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学生に京都の何が分かるというのか、という自分も歴史の何たるかは分かってはいない。大人になって曾遊の地はまんざらでもないと思う。ただ連れられて行っただけでも懐かしいのだ。それはかつての自分との邂逅であり、生きていた自分の証にほかならない。経験とはこうしたものである。