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2023年9月の30件の記事

2023年9月30日 (土)

モノと事

同じ言葉であってもまったく意味が異なるものがある。「イス」は座るための道具である。ところが、「社長のイス」と言うと事態は一気に変わってくる。社長のいない留守に座ったところで何も変わらない。では「社長のイス」を見せてみろと言われても決してこれですと示すことはできない。われわれは、見えるモノと見えない事との間に生きている。だから「人間」というのかもしれない。


2023年9月29日 (金)

誰のためか

愛犬のリードなどその辺の縄でいいではないかと言うなかれ。愛犬はそんなことを知ってはいない、と言ってはならないのだ。私は革製のあみあみの洒落たリードを愛犬に繋いで歩きたいのだ。洒落たリードですねと言ってもらいたいのだろうか。そうではない。すべては自分の満足のためである。

2023年9月28日 (木)

自分でする

自分で壁掛け時計の電池交換をする、ガタつくちょうつがいに油を差す…自分でした所は後光が差して見える…言いすぎと思うほどが良い。誰も褒めてくれないからだ。しかし、こどものしたことは些細なことでも褒めてあげたいもの。その行為に褒め言葉がくっつくと、するのが好きになるからだ。私たちはどれほど褒めてもらっただろうか。

2023年9月27日 (水)

共通点

レストランの壁に写真が飾ってある。何本かのワインと葡萄の房とが配置してある。共通している一方で、硬いものと柔らかいもの、直線と曲線というふうな違いもある。この両者を結びつけるものこそ葡萄酒。人と人とが出合ったときにも、どこかに共通点を探し出そうとやっきになっているかもしれない。

2023年9月26日 (火)

ショーウィンドウ

カメラ屋のショーウィンドウにアナログ式の大きなカメラが展示されている。そうだ、あれと同様のカメラを汗をかきながら野や山に持ち出しては遊んでいたなと思い出す。値札を見ると昔より安価だ。私は写真をもう一度撮りたいのか、単にその時代を見ているのか、カメラの存在感にウットリしているだけなのか。惚れ惚れするほどの工芸品だと思った。

2023年9月25日 (月)

郷愁

われわれはしばしば郷愁を抱く。あの時このとき、その場面に自らをおいて生きてきた実感に浸るのだ。そのとき紛れもない自分の姿がたちどころに現出する。それに比べて今はどうだ、と胸を張って言える自分がいるだろうか、はなはだあやふやなものだ。過ぎ去っていないからだろう。過去は苦・楽を超越した自分が確かに存在していたからだ。これからも一コマ一コマを大事に生きよう。

2023年9月24日 (日)

神の目

店のあちこちに「出口↱」と書いた看板が天井から吊り下げられている。見る側は、そうか、まっすぐ行ってから右に曲がるのだなとイメージしている。このとき、私は私から離れて、上空に自分を配置させている。これは間違いなく神の目から見ていることに他ならない。私は神の指示に逆らうことなく自分の歩みを出口に進めるのだ。私の中に神がいる?

2023年9月23日 (土)

心理学

高校の教科書に倫理があった。巻末にいろいろな名著の冒頭部分がいくつも掲載されていて片っ端から読んだ。訳もわからず読んだ。倫理の教師は少し変わった人だった。ありきたりの授業しかしなかった。生徒の取り扱いに苦慮していたらしい。生徒に合わせず自説を述べたら面白かったに違いない。会いたい人の一人である。

2023年9月22日 (金)

心の傷

体の傷ははじめ服に引っかかるとかして気になるが、やがて皮膚が平らになる頃には、どこに傷があったのかさえ定かでなくなるものだ。心の傷はどうか。傷口という明確なものがない分、ふとしたことで思い出したり、頭をよぎったりするものだ。人は「忘れることだ」などと軽々しく言うが、本人の心の傷はなかなか癒えるものではない。どうしたらよいか。それは語ることに尽きる。傷ついた話にじっと耳を傾けてくれる人に対してのみ有効である。話が微に入り細に入り、熱を帯びて語れるようになれば尚更よいのだ。何度も語ることで、やがてなにごともなかったようになり、心の傷は完治に向かうのである。

2023年9月21日 (木)

