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2025年11月の30件の記事

2025年11月30日 (日)

広大無辺(1)

広い心で相手を受け入れること。善いも悪いもない、友達の誘いを受けるのも、断るのも善と言ってあげる心をいう。これが難しい。本人だけでなく、聞く側も自分を後回しにして世間体を優先することを求められているからだ。嫌われたくない自分との板挟みである。自分を優先してあげる心を宏大無辺の心と言う。これができたらなんと楽に生きられることかしれません。

2025年11月29日 (土)

錦衣玉食

たまにはすごいご馳走を食べてみたいと思う。高級料理店で着なれぬ服を纏い、しゃっちょこ張りながら食べてみたいかと言うと、それも疲れそうである。銘酒、高級食材…飲み食いしても味は再現できず、高級という文字しか残らない。食べればそれでおしまいである。そう言ってしまえば身も蓋もないが、記憶だけが残るのである。すべては夢なのであろうか。

2025年11月28日 (金)

「我以外すべて我が師」と言って、すべての人から学ぶことをいう。酔っぱらいを見たら、あれくらいひとつのことに酔いしれたことがあるだろうかと自分に問いかける。姿ではなく、酔うという形式で受けとる。夢中になってませんよ、と教えてくれている。まだまだだな。

2025年11月27日 (木)

自由

人が一番ほしいもの、それが自由である。「自分による」のだから、思いを直に実行できることを言う。問題は、いざそれから解放されて、今日から自由ですよ、と言われたとき、何をすればよいかわからなくなることかもしれない。今までの自由はいったい「何によって」いたのだろうか。

2025年11月26日 (水)

美化

巴里と言うと、花の都パリを思い浮かべる人もいよう。行った人によると、文化財的な建物ばかりで、よほど東京青山界隈の方が煌びやかで良いらしい。防犯上、パリジェンヌは歩いておらず、夜間の外出は控えるべきだと言う。にもかかわらず、憧れはその土地を美化してやむことはない。

2025年11月25日 (火)

人は「差」に一喜一憂する。身長、体重、果ては誕生日が一日早いか遅いかで悩み、喜んだりしながら生きている。遥か上空から見渡せば、それが何?と思うことも、地上に暮らせば差によってランク付けしたり、されたりしている。平等はあり得ないのか。あるとすればそれはどこか。

2025年11月24日 (月)

右顧左眄

道を行くのも、階段を昇るのも、自分の周囲50センチ界隈にセンサーを張り巡らせて行動している。組織に属したりした日にはセンサーの感度を100倍上げて会社の扉をくぐる。センサーなど取り払って生きたい。人が自然に触れに行くのはそのためである。

2025年11月23日 (日)

巧思力索

上手と言えば巧みなこと。しかし、世渡り上手と言えば、あざとさを感じさせる表現である。人と人とが円滑に暮らしていくには、するりと人と触れあうための道具が必要だ。それが言葉。その潤滑油が多すぎてもわざとらしいし、少ないと、なんだあの人はと謗られることになる。潤滑油なしに語れたらいいのに。

2025年11月22日 (土)

幾通り

言葉は受け取り方によって幾通りにも受け取られてしまう。「若いですね」と相手に言えば、相手は「自分は年寄りだと言うのか」と機嫌を損ねられてしまうこともあるだろう。我が子のことを報告しただけで、子供自慢と受け取られることもあるかもしれない。物言えば唇寒し秋の風である。

2025年11月21日 (金)

私たちは、あれも欲しい、これも欲しいと、欲が服を纏っているような生き物である。すべての欲を捨て去った人が仙人と呼ばれる。その境地に至れば、あれこれ惑わされることなくすっきり暮らせるに違いない。その一方で、欲しいものがなくなった先にはどんな生活が待っているのだろうか、という迷いが生じる。まだまだ修行が足りないな。

2025年11月20日 (木)

席を譲る

電車の車内で席を譲ることは難しい。譲ろうとしたら叱られた話はよく耳にする。高齢者が立っていたとしても、運動のために立っているのかもしれないという想像も成り立つ。かといって譲らなければ、気の効かない人と思われるのも癪である。要は自分で、「譲る」、あるいは、「譲らない」と片方に決めればよいのだ。こちらをたてればこちらが立たず状態にいつも陥っているのが現実だ。譲るのは難しい。

2025年11月19日 (水)

審査

人が、「今日は頑張った」と言うとき、聞き手は、本当に頑張ったのかどうか審査している。本人にしては頑張ったのか、今日だけ頑張ったのかなどが分からず仕舞いである。聞く側が審査していては、真相は分からない。とりあえずは、「頑張ったのだね」と言っておこう。それが相手が言って欲しい言葉だからである。人は、自分が言って欲しい言葉を待ち続けているのだ。人から承認されることで自分が頑張ったことが証明されるのである。

2025年11月18日 (火)

寛ぎ

寛いとは、家の広さをいう文字。家とは何か。それは寛ぎの場。元に返ってくる。そこでは何を言っても、何をしてもよい場である。それでは野放図にならないか。広大無辺な場に一定の枠組みを与える人が父である。

2025年11月17日 (月)

「富」の文字は、家の中に財産が満ちている様子をいう文字である。視覚的に安定感を感じる。心の豊かさとは何か。それは言葉の豊かさである。楽、愉、娯、享、みな意味が異なる。どのたのしみが良いのか。

2025年11月16日 (日)

