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2024年4月の19件の記事

2024年4月19日 (金)

気鋭

人はときに物事に酣になることがある。周囲も見えないまま迫りくる宵闇にも屈することなく白球の行方を追ったこともあるはずだ。途中で遮られることをよしとしない気鋭はいつの頃からかその鋭さを失ってしまった。失わせたものは言葉に違いない。言葉さえなければきっとその鋭さは今の今でも輝きを保ち続けていたに違いない。

2024年4月18日 (木)

思案

眠れぬ夜のしじまの中で、思案がとつおいする。「眠れぬ夜のために」などと言う書物を繙いたらどうだろう。さらに眠れぬことになってしまうに決まっている。答えがその中に見いだせぬからだ。腹が立ってきたらいつの間にか寝落ちしていた。

2024年4月17日 (水)

高揚

白熱した危機も来ない、高揚の感情もない、そんな人生はたぶん退屈極まりないに違いない。安寧と見えて内部に巣食う白蟻のようなモノをかかえているのが人生であろう。野球選手の傍に控える危機ほどでなくても、われわれは一触即発の危機と隣合わせである。蟻に巣食われないためにどうすればよいのか。

2024年4月16日 (火)

笑い

好天とともに大勢の人が野や山に繰り出した。あちらこちらから笑い声があがるが、その清らかすぎる笑いには一種の作為があるように感じられる。演芸場での笑いはいっときの爆発にしか過ぎない。真の笑いとは微笑み合うことではないか。一日のうちそんな笑いが一度でもあればよいのかもしれない。

2024年4月15日 (月)

大人

若いころは倨傲な振る舞いをしがちである。清冽な目で人を睨みつけ、質問をし、生まれながらにして世界の秘鑰を握っているかのように振る舞う。そんな彼らを大人たちは駁することにしばしば難儀させられる。彼らは自分を凌駕しようとしているのだ。殻を破ろとしているのだ。それに答えたとき、彼らは成長するだろう。確実に大人になるだろう。

2024年4月14日 (日)

対照的

質実剛健な家庭に育った子が優雅で洗練を好むこともある。反対に優雅な雰囲気に涵養されながらやんちゃな子に育つこともある。陰と陽、明と暗、そのどちらも対をなしてバランスをとっている。明に慣れ親しんだ人からは暗は忌むべきものとして目に映るだろう。両方を受け止めることを寛大というのである。

2024年4月13日 (土)

気まぐれ

青色はあなたに似合わないから、緑色のシャツにしなさい、と言われるがまま緑を着て行くと、やはり流行りの色はあなたには似つかわしくないから、青に戻しなさいと言われたことはないだろうか。言われた通りもダメなら私はどうすればよいのか。いつの間にか、自分で自分を決められなくなっている。似合う、似合わないの基準はいったいどこにあるのだろうか。

2024年4月12日 (金)

同じ気持ち

誰かに悩み事を話したときに、相手も同じ悩みをかかえていると知ることがある。悩みは自分だけのものではなかったとわかる。それだけでホッとするのだ。ところがそこからが大変。相手がグイグイと自分の話をし始めるからだ。そうなると、もういいやという気持ちになってしまう。黙って聞いてくれるだけでよいのに。

2024年4月11日 (木)

解消

ストレス解消のために始めたゴルフがストレスになる、筋トレをし過ぎて整骨院に通う…しばしば耳にすることである。では何もしないでいいかと言うと、それもストレスだ。ストレスとは、緊張と弛緩の交代である。ストレスをためては解消し、解消したらまたためる、その繰り返しである。われわれは波間を漂う木片のような存在なのである。

2024年4月10日 (水)

懐旧

旧友同士が二人に共通の話題を熱狂的に語っている。熱い思いはときに大笑を誘発し、大きくうなずき合う。しかしその熱情は1時間ほど過ぎれば冷め、しばしの沈黙が訪れる。あの激情の時代とは何だったのか。1時間ほどのドラマに過ぎなかったのだろうか。それに較べると、これ以降の時間の何と長いことかしれない。

