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2026年3月の15件の記事

2026年3月14日 (土)

復唱

こちらのひと言を復唱してくれると嬉しいものである。「これは美味しそうなお菓子ですね」のひと言に、「美味しいですよ」と返事してくれれば、美味しさが二倍になろうというものだ。あるラーメン屋に入ろうとして先客に同じように問いかけた。先客は、虚空に向かって、「さ~?」と呟いた。感想は当たっていた。正直と言うべきか。

2026年3月13日 (金)

拾翠

土手のあちこちに翠のかたまりを覗かせている。少しすれば、草摘みの人影が見えてくる頃だ。葉は去年のものだと知りながら桜餅を食べる。未来への期待の表れととることにしよう。満開まであと少しである。

2026年3月12日 (木)

せっつかれる

「早く起きろ」、「出かけろ」、「片付けろ」…の声によって私たちは動かされている。その声は誰の声かと言えば、それも自分である。私たちは、二つに分裂している。その声に従っていることを統合されていると言う。声に従いたくない状態を統合不全と言う。行きたくない場合は、頭が痛い、足が痛いと言う症状が本当の自分を語っているのである。その語らいに耳を傾けることを、体の声を聞くというのである。

2026年3月11日 (水)

才能(2)

ビル・ゲイツ、ピカソ、エジソン…才人と呼ばれる人たちは、幼少期からその事だけをして才能を開花させた。今、そんな幼少期を過ごすのはたいへんだ。凡人になったのは時代のせいか。世が世なら、私だって天才の誉れを受けたかも…。しかし天才は孤独かもしれない。

2026年3月10日 (火)

才能(1)

生まれつきの才能はあるらしい。走る才能、音楽の才能…。後天的にはどうにもならないその人だけの才能があるとしか思えない。そんな人に囲まれていたら、きっと自分の才能が見えなくなってしまうだろう。埋もれた才能に気付く方法はあるのだろうか。

2026年3月 9日 (月)

理解

「あなたの気持ちはよくわかる」と人から言われて、理解されたと感じることはできるのか。そのあとの相手の一言で理解されていないことが分かる。その一言とは、「しかし…」の一言である。どうしたら、理解されない苦しみを解消できるのだろうか。

2026年3月 8日 (日)

「非」の文字は、鳥の羽が左右に別れているさまを示すものだという。右と左では世界が異なる。右手でできることも左手ではできない。互いに役割が違うのだ。人間関係も相手を分かろうとせず、ただ受け入れればよいのだ。無条件に受け入れることを受容と呼んでいる。

2026年3月 7日 (土)

戻る

私たちは常に過去に戻りたがっている。栄光の過去があったら尚更だ。そうでなくても、どこかの赤ちゃんが母親の懐に抱かれているのを見た瞬間にハッとさせられたりする。未来の自分にウットリできればよいのだ。期待をもって未来を見つめよう。

2026年3月 6日 (金)

自己実現

自己実現と言うと、大きな事業を成し遂げることのように思われるが、それだけが自己実現とは限らない。クッキーを食べたいと言ったときに、食べたいねと返事してくれるのも自己実現。明日は天気になるといいですねと人に言ったときに、晴れますよと言われたときも自己実現である。自己実現とは、希望したことが言葉で返してくれることを呼ぶのである。

抑抑

抑抑とは、慎み深いことを言う。抑えているということは、抑えられているものが「有る」のだ。私たちの無意識には抑えられていることがある。それは言葉である。言葉とは欲望だから、たくさんあるにちがいない。それは言ってはならないように心の奥の奥のそのまた奥にかくされている。だから抑の文字を二つ重ねて表しているのだろう。

2026年3月 5日 (木)

門限

かつて門限など存在しなかった。警官に呼び止めるからだ。東京駅付近を歩き回っているところを職務質問された経験がある。今はよほどの風体でない限りそんなことはない。子どもたちが安全に帰宅するにはどうすればよいのか。

2026年3月 4日 (水)

戴星

朝早くから国道は満載の車が東西南北を行き交っている。コンビニは星の運行など存在しないかのように道のあちこちに光を放っている。星の消滅と共に起き出す人たちと、戴星のもとに働く人たちとがいる。一日中寝ている子ども時代がかつてはあった。今は寝ているのが辛い。子ども時代に寝てばかりいたせいかもしれない。

2026年3月 3日 (火)

戦い

世界では戦争が絶えない。私たちの日常ではどうか。戦い抜く、経済戦略、作戦…当たり前のように戦の文字を使っている。フロイトが言うように、戦争はなくならないのだろうか。せめてスポーツの世界だけに限定されればよいのだが。

2026年3月 2日 (月)

親戚

親戚に会うときに必ず言われる言葉が、「お前は親父に似て来た」というもの。それがなんだと言いたい言葉を呑みこむ。このギャグ一つで何十年もきたことに驚かされる。先日、集まりがあったときに、甥っ子に同じセリフを言いそうになった。危うし。

2026年3月 1日 (日)

真の私などいるのだろうか。あるときは元気いっぱい、別のときは意気消沈して人からの慰めを受けたりもする。正確無比の反面、ずぼらだったりと、一本も筋が通ってない。しかし、それでいいのではないか。真面目一辺倒では人生を楽しめないだろう。いろいろな私が私のなかで犇めいている。今日はどんな私が登場するのであろう。

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