テレビで宣伝していたからかもしれず、誰かが私に先んじて手に入れたものかもしれない。かといって、他人から、まだそれを着ているの?と言われれば、やはり気になるものだ。よしとばかりに、人の批判などものともせず着続けてみよう、などというほどの勇気はない。やはり、無難な服装になってしまう。それが自分で決めた価値だ、と少しふんぞり返っている。

2022年11月16日 (水)

イメージ

人はイメージを描きながら暮らしている。着る服が行く先の場面にふさわしいか、どのように見えるのか、靴に似合っているか…どれほどイメージしても実際に近づくことはできない。だからといって適当で良い訳はない。そこで服を替えれば、イメージのし直しが始まる。もしイメージ通りになったらどうなるだろう。ピッタリしていることにきっと飽きてしまうに違いない。こうしてイメージと一致することがないまま、今日もイメージすることがやめられない。

2022年11月15日 (火)

ブランド

ブランドの名前を見るとなぜか安心する。どこかで聞いた名称だからだ。街に出ればその名称を連呼しており、テレビ画面からもそれらの名称が流れ出てきて、私たちの無意識のなかに侵入してくる。店頭にその名称が並んでいるときになって、無意識に刻みつけられた名称がよみがえるのだ。そうした具合に、いろいろな知識も刻みつけられていたらよかったのに。今日もそうしたことに気づかないまま街に出ることにしよう。

2022年11月14日 (月)

機嫌

機嫌はしばしば天気によって左右される…と思うのは、自分の機嫌を天気の上に見ているからだ。機嫌がよければ、どんな天気も気にならない。自分の機嫌が悪いのは自分のせいとは思いたくないもの。そのとき自分の機嫌は私の意識から除外されている。除外されたものこそ天気だ。今日も天気は文句を言わずに青空を目の前に広げている。

2022年11月13日 (日)

マックス

モノは欲しい気持ちがマックスに達すると欲しくなる。きっと心の中で、欲しい→やめよう→欲しい→やめよう、と、腕をグルグル回すことで勢いをつけるようにしているのかもしれない。何度諦めても欲しい気持ちはそうそう変わるものではない。その気持ちがマックスに達したときに買う。感激は大きくならざるを得ない。そんなことを私たちは心の中でグルグルとやっているのだ。

2022年11月12日 (土)

空想

私たちはしばしば空想の翼を広げる。あれもしたい、ここにも行きたい、あれもこれもと四方に翼を広げる。そうすることで、しばし現実から逃れることができるからだ。もしかすると、それが実現することもあるかもしれない。そんな空想は人に語らない方が良い。それを聞かされた相手はただあっけにとられるだろう。実現させると言っていないのに、驚かれるだろう。誰か聞いてくれる人はいないのだろうか。

2022年11月11日 (金)

天動説(2)

太陽の周りを地球が回っている。しかし実感はない。むしろ太陽の方が回っているのが実感だ。会話のときに、日が昇ってきましたね、と言うべきだ。もし、地動説で会話をしようものなら、町内の噂になるだろう。いまだに天動説は健在である。

2022年11月10日 (木)

天動説(1)

太陽の周りを地球が回っているのが当たり前。むかしは、太陽が地球の周りを回っているのが常識だった。その太陽だって銀河系の中を地球を含めた惑星たちをひきつれて回っている。特別な中心など存在しないのだ。私たちの考えだって、こうでなければならない、というものは存在しない。たとえ上司が、「何でも自由に発言していいぞ」と言ったとしても、その裏側には「反対したら容赦しないぞ」という言葉が隠されており、部下は部下で、「仰せごもっとも!」と言うべきであることを重々承知している。特別な教えなど存在しない。皆既月食の方は、3年後に起こると決まっている。人間の方が気まぐれ?しかし、そうしないとクビになるかもしれない。

2022年11月 9日 (水)