チョイス

目の前にドリンク・バーがある。いったい何種類のドリンクがあることか。暇にまかせて数えてみる。ざっと34種類。選ぶのはおそらくその1割程度。すべてのドリンク・メニューを一つ一つ見ていたらきっと頭の中がいっぱいになってしまうだろう。それをしないと気が済まない人もいるらしい。私たちはすべてのものを見ているわけではない。チョイスしているものはすべて自分である。

2023年9月20日 (水)

悠然

普段から悠然としていればよいのに、テーブルの上の紙片が秋風に吹かれて落ちそうになったときに、あわてて落下途中の紙片をキャッチしようとする。落としたあとで拾えば良いのにとも思うが、体が反応する。無理に!押さえようと体をひねりでもしたらどうするのだというもう一人の声を無視して慌てふためく。動くものだけに反応する昆虫のようにならないようにしたいものである。

2023年9月19日 (火)

掃除

掃除はめったにしない。照明器具に埃がたまってきたらする程度だ。したあとは明るくなった気がしないでもない。いやきっと明るい、そう思うことにしよう。掃除してあとは愛着が生まれるせいか、用もないのに照明を見上げる回数が増えた。いつの日か掃除をするだろう。見上げることがなくなった頃に。

2023年9月18日 (月)

多面体

照明のいたずらで多面体は様々な姿を見せる。カメラにこだわりのある人は、撮影に際して照明の当て方に心を砕いているに違いない。人も同じである。ときに優しく、ときに厳しい表情を浮かべる。その点、店員はいつも笑顔で迎えてくれる。その調子で人に接すると手痛い目にあうこともあるだろう。その多面性がすべて本人であることを受け入れてしまえばよいのだ。ところが自分も多面体であることを自覚している人は少ないようである。

2023年9月17日 (日)

シャンデリア

店には素敵なシャンデリアが高い天井から映画のワン・シーンのように吊り下げられている。別の部屋には竹ひごで丸く編んだ網目の隙間からLEDの光が美しく漏れ出ている。ああいいな。家にもこんな照明があればいいのに…と思いながら何十年もの間、取り付けた経験はない。きっと落ち着かないかもしれない。

2023年9月16日 (土)

インターホン

インターホンに人の影が写っている。家族?近所の人・宅急便・怪しい人…近所の人でも誰か…その判断を瞬時のうちにしている。同時にどういう言葉をかけるべきかの選択もしている。こんなことをできる私はスゴイ?それとも普通?どっちだろう。

2023年9月15日 (金)

カレンダー

月ごとのカレンダーはどうだろう。そこには私の過去・現在・未来が印字されている。今日という日を見ながら三つの次元を須臾の間に見つめている。あの時はどうだったとか、来週はこうだといった風に。日めくりカレンダーはどうか。うっすらと明日の日にちが透いて見えていたりする。上部には今までの日数の分だけ引き千切った紙片が残っているではないか。どこまで行っても三つの次元がついてまわってくる。われわれは三つの次元を生きる旅人である。

2023年9月14日 (木)

矢印

矢印ほど不思議な記号はない。出口を探してさまよう私の目をたちどころに求める方向に向けてくれる。と同時に我が身をその方向に押し出してもくれる。きっと私の中にもこの二つの矢印が存在しているのだろう。その力は私の力?それとも誰の力なのか。

2023年9月13日 (水)

BGM

店にはBGMが当然のごとく流れている。他の客の話し声や業務音を消すためで、音が途切れた瞬間、それらの音の存在に気づいたりする。ここで流れている音楽ときたら、聞いたこともないような不思議な音楽ばかりである。それがよいのだ。あるとき、人と打ち合わせのために入った店でヒット曲が延々と流されていた。そのとき、音楽が気になり、打ち合わせにならなくなってしまったことがあった。ときには川のせせらぎとかの音に囲まれるのもよいのだ。

2023年9月12日 (火)

ペン立て

机上にペン立てが起立している。身じろぎ一つせずに立ち尽くしている。いつでもお申し付けくださいといった風情の忠実な召使いみたいである。しょっちゅう申し付ける用事など我が家に存在するわけはないのだが、いつでもお役に立ちますよという言葉がその上に張り付いているようである。こんな小さなモノの一つ一つが人生の伴侶になっているのであろう。

2023年9月11日 (月)

点滅

灯りはすべて点滅の連続である。ずっと光っているように見えるがそうではない。日々の暮らしも良いこととそうでないことがくり返されている。心臓の弛緩と収縮。空腹と満腹、収入と支出、好事と魔…点滅があって当たり前と受け取ることが大事だ。

