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人は夢を語る。とくにこどもたちはそうだ。それらはしばしば否定される。夢の内容が壮大だからだ。サッカー選手になりたいと語っても、すべてのこどもたちがそうなるとは限らない。むしろ違う仕事に変化していくのが当たり前。専門的に換喩・隠喩と言って、サッカー選手の願望が何か別のものに変わっていくさまを言う。変わっていきながらも種子になるものを内に包含しているのだ。一見気宇壮大に見える願望を認めてあげること、それが大人の度量である。