カテゴリー「心と体」の記事

2020年1月19日 (日)

心配

朝出かけるときにスマホを持参しているかを確認するようになってしまった。それだけではなく、パソコンが不調だと言っては落ち着かない不安な毎日を感じるようになってしまった。機械がすごいのか、人間があてにならないのか、それとも自分自身が信用できないのか・・いったい何をあてにすればよいのだろうか。心に真理をもてばよいのだが。

2020年1月18日 (土)

モノ

気がつけば私たちの身の回りはモノで溢れかえっている。腕時計はひとつあれば十分、ハンカチはせいぜい2~3枚あればいいし、メガネだって老眼鏡とそうでないのとで事足りるという人だって、きっと自分だけでこっそり集めているモノがあるはずだ。自分だけはモノの洪水から身を遠ざけたいというのは難しいことかもしれない。

2020年1月17日 (金)

聞き流す

暖冬である。寒くもなく雪もないから楽である。それでいいのかと思えばさにあらず。寒くなければ経済への影響もあるはずである。寒いときは寒くてたいへんだと言い、人間は勝手である。言いたい放題言っても自然は聞く耳をもたないから平気だが、人間は人から言いたいだけ言われたら傷つく一方である。木々が風を受け流すように、人の批判を聞き流せたらきっと楽な生活が送れるに違いない。

2020年1月16日 (木)

「今」のとらえ方は人によって異なるだろう。今が幸せ、という場合、それはどのくらいの時間なのだろうか。それをほんの一瞬ととらえる人、前後5分くらい、1時間くらいなどと、人さまざまではないだろうか。お腹がすいている時にあるつく食事でさえも、口に入れたときなのか、味がわかってきたときか、あるいはその両方がごちゃ混ぜになっている間なのか・・その至福の「今」も、食べ進めるにしたがって至福の瞬間は遠のいていく。しまいには満腹という苦しみが私を襲う。楽しみの今とはほんの束の間の幻だったのだろうか。

2020年1月15日 (水)

感情

人が人を評価するとき、好き嫌いで判断していないだろうか。その人がどれだけ努力家であり、好意を示してくれていてもである。洋服を選ぶように人を見ている可能性があるのだ。人間は人間だ、モノなどではない。その人の存在をそのまま見ること、それが尊重である。

2020年1月14日 (火)

評価

人を評価するときに使うのが絶対評価である。幼稚園の運動会で一番になるのも一番。町内の競走で一番になるのも一番である。その人が何秒で走ったかを記録するのが相対評価である。これにこだわるとどこまで競争しても満足は得られない。一番は人の数だけ存在するのである。

2020年1月13日 (月)

実感

私たちが生きていると実感するのは、誰か隣の人が同じ言葉を繰り返してくれたときである。おはよう、に対しておはようと返してくれたときほっとするのがこの実感である。どこかの雄大な景色をみて、すごい!と感嘆の声を挙げたとききっとその人の隣には同じ言葉を返してくれた人がいたはずである。このように私たちは感動や実感を感じるために他人を必要とするのである。この最初の人物こそ母なのかもしれない。

2020年1月12日 (日)

時が解決してくれる、と言われる場合の時とはなんだろう。ずっとそのことを思い続けていたら、きっと思いが膨らんでますます苦しみ、悲しみの感情が増えることだろう。その場合の解決法は語る時間をたくさんもつことである。何度でもそのことを繰り返し語り、詳細に語り尽くすことで、それらの感情は薄らいでいき、やがて何事もなかったように日常生活を送れるようになるのである。その聞き手になることこそが傾聴と呼ばれることである。

2020年1月11日 (土)

代わり

自分は会社に必要な人間だ、と思っていてもある日違う人がその仕事を難なくこなしているのを目にしたとき、あれっ?と思うことがある。風邪で2~3日休んだときになどにそんな感情を強く抱くものである。自分の代わりは誰も務まらないという思いこそ自己愛と呼ばれるものかもしれない。

2020年1月10日 (金)

意味

私たちは毎日意味にとらわれている。金メダル、成績・・それもあと数十年経ってしまえば価値は薄らいでしまう。場合によっては過去のそれにとらわれてしまい、前が見えにくくなる可能性も否定できない。もしモノから意味を抜き去ってしまったとしたら、そのあとに残るものとは一体何なのだろうか。

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