未来

未来のことは、期待をもって計画する。不幸を前提としているとその通りになるからだ。ところが人間は悪いことが起こるのではないかと考えがちである。それは、良いことだけを考えていると能天気などと言われるからかもしれない。そこには人の評価を気にする日本の文化があるからかもしれない。良いことを考えたとき、それはいいね、と言ってくれる人が一人でもいたらきっと勇気が出るに違いない。

2022年11月 8日 (火)

期待

期待されてうれしく感じる人と、プレッシャーを感じる人とがいるだろう。そのどちらも感じるという人もいるに違いない。前者はどことなく待っている傾向がある。誰か自分を必要てしてくれる人はいないか、と。人間は必要とされて初めて生きている実感を感じる生き物。それがなくなれば寂しいものである。第二番目の人には、自分にできることとできないこととがあるという自覚があるに違いない。第三番目の人に必要なことは、背中を押してくれる人の存在だ。自分一人ではなかなか自信はもてない。それが人間だからである。いずれにしても、私という存在は他者をなんとしても必要なのである。

2022年11月 7日 (月)

段取り

物事を成就させるには段取りが必要だ。出かけること一つにさえ段取りがある。前の晩から用意し、何時に起床して点検し、どの電車に乗るか…。出かけること一つにさえこれだけの段取りが必要だ。一つでもミスがあればそれにどう対処するかまでが段取りである。これを面倒と受け取るか、頭の訓練と受け取るか。すべては自分自身のこと。今日もきっと段取り通りには行かないことだろう。それはそれで考えることにしよう。

2022年11月 6日 (日)

予定

予定とは未来への約束。その時点に自分が立っていることに他ならない。そこで何を考え、何をし、どう楽しむか…。未来に生きるとはこういうことなのだ。見えないからこそ空想の翼は大きく羽ばかせることができるのだ。そんな余裕はない、などと言わずに、羽ばたく姿を見せてほしいものである。

2022年11月 5日 (土)

話す

趣味はそれをするだけが楽しみではない。ゴルフ好きはゴルフ場に行かなくても楽しそうに話をする。グルメや釣り好きもその話だけで延々と盛り上がっている。釣った魚も、釣り落とした魚も大きい方が楽しさ倍増である。やはり話を聞かせていただくのは楽しい。

2022年11月 4日 (金)

操作

最近のレストランでは料理運びの担当はロボットだ。料理を受け取ったあと、どこかをタッチする。違うところをタッチしてしまったので、ロボットが引き下がらない。ロボットは何も言わずに、不気味な姿を私の前にさらしている。こちらも何も言わない。そんなやり取りが存在しないせいか、店内は静かである。客とスタッフとの会話もないままに、私は黙々とお皿を平らげている。

2022年11月 3日 (木)

残り

今年もあと残すところわずかだ。年末年始の課題は来年の計画を練ること。熟成期間を経て正月早々から実行するのだ。何を計画し、どう実行するか段取りを考えるのに最もふさわしい期間だ。正月番組もきっとこのように企画立案されているに違いない。テレビに負けないようにしよう。

2022年11月 2日 (水)

勝ち負け

贔屓のチームが勝てばうれしいが、負けたら気分は最悪だ。ところが悔しいからこそ勝つことが輝く…とは知っていても負けるのはやはり悔しいも。いっそのこと勝ち負けのない趣味や仕事をもてば良いのだ。ここでの戦いは自分との戦い。勝った側も負けた側も自分。悔しい気持ちがない世界。あるのはもっとという、上だけを目指す世界である。

2022年11月 1日 (火)

私たちの心はどんな素材でできているでしょう。鋼鉄のような心でしょうか。コンクリートのようですか、木造建築のようですか、板のような心?紙のような心?…実はもろい素材でできています。それはシャボン玉のような心です。ちょっと触れただけで壊れてしまうデリケートな心です。もっと大切に扱ってほしい。シャボン玉のような心はこうささやいています。私をもっと優しく扱って、と。

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