寓目

街ははモノであふれている。ところがすべてを見ているわけではない。目に映るモノはすべて自分である。クルマ好きはクルマばかりを見ているし、綺麗に着飾ったモデルに自分を投影しながら街を散策している。何も目に映らない、という人は、きっと心のなかを見つめているのだろう。

2025年11月15日 (土)

孤独と孤立

釣り三昧と、絵を描く生活を夢見て独り暮らしを始めた人の回想。口にしたのは、「寂しさ」だという。一年間に描けた絵は一枚もないという。人間は、人との間に生きると書く通り。釣果や描いた絵を評価してくれる人が何としても必要なのだ。にもかかわらず独りで絵を描き続けた人の心理はいったい何か。

2025年11月14日 (金)

先祖

私たちは否応なしに先祖を引きずっている。先祖がいなければ私もいないからだ。先祖が代々遊び好きの人ばかりだったと言う人もいる。代々学者の系譜だという人もいる。では、遊び好きの家から学者が輩出したり、学者の家柄のなかにポツンと遊び好きの人物がいるのはなぜなんだろう。それも無意識なのである。

2025年11月13日 (木)

知力

相手を知り、自らを知れば危うからず。居丈高に怒鳴られれば誰でもが怯える。しかし、居丈高な人の無意識には、怯えがあることを知れば良い。居丈高になるということは、こちらの強さに怯えているのだ。それを知る力というのだ。

2025年11月12日 (水)

元気の源

人が元気でいるためには、どうしても他者によるプラスの言葉が必要である。自己肯定感をもてというが、自分で自己肯定感をもてるなら、すべての人が悩まないはず。現実にはそうなってはいない。言葉による承認と賞賛の言葉をかけ続けることで、人は元気になっていく。

2025年11月11日 (火)

名称

スーパーの陳列棚には目眩くほどの品物が並んでいる。そのなかの一つを取ろうとするときに、名称を一瞥する。知っている名称やブランド名をスキャンしながら手を伸ばしている。これこそ無意識の仕業である。きっと頭のなかはテレビなどによって刷り込まれた名称やブランド名が渦巻いているにちがいない。私の頭は名称に住み込まれている。

2025年11月10日 (月)

寄傲

私を守ってくれて、応援してくれて、否定しないでくれる場所があれば私はのびのび生きていけるだろう。ときにわがままを言えて、黙っていたいときにはソッとしておいてくれて、寝たいときに寝かせてくれて、食べたければすぐに食事を出してくれる。そんな時代が確かにあったはずである。もう一度取り戻したい。

2025年11月 9日 (日)

基準

人と人とが会話するとき、常に自分と比べながら相手の話を聞いている。趣味・仕事はもちろん、身長や誕生日、果ては家族構成にいたるまで、自分と比べながら会話している。それに何の意味があるのかもわからないまま、上下、多寡、大小を比べては一喜一憂している。ということは、相手もこちらと比べている。こうしてわれわれ人間は、高くなり低くなり、まるで波に揺られる小舟のようにさ迷う生物なのである。

2025年11月 8日 (土)

「袖すり合うも多生の縁」と言う。出会う人はすべて自分ということ。無意識が私を人と出会わせている。大事にするとは、自分を大事にすることに他ならない。今日はどんな人と出会うのか。

2025年11月 7日 (金)

出会い

たまに電車のボックスシートに乗ると、周りは3人に囲まれている。少しまどろんでから見渡すとメンバーが入れ替わっている。いったいどれだけの人とすれ違ってきたことだろう。きっと同じ人と同席しても気がつかないかもしれない。

2025年11月 6日 (木)

女性は花にたとえられる。男性がそうたとえられることはない。男性は力の象徴である。女性の花とは何か。部屋に花の一輪でも活けてあるとくつろぐ。女性が職場の花とたとえられるように、女性がいるだけで和む。そう考えると、花とは、優しさであろう。

2025年11月 5日 (水)

実りある人生

実りある人生とは何か。「実」の文字は、物がいっぱいという意味。充実、実感などみな同じ意味である。いっぱいとは、人生の最後まで考えることばかりということ。やっとスマホ電話のかけ方に慣れたと思ったら、ファミレスでタッチパネル操作を覚えなくてはならなくなった。これからも考えることばかりが待ち構えている。

2025年11月 4日 (火)

転地療養

家にいると周りは用事だらけである。あれもこれも目につくものばかりである。若者たちが合宿に行ったり、ゼミナールに遠い場所を選ぶのも、煩雑さから逃れるためである。大人もときに転地療養するのもよいかもしれない。

2025年11月 3日 (月)

眠る

家相では、寝室を最重要視する。なぜなら、一番長い時間を過ごす場所だからと言う。人生の3分の1は眠りに就くのだからという訳である。日が当たり過ぎると、夏は寝ていられないし、当たらなければ湿気を呼んでしまうからだ。なかなかそんな部屋を得ることが難しいが、家相はその点合理的である。

2025年11月 2日 (日)

相手

人はスマホを手放せなくなりつつある。いつでも、どこでも、どんなことにも相手してくれるからだ。他の人は相手してくれない。後にして、今忙しい、と言われることが多い。最近のAIは悩み事にも相手してくれる。機械に洗脳されなければ良いのだが。

2025年11月 1日 (土)

文字

人は文字に生き、文字に病む。「高級ワイン」の文字に酔い、産地の名称にウットリする。ソムリエのくどくどしい口上に誘われて高価なワインを注文したりするのが人情である。同様に、「大丈夫だよ」の言葉に慰めを得たいと思っている。ところが、人はなかなか「大丈夫」と言ってはくれない。嗚呼。

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