« 2024年11月 | トップページ | 2025年1月 »

2024年12月の31件の記事

2024年12月31日 (火)

歳の暮れ

今年も一日だけになってしまった。朝のうちのんびりしていると冬の陽はみるみるその勢いを失う。灯ともしころになれば人もまた勢いを失い、テレビの前を片付けたりする。来年はどんな歳になるか、いやそうではなく、どんな歳にするかを考えることにしよう。

2024年12月30日 (月)

年末

年末の暗さはいかばかりか。さなきだにクリスマス・ツリーの灯を失ったばかりだ。一層暗さが募る。それは新年の明けの予感を秘めた舞台上の暗転にも似ている。人の世も暗さと明るさが交代して押し寄せる波動なのかもしれない。

2024年12月29日 (日)

歳跨ぎ

12月31日に鎌倉八幡宮に行ったことがある。蕎麦屋が1軒だけ営業している以外は人っ子一人出会わなかった。店主の、あと数時間後はたいへんなことになっていますよ、の言葉通りだと元日のニュースで知った。ずっと家にいて家蔵の本を読めば出ず入らずである。

2024年12月28日 (土)

気づかない

下膊に思い出せない傷がある。不慣れな掃除のせいであろう。自分でつけた傷に気づかないとはなんとしたことだろう。もしかしたら、気づかないうちに人を傷つけていることだってあるかもしれない。どうすればよいのか。湖水のように沈黙を守ればよいのだ。

2024年12月27日 (金)

言えない

誰にでも言えない話の一つや二つあるものだ。楽しく会話している最中に、突然口を噤みたくなることがある。それを語ることで嘲笑されることを知っているからだ。あるいは、こんな話で相手に不快な思いをさせまいとする抑圧がはたらいていることを意味する。よって心の中に語りたくて仕方ないほどの訴えがたまっているのだ。

2024年12月26日 (木)

年の瀬

街々の横丁は人の行来が多い。とめどない洒落や地口が行き交う。日本語とはこれほどまでに同音異義語が多いかと思わせられる。平安時代に端を発したもの、若者言葉の類、グループ内での言い回し…。高歌放吟はなくなった代わりに言葉のキャッチボールが鬱屈した気持ちの放出に一役かっている。

2024年12月25日 (水)

肌に優しいというその温泉宿は険しい崖の上にあった。寝巻も着るものも温かいものをご持参くださいという宿主の恐ろしい言葉に打ち克つように雪の中をようよう辿り着いた。窓の外に雪解雫の音があった。湯に浸かっては出るの繰り返しにもそのうち慣れた。一汁一菜の夕飯をあっという間に平らげ、あとは寝るだけ。こんな暮らしもいつかしてみたい。

2024年12月24日 (火)

聖夜

世はクリスマスである。隣家から三鞭酒のコルクを抜く音がする。窓の隙間を通して赤や青の光が点滅している。平和とは光の点滅だ、などと一人合点している。日本はやおよろずの神の中にキリスト様も加えてその時の都合で呼び出しに成功している。

2024年12月23日 (月)

クリスマス・ツリー

クリスマスキャンドルが街中に妍を競う頃だ。樅の木が、日本人の心には御神木と重なって見える。ハロウィンとの質も量もその差は大きい。忘年会のお酒は御神酒であり、神社でいただく紅白のお菓子はクリスマス・プレゼント、とパラフレーズするのも一興である。樅の木の飾り方もヤオヨロズの違いがある。

2024年12月22日 (日)

マヌ法典と空海

マヌ法典の一節に、「行為は身・語・意から生じ、善悪いずれの結果をも生じるものである」というのがある。空海の著書のなかにも、「身密・口密・意密」という文言があって、それとピタリと一致している。真理を極めた人はやはり一つの真理を目指しているに違いない。

2024年12月21日 (土)

物事の淵源を訪ねる性向の人もいる。それほど拘泥するのはなぜなのかとも思うが、そう思うこと自体が源を訪ねている。自分自身を見ているのだろう。

2024年12月20日 (金)

模範的

家のなかはどんな些末な家具什器にいたるまで模範的なものであった。年代物の箪笥はもとより、屑箱、米櫃にいたるまですべてが模範的な形をしている。そんな家に住むひとも日常の折り目正しい挙措でわれわれを迎え入れてくれる。ところが、暫くするうちになんとはなしに居心地の悪さを感じる、そんなことがあるものだ。きっと自分に無いものをみているからに違いない。

2024年12月19日 (木)

本音

考えを纏めようとしても纏まらないもの、それが抑圧である。考えは確かにあるのに出せないでいる。それを出せる世界が夢である。夢は抑圧の壁を擦り抜けて映像で語っている。それが本音である。「本」音が「観」えるひとを観音と呼ぶ。

2024年12月18日 (水)

風情

由緒ある旅館の窓には卍崩し組子の窓框が嵌め込まれている。肱をついて外を眺めれば、袖口から冬の冷気が忍び込んでくる。セピア色の写真で見るようにはいかない。風情とは、細かい細工の集積に他ならない。人間にも風情があるとすれば、それは何処に表れるのだろうか。

2024年12月17日 (火)

おとなしい

どんな組織にも一人や二人はいる。その人は何も語らず、動ぜす、表情にも出さない人がいる。彼は密かに自分の将来を北叟笑んでおり、上から睥睨し、冷ややかな目で観、ちょっと斜めから人を観るしぐさはドラマの中の嫌われ役そっくりである。どう付き合えばよいのか。そっとしておけばよい。彼は、おとなしいし、自分のなかで充足しており、自らの世界が構築されているのである。

