お茶
「お茶でも飲んで行かない?」は、「自分の話を聞いてほしい」と同義語である。お茶はそのためのいわば出汁である。立ち話では終わらない話である。同様に、我が子の悪口は我が子自慢。夫の悪口は夫自慢に変換することができる。「夫がすぐにクルマを買って来て困る」という話が自慢話になっていることに気づくことはない。当人が本当に困っているのだ。街のいたるところで会話はすれ違っている。
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「お茶でも飲んで行かない?」は、「自分の話を聞いてほしい」と同義語である。お茶はそのためのいわば出汁である。立ち話では終わらない話である。同様に、我が子の悪口は我が子自慢。夫の悪口は夫自慢に変換することができる。「夫がすぐにクルマを買って来て困る」という話が自慢話になっていることに気づくことはない。当人が本当に困っているのだ。街のいたるところで会話はすれ違っている。
大きな駅が近づくにつれ、大廈高廈がこちらを睥睨するようだ。つられるようにこちらはその頂を眺めてしまう。首が疲れる。都心に近づくたびにその高度をますます上げるので慣れるのがたいへんである。高い建物に入って見ると、内部はガランとしている。無機質な空間にゴムの木がダラリとその重た気な葉を垂らしている。その木は私なのだろうか。
山紫水明、花園あり、森あり池あり湖水あり、四季の変化がつぶさな眺望の地が望みか、それとも鉄道至便、コンビニ、スーパー、病院あり、災害に強い地、そのどちらがお望みだろうか。片方をとれば片方が引っ込みそうである。どちらも望みであり、人間は都会と山野との間を行き来する生物である。
ニュースでは連日、奸佞譎詐にまみれた報道ばかりが流されている。それは当事者だけの意識なのであろうか。はたまた私たちの無意識が発現しているものなのか。もしそうだとすれば、私たちはその道をその人たちに譲ることに成功したのかもしれない。その道を見つけなくてよかった。向こうの世界とこちらの世界との間にテレビ画面がある。
遠くで雷霆の音がこだましている。ときおりバリッと、異なるトーンで伝わってくるのは、どこかに落ちた余韻かもしれない。音がしているうちはまだ良い。突然落ちるときがあるからだ。親爺から叱られたことは大昔の記憶だ。それが今の自分にどう影響しているのか。
生まれてこの方、両親の鍾愛を一身に受けたと豪語するひとの口調には、どこかしら不満気な調子が語尾に残っている。自分の誕生後に弟や妹が生まれれば主役の座から忽ちのうちに引きずり降ろされる。ある人は、もっと厳しくしてほしかっと呟き、別の人は甘くしてほしかったと嘆く。不満はどこまでいっても満たされることはない。
熊谷は祭の最中である。普段は目にすることさえ叶わぬ人たちが街に繰り出す。そのなかを歩くだけで、白竜魚服とは自分のことかとさえ思う。祭の気分に毒された異型の人たちが平気で私に声をかけてくる。祭がきっかけで街が一つになりたい人たちと、そうはさせまいと逆方向に歩く私とが行き交っている。
電車の車内では、上司と見られる人物が謙遜まじりに自慢話をしている。下僚とおぼしき人は、どうせ何度めかの同じ話を、「やはりそれは支店長さんのその場での度胸と申しますか、力量という力です」などと相槌を打ちながら聞いている。こんな対応の仕方を社内教育で教わるわけもないのに、よく身につけているなと感じる。こうすることが当然である。これからも彼は、「力量」の二文字を使い続けていくことだろう。
久しぶりに繁華街を歩いた。ショーウィンドウが妍を競っている。一つひとつをと見こう見していると人とぶつかりそうだ。どれほど目を動かしていることだろう。一方でガラスの向こうの百花繚乱の華美に見惚れ、一方で危険を回避するという二律背反をこなしている。美だけを見ていたいものである。
