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6月というのに、土手越しの薮には毎朝鴬のつがいがその声を左右に鳴き交わしている。そのさまに双の目が自ずと動いてしまう。人の来訪もまた鴬と同様に楽しみである。とびとびの話も一興と感じるからである。このことあのこと、よもやまの話に打ち興じるうちに夜の帳は落ちる。それほどまでに人の話の奥深さ、見方の広範なことは自分という存在の小さいことを教えてくれる。次の来訪はいつなのか。楽しみは尽きることがない。