« 2024年9月 | トップページ

2024年10月の15件の記事

2024年10月15日 (火)

本当のこと

本当のことは言えるのか。言えばひとからの誹りを受けることは確かだ。ファンの皆さんのお陰でホームランを打てた、皆さんのお陰で娘が妊娠した…世界は譎詐に満ちている。そのことに気付かない。気付いてしまったら、毎日悩むことになる。本音はどこで語ればよいのか。

2024年10月14日 (月)

些事

この世には、細かいことに気付く人と、気付かない人とがいる。痒いところに手が届く気遣いの人は、届きすぎてこちらが鬱陶しく感じるときがある。その一方で、不屑の人もいる。その人といると気持が安らぎ、失敗も許してくれそうである。

2024年10月13日 (日)

尽きる

美味しいものも食べ尽くした、嘘です。日本中も行き尽くした、これも嘘。本もたくさん読み、遊びも飽きた、もちろん嘘である。ところが、人の話は面白い、興味が尽きない。私の感性をはるかに超えている。私の人生はいったい何だったのだろうか。

2024年10月12日 (土)

良いところ

教師から、「人の良いところを見つけなさい」と言われ、絶対に見つけたくないと思った。成績がよく、イケメンで、女の子にもてて、スポーツ万能…そんな友達は嫉妬の対象だ。見つけた瞬間、見たくなくなる。劣等感を味わえ、と言われているように思えた。

2024年10月11日 (金)

おまけ

「グリコのおまけ」がかつて存在した。キャラメルなどどうでもよく、おまけを得るために買い、包装紙を引きちぎり、大切にし、見せ合い、友に誇った。おまけの方が価値があったからだ。ある年代を過ぎたら「おまけの人生」。こちらの方こそ大事にしよう。

2024年10月10日 (木)

好き

いくら好きなことがあっても、そればかりしているとは限らない。好きとはそれに触れると血が騒ぐことと言える。かといって年がら年中血が騒いではいられない。1日中ビートルズの曲が流れているカフェを訪れたが、さすがに疲れた。壁という壁にビートルズの写真があり、ギターやピアノがあり、血が騒ぎっぱなしである。血が騒ぐときと血を静めるときとバランスが必要である。

2024年10月 9日 (水)

精神

青年期に興味がなかったものに老年期になると関心が向く。目に見えないもの、すなわち精神的なものに関心が向くようになる。四国巡礼に出かけたり、寺社巡りをするのもそうだ。精神的なものとは言葉である。歳を取ると蘊蓄を語ったり、説明が長くなったりするのも同様だ。語りたいことがあったら、そっと隣の人に呟けばよい。

2024年10月 8日 (火)

素っ気なさ

素っ気ない対応の店がある。店内で、いらっしゃいませも言わず、目も合わせず、放ったらかしである。ところが一旦品物の質問をすると詳しいことこの上もないといった風情でまくしたてる。聞いていて心地よい。質問を止めると再び放ったらかしに早変わりだ。それに比べて都会の店はどうか。田舎者にもVIP扱いだ。客はそんな挨拶にいちいち反応していない。反応するから疲れるのだと知った。放ったらかしが懐かしい。

2024年10月 7日 (月)

放出

赤ちゃんは、不快を泣くということで感情を放出する。大人も同様に怒る、怒鳴る、叫ぶ、喚く。周囲も相手も甚だ迷惑だが、当人はそれでスッキリする。怒らない人は我慢しているにすぎないので、気分や体に変調を来たす。体に影響を与えず、誰彼に向かわずに放出する方法は何か。

2024年10月 6日 (日)

敬礼

飛行機が駐機場を離れて滑走路に向かっていくとき、数人の整備士がこちらに向かって敬礼を送る。いったい誰に何に向かってのそれなのか。パイロット?客?それともキャビンアテンダントのなかのお気に入りの娘?送られた方は自分に向かってのものと思っている。

2024年10月 5日 (土)

点検

待ち合い室の椅子から立ち上がるとき、忘れ物がないか点検する。そのとき指差称呼する。目で見るだけでよいではないかと思うがつい指を指すのはなぜか。このときほど、私という人物以外にもう一人の私が私を指示していると感じるときはない。私はもう一人の他人。

2024年10月 4日 (金)

代理

「電車が遅れて申し訳ございません」と駅員が謝罪している。それほど恐縮しなくてもよいのにと思う。なぜなら、代理で言わされているにすぎないからだ。極端に言うなら、心底謝罪してはいないということ。それを言ったら身も蓋もないが、事実である。それを指示した上司に責任があるかと言えば、そうではなく、運転手のせいかと言えばさにあらず、急病人が出たのは、腹痛の原因を作った料理人のせいで、食材のせいで…というふうにどこまでいっても代理人しか出てこない。だから、「申し訳がない」という言葉は正鵠を得ているのだ!どうすれば諦めがつくのか。

2024年10月 3日 (木)

待ち草臥れる

待ち草臥れるわけは何か。それは差異である。予定と現在との葛藤である。8時になっても相手が現れない、その時間の差異を考えるから草臥れるのだ。草臥れないためには、どちらか片方にしてしまえばよいのである。

2024年10月 2日 (水)

夢の解釈は、夢見手の思いと逆である。皆が笑顔で現れたという夢が恐ろしい内容であったり、魘されながら見た夢が素晴らしい内容であることは毎日の解釈の中で明らかである。夢はいったん語ってしまえばスッキリしてそれ以降毎回夢を持ってこられる。夢は現在起きている事実である。

2024年10月 1日 (火)

雲が鰯雲になるころ、太陽はそのはるか向こうで白く破裂している。遠くを客船が静かに海上を動いている。手前からは漁船が三杯、白い航跡を残しながら沖へ向かって港を出るところだ。船には脚がないから豪華客船も潮風にまみれた漁船も白い裳裾を引くようにして海を進む姿が美しく見える。立ち居振る舞いとはそのあとに漂う残り香のことなのかもしれない。

« 2024年9月 | トップページ

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
フォト
無料ブログはココログ