繁華街に面した小綺麗な店に立ち寄った。すぐに店員が近寄ってきた。あちらに行けばあちらに、こちらに歩を進めればこちらに追従してくる。情緒纏綿たる風情だ。少々うるさい。すべての値札が裏返してあるのも店長の作戦と知りつつひっくり返すと、再び情緒纏綿がやってくる。服とセットになった自分の姿を鏡で見る。まったく似合わない。店員の顔に翳りが見え始めるころ、私は店をあとにした。
早朝の街には絶対の静寧がある。鶏鳴が一声、空気を振動させた。街を支配しているのは自分ただ一人なのか、それとも街という巨大な地図から少しも出られぬまま呑み込まれているのか、判然としなくなっている。大きな世界のなかで小さなことに頭を煩わせている自分がいる。自分の足元をうろうろ歩き回る昆虫より小さなものに見えてくる。陽はもう少しで姿を現すだろう。
この地には奇聳なものもなければ激越なものもない。したがって人品もどこかしらのんびりしていて、隣のゴルフ場では洒落たキャップを被った数人がピンク色の服に身を包んだキャディーを従えてゆるゆるとその歩を進めている。その上空には電線も電灯もなく、ただ贅沢で空っぽな青空が横たわっているだけである。
朝戸出の太陽が、今頃起きたかと言わんばかりに空の向こうで叫んでいる。日の出とともに友と海岸めがけて走っていた青春時代はとうの昔のことだ。いかにして灼熱をやり過ごすか、快適に過ごすかを考える。これが知恵というものだろうと背を少しだけ伸ばしている。
日本列島は雨季の真っ只中である。どこもかしこも湿り気を帯びている。その向こうに燦爛たる太陽の円盤がやがて顔を出すのだ。その確かさが人に待つ力を与える。どれだけ私たちは待たされて来たことかしれない。寝るのは試験の後、遊ぶのは後、楽するのも後…その結果得たものは老い。太陽だけは未だ輝き続けているというのに。
とかく狷介な性格、緋縅を身に纏っていたときはとっくの昔に過ぎ去ったのに、未だにプライドだけは高い年代が街を闊歩し、そのうちの一人が私だ。外側から瞥見しても過去のことは知れない。きっとその人だけの頑迷な思想がこの年までの柱になっていたに違いない。どんな思想がそこにあったのか知りたい。
絆という言葉が脚光を浴びて久しい。絆とは何か。それはいざというときに対処したり、もらったりすることをいう。それが過剰になるのが覊絆である。縛りつけられ、何事も許可を得ないと許されない状態を指す。それから自由になりたいか、反対に、なってしまうことへの恐れとの間で揺れ動いているのが私たち人間である。
同僚が何か冗談を言い合って忍び笑いをしている。自分のウワサ話をしていると感じるのは妄想である。妄想だ!と一刀両断に切り捨てられれば、楽である。そうすることができるようになった起源はもちろんある。反対に、自分が槍玉に挙がっていると訴えてやまない人もいる。その違いはいったいどこにあるのか。
どれほどの名所旧跡も、かいなでの旅行者である自分にはその価値すら分からない。説明に触れても、ちょっと表面を撫でたにすぎないからすぐに忘れてしまう。そこに行ったという経験はいったいどれほどのものであろうか。一番知らないことは、自分自身のことかも知れない。
かくも進歩に抗うように、買い物はキャッシュである。品物を店員に告げ、美味しいですよ、と言うに決まっていると知ってはいても、美味しいですか?と尋ね、告げられた通りの金子をギクシャクと財布のそこを弄りながら、ある場合には釣銭を受け取り、またあるときにはピッタリの額が揃えば少しだけ嬉しがっている。店員はこちらに寄り添う。買い物とは交流そのものである。
