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2025年1月の18件の記事

2025年1月18日 (土)

変容

若いときは陰鬱な顔をして誰とも口をきかず、大人たちを斜めからの見るような若者が、いつのころからか明るくすべてのことに喜びを見出す性格になったりするものである。塞ぎ込んでいるから、落ち着きがないからと安直に評価してはいけない。草木が変容するようにただ待てばよい。これを見守るというのである。

2025年1月17日 (金)

清澄な空気のなかを闌干たる星空が展いている。一番近い星でさえ人類はすぐに行くことはできない。星に願いをとは叶わぬ夢のことを言うのか。叶えられるとすれば、それは私たちの意志の強さによるであろう。

2025年1月16日 (木)

山巓の小さな湖の表は蒼空を映すばかりである。峨々たる山様が湖の小ささを際立たせている。ポツンと取り残されたような湖は少しも淋しさを呈してはいないように見えた。むしろ人跡を拒絶しているようにも見える。湖水はひたすら水平を保ち、山の窪みに従い、蒼い空をその表に映すだけだ。静寂とはこのような姿を言うのであろう。

2025年1月15日 (水)

失う

気に入っていた腕時計を紛失した。金銀を鏤めたようなものではけっしてない。しょっちゅう腕に巻きつけていたわけでもない。文字盤は陽の光で黄ばみ、装着しにくいそれはアウトレットものだ。喪失の安心感をいま得ている。

2025年1月14日 (火)

仕草

人柄は言葉に表れる。同時に仕方話にも顕著に表れる。少女たちの指の立て方、小首の傾げ方、ちょっと身を引いて驚いたりするそのやり方はいったいどこで習ったのか。瞬時にできるのは天性だろうか。男は殺風景な生き物である。

2025年1月13日 (月)

朝まだき、そこら中が黯い。ときおりカラスの声が聞こえる。ライトが右往左往しながらこちらに近づいてくる。少し怖い気がする。向こうも怖いはずだ。明かりがあるうちはよいが、空がグラデーションを濃くしていくころになるとライトを消したまま人と交差する瞬間はもっと怖い。夕刻の散歩より足早になるのもむべなるかな。

2025年1月12日 (日)

式典

厳かな式典には八字眉の悲しげな姿がよく似合う。それほどまで打ちひしがれた様子でいられることに自分でも驚く。何を思えばよく、どう振る舞えばよく、何を語ればよいのかも考えさせてくれない時間が過ぎていく。思考を停止するのはこのときだけしかできないのかもしれない。

2025年1月11日 (土)

好きなこと

好きなことがある人は幸いなるかな。いや、すべての人には何か好きなことがあるはずだ。人は好きなことをすることに怖れをいだく。それは、そのことに夢中になってしまうと、擒になることを怖れているからだ。擒、すなわち取り込まれてしまうことへの怖れである。それから脱出できなくなってしまうくらい夢中になれればよいのだが。

2025年1月10日 (金)

月影

朝まだき、マラソンランナーや散歩の人とすれ違うたびに、炳乎たる月影が彼らの横顔を照らす。空気が澄んでいるせいか、その光がより顕証に見える。挨拶をすべきか否か。悩んでいる暇もなく、相手は後方に消え去ってしまう。昼間出会ったとしても分からないだろう。懐中電灯の振れ方で、ああ昨日すれ違ったひとに違いない、そう思いながら歩を進めるだけである。

2025年1月 9日 (木)

冬枯れ

どこまでも冬枯れの景色が広がっている。かつて緑の簇生が我が物顔に振る舞っていた大地も、その土色を晒している。頬を刺す冷気が土に霜柱を生じさせている。あとニ三か月で人の口から花の話題がもれ始めることなど俄には信じられない。しかし信じることにしよう。自分を信じるように。

2025年1月 8日 (水)

凧揚げ

目の前の公園で誰かが凧揚げをしている。去年、自分も同じことをしたのを思い出した。きっと同じ光景は所々方々で行われていることだろう。自分のしていることなんか、特別なことでも何でもないのだ。考えていることだけじゃなくて、食べているもの、失敗、失言、得意になり、自分に失望したかと思うそばからふたたび眦を上げたり…皆同じことをしている。

2025年1月 7日 (火)

神々しい

初詣の人波を避けるようにして宝物殿に歩を進めると、はるか神代の時代を彷彿とさせる宝物が処狭しと並んでいる。あるものは朽ち果て、またあるものは紫磨金の地を木目の奥に覗かせている。荘厳とはこのようなもの全体と称すのかと思われた。少しばかりだが清められた気持ちを味わうことができた。

2025年1月 6日 (月)

冬休み

冬休みに入ると勉強家は入学試験に備えるが、われわれは冬の軽井沢にあった。朔風の吹きすさぶ軽井沢には店らしきものはない。かろうじてスケート場を見つけたが、場内に氷はあるものの、材木の切れ端が氷上に散乱しているので、悪童どもはそれを避けながら滑った。何もない冬休みはあっという間に終わった。

2025年1月 5日 (日)

初詣

神社の細縄には正しい間隔を置いた幣が幽かに揺れている。白さが際立っている。新年を迎えた実感はこんなところに見てとれるのかもしれない。清淨たる気が神社の社殿のなかに満ち、白地に紫の文様の帷の奥で頭を垂れた人々の頭上を、神主が榊のみどりにふさふさと垂れた幣を左右左に振った。鈴の音が神々しい音色を響かせている。新たな道を歩もう。

2025年1月 4日 (土)

休み

正月休みも終わろうとしている。偸安の夢をむさぼるのもあと少しである。かといって、夢がずっと続いたらどうなるのか。働きたくなるのだろうか。私たちは両方の生活を同時に楽しめないようにできている。

2025年1月 3日 (金)

明ける

一月の明るさはいかばかりであろう。たった数日の違いで、女性たちの表情が明るくなったためであろう。櫛笄までもが笑いさんざめくたびに色鮮やかに目に映る。年が明けるとはこのことをいうのであろう。

2025年1月 2日 (木)

日の出

日の出の美しさは喩えんかたもない。太陽が地平線目指して探り探り昇ってくるのが、蒼い帷が白い色に変わっていく様子でわかる。舞台の暗幕が人の手によって上げられていくより荘厳かつ神秘的に感じられる。普段宗教心のない者にも少しばかり神の存在を信じようという気にさせられる。今年はどんな歳になるのか、ではなく、こんな歳にしようと決めることが大事だ。

2025年1月 1日 (水)

新年

去年はあっという間にそびらを返して去った。こぞはもうないのだ。こぞの私は過去の人であり、こぞのことはこぞのこと。もう出会うことはないのだ。まったく新しい歳月をこれから歩んで行こう。

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