2024年12月16日 (月)

三味線

折花攀柳の地と呼ばれる土地に生まれても、その界隈は通っただけだ。どこからか三味線の爪弾きが聞こえ、キレイなお姉さんとすれ違うことがあったくらいだ。いまではその余韻もなく、人形の街よりも文房具の街に変わっている。三味線の音色も聞かなくなって久しい。

2024年12月15日 (日)

本との出会いは自分との出会いである。著者の出来事は自分の出来事である。自分をそこに見つけ、自分と会話し、感動しているのである。だからその感動は人それぞれである。新しい本を手にしてどんな自分と出会えるのだろう。

2024年12月14日 (土)

発見

散歩の途次、こんなところにカフェがあったのかと思わず足がとまる。再び歩を進める。いつの間にか新しい家が建っている。幌を取り除いたために白亜の館がいよいよその全貌を明らかにしたにすぎない。いったい自分は毎日何を見、何を感じながら暮らしているのだろう。もしかして自分のことだけにかまけている証拠かもしれない。その自分ですらいつも通りの暮らしなのだが。

2024年12月13日 (金)

晴天

こころもときめくような青空を見て、素直に喜びを面上に表したのはいつの頃だったろう。抜けるような晴天が当たり前になってしまったからだろうか。それに付随した喜びごとがなくなったからだろうか。ともに喜びを感じ合う友がいなくなったからだろうか。歳のせいばかりではなさそうである。

2024年12月12日 (木)

光景

夏、あれほどまでに繁茂していた葉叢も一気に姿を消し、今まで姿を隠していた農家の屋根が點綴している。見えなかったものが見える、なんとも不思議な光景だ。人間の心にも何かが鬱積しているために見えないモノがあるに違いない。それはいったい何か。

2024年12月11日 (水)

月影

煌煌たる月が中天にかかって、その影が家家の鋭角的な角を際立たせている。月の青白さと身を切る寒さが歳の暮れが迫っていることを一段と感じさせてくれる。1年何をしてきたのか。感動はあったのか。し残したことばかり身の回りに散乱している。月影は部屋の中にまで差し込んできてそれを見逃してはくれない。

2024年12月10日 (火)

揺れる心

心の何が揺れるのか。それは言葉である。こうする、と決めた言葉が否定されたときである。自分で自分を決めることには限界がある。他者による保証がなんとしても必要である。揺らがない心をもつのは夢のまた夢か。

2024年12月 9日 (月)

波立つ

少しのことでも心が波立つのが人間である。その源は言葉。言葉など覚えるんじゃなかった。ほんのひとことで長い間積み上げてきた自信があっという間に崩れ去ってしまう。揺らがない心を持てという言葉もその効果は数秒経つと消え去る。どうすれば波立つことから逃れることができるのだろう。

2024年12月 8日 (日)

愉しいこと

愉しいことはすぐに流れ去るのに、苦しいことはいつまでも心に残る。その違いは何か。突き刺さるほど愉しいことだったのかどうかということ。苦しいことをはるかに凌駕するほどの愉しみがあればよい。それがなければ、愉しいことだけを追い続けることだ。ところが、苦しいことだけを追い続けるひともいる。その違いはなにか。

2024年12月 7日 (土)

時間

時間は不思議。楽しい時間は須臾の間に比べて、会議の時間はお尻が痛い。ところが痛く感じない人もいる。その違いは何か。

2024年12月 6日 (金)

燻し銀

かつて社長らしい振る舞いをして失笑をかっていた友も、年齢を重ねるに従って動作が少なくなり、それがかえって燻し銀のような威厳を表情に加えるようになってきた。それに比べて自分はどうか。威厳も燻しもありはしない。あるのは友と同じ年齢だけである。

2024年12月 5日 (木)

淡々

白熱した危機も来ない、感情の高潮もない、そんな人生はあるのか。もしあるとしたら生きている実感が無いに等しいはずだ。幸せに暮らしましたとさ、童話の結末とは行かないのが人生ではないか。今日もどんな危機が来るのか、それとも胸の高鳴りがやって来るのか。

2024年12月 4日 (水)

記憶力

物覚えが悪い人は幸いなるかな。すべてを記憶していたら前に進めないからだ。苦しみ悲しみの記憶を忘れられるではないか。良いことも忘れられるから、次の楽しみに心躍らせることができる。喜び、楽しみの連鎖だけを探し続けていこう。

2024年12月 3日 (火)

主張

子どもの言うことを我儘ととるか、自己主張ととるかで、子どもの性格は大きく変わることになる。彼らは自分の欲望を単に表出しているのであり、大人たちがたまにつぶやく、今日は仕事に行きたくない、という欲望を斥しているに等しいのだ。そう思うのだね、のひとことがかけられれば、彼らは将来自由に発言できるようになるだろう。

2024年12月 2日 (月)

強情と繊細さ(2)

このように、人間は場面に合わせて意識を変えて生活している。上司の前で低姿勢であっても、部下を目の前にしてそれではまずいのだ。泣いたり怒り狂ったり…人間を一面だけで見てはいけない。その人を「見る」ことが大切だ。

2024年12月 1日 (日)

強情と繊細さ(1)

人の意識は流動的である。自説を主張して退かないときもあれば、思い遣りをかけるときももちろんある。強情ばかりでは人と摩擦が生じるし、繊細ばかりだと詐欺に引っかかる。流動的な意識を称して全体性という。それを受容することが大事である。

« 2024年11月 | トップページ | 2025年1月 »

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
フォト
無料ブログはココログ