2023年9月10日 (日)

収束

ああ、暑さはいつ収束するのか…ところが明け方の最初の冷気に触れると、はっとさせられた。いつのまにかものごとは収束に向かうのだ。ものごとのさなかにいると気付けないのだ。途中で放り出して彷徨いたくなることも同じなんだ…と気づくのはあとになってからのこと。希望をもって暮らすことである。

2023年9月 9日 (土)

台風

台風が来る、と言われるとほとんどの人が台風の動向に注目するだろう。方向・風力・影響・自分との関わり合い…それらを予想して備える。あの人は台風だ、などといって、周囲を巻き込む人のことをそう呼ぶこともある。みんなが気にし、注目し、何か言われたらと身構える。その心理はいったい何?

2023年9月 8日 (金)

自信

「自信を持て!」と言われて、反射的に「ハイ!」とか、「頑張ります!」などと口走ってしまう。返事したあとで、「どうしよう」、と半ば、安易に言ったことへの罪悪感が、半ば、どうすれば持つことができるというのか、という絶望感とがないまぜになって自らを襲ってくる。「持て!」と言われて持てるようなら誰だってその日から自信満々になれるのに。自信とは、他者から、「あなたのここがすごいね」と言われて初めて持つことができるもの。では誰でもよいのかというと、さにあらず。信頼関係ができている相手から言われることが必要条件である。

2023年9月 7日 (木)

「叱」

「叱」の文字の右側は、正確な表記では、「丿」の部分は左側に突き出ている。これは、「切」の左側の文字に相当する。すなわち叱るとは、相手を切ることにほかならない。こわい言葉である。怒るは感情放出、叱るは相手を切る、いずれにしても怒られたり、叱られたりするのは怖い。叱られたときにはどうすれば精神を向上させることができるのか。

2023年9月 6日 (水)

語り合う

人と語り合うと、相手も同じことで悩んでいると気づくことがある。そのとき起こる感情は、自分だけが悩んでいるのではないというものである。他人は悠々となにごともなく日々を過ごしていると思いがちである。悩みのない人はいないと知っていても、見た目で他人は安泰に暮らしていると感じてしまう。相手から、「私もですよ」と言われたときの安堵感は例えようもない。そんなことでクヨクヨするなと言われるのとは大違いである。そんな友が一人いればよいのだ。

2023年9月 5日 (火)

共に食べる

人との会食で食がすすむのは、相手の顔の上に美味しそうに食べている表情を見るからだ。自分で食べている姿は見られないが、それを相手の顔の上に見て、それを自分の姿として受け取るからである。美味しそうに食べたり飲んだりする落語家の芸も同じ原理である。食事は楽しい人としたいものである。

2023年9月 4日 (月)

目で食べる

料理の華は盛り付けである。程よい大きさの皿に程よく盛り付けられた料理は食欲をそそる。高級料理店では芸術的とも思われる盛り付け。高級そうに見えているのではないかと疑うほどだ。そういう豪華さに飽きてきた人が最後に出会うのがソロキャンプなのかもしれないなどと思いながら、細長い皿にサンマを配置して食べることにしよう。

2023年9月 3日 (日)

色あい

着ている服の色あいによって、相手の印象はガラリと様変わりする。それは、着る人の意識が変わる、見た人の表情が変わる、それが相手に伝わって相手がさらに変わるという循環が生じるのだ。ここでも会話が生じている証拠である。人は言葉だけで会話しているだけではない。服・表情・眼差し…すべてと会話しているのである。

2023年9月 2日 (土)

紛争

いつもどこかで紛争は起こっている。いざこざ・意見の食い違い・いがみ合い・話のもつれ…人との衝突は避けられそうもない。一人の人の中でもそれがたびたび繰り返されている。食べる・食べない、行く・行かない…やる・やらない…国同士のいさかいなど言えたがらではない。その衝突が身体に表れるのが困る。いつもどこかが痛いとしたら、心の奥底で紛争が起きているのかもしれない。

2023年9月 1日 (金)

退屈

夏休むはずだった夏が休めなかった子供たちも多い。彼らにとことん退屈を味わわせれば、はやく学校に行きたくなるはずだ。友達と会いたくなるはずである。昨今は夏も休ませないのが教育現場である。長い休みも必要なのではないか。

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