2024年4月 9日 (火)

課題

日々の課題は、砂浜にいて迎える夜の海の波のように、次々と押し寄せてくる。大きな仕事の変更から、カバンの鍵の調子を何とかしなくてはならない…など対処しなければならないことの連続である。後回しにすればやがて自分に返ってくるだろう。それらをちぎっては投げしているとは、我ながらよくやっていると思うほどだ。これも自己満足かもしれない。

2024年4月 8日 (月)

批判

桜の開花予想はなかなか当たらない。気象予報士でさえ10回に1回くらいの的中率だそうだ。そのことを批判されて言われる方はたまったものではないだろう。私たちの日々も批判の嵐の中にいるようなものではないか。その中を生きてこられたのは、私たちの中に誰かの言葉がインプットされていたからだ。どんな言葉が注入されたのだろうか。

2024年4月 7日 (日)

立場が違うと思いも違う

コンビニで順番を待っていると、前の人がしきりにこちらを気にしながら小銭を数えている。きっと、「早くしろ」とこちらが思っているように感じるのだろう。こちらはただ待っているだけだ。次は自分の番だ。突然、うしろの人を気にしている私に変身する。立場が違うと私は何にでも変身してしまうのだ。

2024年4月 6日 (土)

真面目

人から、あなたは真面目だから。と言われても釈然としない、そんなときはないだろうか。そう言われてしまうと、「真面目」を演じざるを得なくなってしまう。反対に、不真面目だと言われてもやはり釈然としない。どう言われてもしっくりしない。利口、バカ、紳士、グズ…いったい自分は何者なのか、それとも言われたことすべてが自分なのか。

2024年4月 5日 (金)

話が続かない

雨が続きますね、と誰かに言ったとき、「降らないと農家が困るでしょ」と言われたら話がそこでストップするだろう。困るのは事実だが、挨拶とは事実確認とは異なるのだ。暑いね…に対して夏だから、疲れた…に対して、しなければいい…それぞれ言っていることは間違ってはいないのだが。挨拶したくなくなる、と感じ始めたらそれが正常と心得よう。

2024年4月 4日 (木)

言葉に悩む

人間は言葉に悩む。言葉にはだまされない、と豪語する人も、4とか、9の番号札をもらえば、死とか苦の言葉を連想するに違いない。ドイツ製と書いてあれば頑丈そうだと思い、イタリア製ならオシャレ、T大学出身だと言われれば、すごい人に違いないと思いこんでしまう。言葉が優先している。純粋にそのモノ、その人をそのまま受け取ることはできないのだろうか。そのモノとして見る、それが難しい。

2024年4月 3日 (水)

微調整

車を運転しながら思う。ハンドルを細かく動かしているのはなぜなんだろう。小刻みに動かす必要はないのに。たまにしか動かさないでしてみた。やはり危なっかしい。私たちの思考も同様ではないか。ああでもない、こうでもない、こうすればよかった、ああ言えばよかった…今度はこうしよう、ああ言おう…などと未来に向けて微調整しているのかもしれない。

2024年4月 2日 (火)

賭け

たとえばスーパーに行って七味唐辛子一つ選ぶときでさえ悩む。メーカー・大きさ・成分・値段…すべての情報を頭に入れながら一つに絞り込む。その商品に賭けているのだ。味が今一つだとしても自分で賭けたのだから文句は言えない。味が良ければ勝利宣言をしよう。米の選択、乗る電車の選択…すべてが賭けである。そのうちの最も大事な選択を忘れていたかもしれない。

2024年4月 1日 (月)

足が遅い

「足など遅くても良いのだよ」と誰かが言ってくれたら私は劣等感にさいなまれずに済んだだろう。速く走ろうと必死に走ってみたりもした。速い人に追いつくことなどないと無意識的には知っているにもかかわらずなぜ練習したのか。周囲の目が私を追い詰める。「目」などないはずなのに。

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