« 輪廻 | トップページ | 暑さ »
「嚢中の錐」といわれる通り、尖った言葉が口をついて出る人がいる。そんな知識など出さずともよいのにと、周囲は気が気ではない。ところが本人がそれに気づくことはない。なぜそのプチ知識が出るのか。本人にとってそれが自然だからだ。その一方で、そんなプチ知識を面白いと感じる人もいるだろう。そんな相手に向かって放出してしまえば出る釘も打たれずに済む。そんな対話相手がいるかどうか、それが打たれるのと打たれないとの境目になるのだ。