払暁、それなりのウェアに身を包んだランナーが幾人か軽快なリズムを刻みながら走り去っていく。一人は東の空めざし青春ドラマよろしく走り抜けていく。別のランナーは朝日などには目もくれず未だ夜の余韻が残る西を目指している。やがて二人は交差し、その速度を一層速めたように見える。交差する瞬間、二人は声にもならぬ挨拶を交わす。互いの健闘を讃えるかのように。
近所から戞々とした音が響いてくる。聞けば庭を掘ると出てくる石を粉々にして河原に持っていき撒くのだという。その昔、川が流れていた証拠だ。取り除いても土が奥底にある石を土の表面に浮上させるのである。そしてそれをまた取り除いて粉砕するのだ。土に意志があるかのように吐き出している。別れたあともその音は続いている。
誰にでも渇仰すべき人物を心のなかにもっている。それは身近な人かもしれず、歴史上の人物…顱頂から足の爪先、言葉の一片さえ自分の体内に摂り入れたいと思う人物である。その人物が私の心の芯となるのである。
狂ったような太陽もその勢いを弱める黄昏のときが来た。夕闇の仄暗さが空に遍満し始めている。ものはみな輪郭を正し、一羽一羽の鳥の姿さえも闇色のキャンバスを背景に緻密に描いている。残光が西の彼方に少しだけ赫うており、これから休息の時間を満喫しようとしている人間たちのための準備に余念がない。明日の暑さに備えなければなるまい。
人はなぜ人の話を聞いていないのか。それは想像力を駆使すると疲弊してしまうからだ。いわば護身だ。自慢話は腹が立つかもしれず、血腥いストーリーは遠慮被る。こちらを持ち上げてくれる話は大歓迎と言いたいところだが、落とし穴が待ち構えているかもしれない。クワバラクワバラ。
夏の暑さが猖獗を極める頃だ。夕陽が背中にここぞとばかりに焼鏝を当てる。夏が始まれば、空に向かって明日はどの海岸に行くかとたわいもない相談を友としていた身が、今となっては秋の一日も早い到来を待っている。じっと家にいるしかない。
つけ麺は、かつて山岸一雄氏が店にお客が少ないとき、茹でたての麺を汁につけてすすっているのを客が見てそれを所望したところから生まれた、いわゆる賄いメシが原型である。暑いさなか、住宅建築現場で大きな扇風機を背負って作業しているのを見たことがある。そのとき気がつけば、ベンチレーター付きの作業服の特許を取れたかもしれない。ヒントはいつもどこにでもある。見えないのはなぜなのだろうか。
目の前の鬱蒼とした竹林のなかの一本がゆらゆらと蠢きながら人がそれを運び出すのが見える。朝まだきの時間にそれは密かに行われる。数日の間に竹の枝々は願い事で大賑わいになっていることだろう。
厚ぼったいネズミ色の雲が灼熱の太陽の予感を孕んでいる。見霽かすような南国の空はいつやって来るのだろう。来れば来るで秋になることを、焼ける太陽を避けながら友に呟くだろう。ちょうど良いとはいったい何を表わすのか。
朝の暑気が懲りずまに部屋を犯すころだ。物憂い空気に喝を入れるようなパタパタというジョギングの歩を進める音が過ぎる。かたや空気を切り裂きながら進む人、ゆるゆると小説をあてどもなくパラパラと捲る人。それぞれパタパタ、パラパラ朝の時間を過ごしている。
学生に京都の何が分かるというのか、という自分も歴史の何たるかは分かってはいない。大人になって曾遊の地はまんざらでもないと思う。ただ連れられて行っただけでも懐かしいのだ。それはかつての自分との邂逅であり、生きていた自分の証にほかならない。経験とはこうしたものである。
誰にでも若い頃の書き物の断片の一つや二つあるだろう。ノートの韋編を紐解くと、倉卒につけた若い筆跡を認めて、その時代のいろいろなことが思い出される。そこには生きた証がある。悩み、苦しみ、ときに涙したインクの染みが変色して黒ずんでいる。あの頃も必死に生きていた。これからも生きて行こう。この先永遠に。