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2025年5月の16件の記事

2025年5月16日 (金)

「児」の古い表記は「兒」。頭に隙間があることを意味する。良いも悪いもこの間隙をぬって言葉が入ってくる。その後閉じて「見」になる。我々が見ているものはこの時代に刷り込まれた価値観で相手やモノを見ているのである。見方を変えるとは、一度刷り込まれた価値観を捨て去り、そのものをありのままに見ることである。

2025年5月15日 (木)

光風霽月

晴れた日のうららかな風と、雨上がりの晴れわたった月は清々しい。それは風景を語っているのだろうか、それとも、それを言う人の心を述べているのだろうか。

2025年5月14日 (水)

褒め言葉

褒め言葉は難しい。9歳の男の子に、「かわいい」の言葉はふさわしくないだろう。「カッコいい」、「強そうだ」、「男らしい」の言葉が適しているだろう。それは本人が求めている言葉だからだ。それを配慮という。それを言える人もその言葉をもっているからである。人を褒めるとは自分を褒めることである。

2025年5月13日 (火)

光陰如流水

すでに一年のうち4分の1が過ぎた。流れ去る水が元に戻ることがないように、過ぎたことは仕方がないのだ…と思いつつつい昨日のことを思い出してしまう。だから前に進めないのだ。なかには、今朝食べたことを思い出せない人もいる。幸いなるかな。

2025年5月12日 (月)

優柔寡断

なかなか決められないとき、人は「優柔寡断」だ、とか、「不断」だなどとこちらを評していう。反対に、本人も別のときはそうだったりする。決められないのはなぜなのか。それは、どちらにも意味と価値があるからだ。片方にしてしまうことを果断という。

2025年5月11日 (日)

語り

人が語っている内容はいったい何なのか。自分だけの経験、最新の情報を語っているのかもしれない。沈黙している人は、もしかすると心の奥底に大きな企画を隠し持っているのかもしれない。

2025年5月10日 (土)

新緑

全山は緑の木々で囲繞されている。つい数ヶ月前まで悲しげな茶褐色の襤褸を纏っていた山々とは思われないほどだ。遠くに目を凝らせば、場所によっては斑雪も散見される。足元には赤や黄色の花が太陽光線を浴びている。この賑やかな季節もやがて濃い緑で山の形まで分からなくしてしまう。自然の変化の速度は早い。それに比べて人間の変化の速度はいかに遅いことかしれない。

2025年5月 9日 (金)

新緑

問柳尋花、野に出れば見渡すばかりの新緑が目に眩しい。新緑には花の青も赤もよく似合う。伸び盛りのときは手一杯に枝葉を広げ、やがてその中から自分に合った枝だけを伸ばせばよい。繁茂から収斂へのプロセスを経なければならない。収斂させるのはいつ頃になるのか。いまだに収斂せずに伸び放題のままである。

2025年5月 8日 (木)

悩み

悩みとは選択の悩みである。あちらを立てればこちらが立たず。こちらを選べばあちらが引っ込む、その繰り返しのなかで悩む。誘われたランチに参加するしないで悩み、春色の服を買うか買わないで悩む。人に決められるのも嫌だ。二つに分裂した私がいる。

2025年5月 7日 (水)

心の傷つきはなかなか癒えるには時間がかかる。「傷弓之鳥」のごとく、一度の怖い体験による怯えに打ち勝てるものではない。それに比べて楽しいことが消え去ることのなんと早いことか。だから、楽しいことだけしていたい、切にそう思う。

2025年5月 6日 (火)

口癖

先輩の一人は、自分のことを「ミー」と呼ぶ。後輩であるわれわれは目引き袖引き笑いをこらえるのに大童であった。それは今に始まったことではないからだ。先輩はそのことに一向に気づく気配がない。口癖とは、周囲が知っていて本人だけが知らない言い方のこと。私には私の言い方があるが、そのことに気づけない。

2025年5月 5日 (月)

表情

こちらは相も変わらずこんな顔をしているのに、突然目の前に現れた相手から、具合でも悪いの?と訊かれることがある。こちらにはそんなことがないにもかかわらずである。人はいったい私のことを見ているのだろうか。相手が見ているのは私?それとも誰なのか。

2025年5月 4日 (日)

簒奪

主導権を奪うこと。物騒に聞こえるが、日常的なことだ。大人しい二人が出会えば、どちらか一方が主導権を握ってその日の計画に相手を従わせる。両者が主導権争いをしていても物事が進まないので、片方が相手に主導権を握らせる側に回るのである。無意識的に調整し合っている。そのどちらの側にも立てる人が望ましいのだ。

2025年5月 3日 (土)

意志貫徹

反対意見を言うことを、「倒行逆施」と言う。こちらが「右」と言えば「左」と言い、上と言えば下、和食に中華、と言う人を指す言葉である。真理があるように見えて、さにあらず。ただ逆を言っているにすぎない。したがって根拠はない。こうした反対意見に流されないためには、こちらも「意志貫徹」を心に刻めばよいのだ。

2025年5月 2日 (金)

享の文字は饗の字に通じると辞書にはある。饗は神に飲食物を捧げる意。神をよろこばせることを意味する。神とはどこにいるかといえば、私たちの体の中にいる。全身に張り巡らされているものを誰か知らぬが神経と名付けた。体が喜ぶものだけを食し、楽しいことだけをする。それが享である。

2025年5月 1日 (木)

住み替える

目先を変える、と言う通り、住まいを変えると気持ちも変わるものである。候鳥のように、目にする景色を変えることだ。それによって精神もリフレッシュするものである。

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