カテゴリー「心と体」の記事

2018年1月 1日 (月)

サロン・タケダ開設

人はだれにも言えない話を抱えている。言葉に力があるとするならば、だれにも言えない語りは、むかむかする、とか、もやもやした気持ちとなって自らの身体を攻撃する。それが病気やケガである。一人の故障は家族全員に及ぶことになる。重症化しないために、方法を講じることが大切である。その方法とは、語ること。とりとめもなく語ることである。「話したらすっきりした」という経験をだれもが持っているのではないでしょうか。当所では、気軽に語れる場所として、サロン・タケダを開設し、もやもやした気持ちを聞いてほしいという方のために開放しました。

話を否定せず、
あなたの味方になり、
耳を傾けます。


一度ご来訪くださるようご案内いたします。
詳しくは、ホームページをご覧ください。1_2

2017年12月 1日 (金)

生きがい

働いても生きがいを感じられないと訴える人が多い。他人から見れば、仕事も経済も順調ならそれでいいではないかと言われるが、本人の悩みは真剣だ。生きがいの起源をたどれば、それは、母の目に映った子どもの言葉だ。子どもが、タレントになりたい、とか、勉強以外の仕事に就きたい、などと言ったとき、母の目にその言葉がどう映ったのかをみて、子どもはそれを目標とする。母に嫌われたくない子どもは、母の目の中にきらりと光るものを見て、それを将来の仕事として決定する。遠い昔、母が自分のどんな言葉に反応したのか、それは今となっては想像するしかないのだろうか。

2017年11月 1日 (水)

食事

食事は楽しくあるべきである。説教、学校の話などはしないことが望ましい。つまらない話で笑いあうのが理想だ。子どもは、こんな話にも親は反応してくれたと感じる。そのとき、いじめや、葛藤を会話の中にさりげなく挟んでくる。親はそれを素早くキャッチして、「どうしたの?」と関心を持ってあげることだ。それによって、ことが重大になる前に防止できるのである。
1、家族全員で
2、団欒を囲み
3、子ども中心の会話に徹する
ことである。家族が揃うのは食事の時だけ。子どもたちはいずれ出て行く、その前に、さりげない会話でコミュニケーションをはかっておけば、子どもたちは家に帰ってくる。懐かしい父や母のもとに帰ってくるのである。

2017年10月 1日 (日)

較べる

人は相手の話を聞きながら、聞き手自身と較べながら聞いている。相手が「どこかのレストランの料理が美味しかった」と言ったとき、「そうかな?」などと思っているのではないか。考えても無駄と知りつつ、いつのまにか自分の価値観と比較している。「人の話は無心になって聞くことが大切」と言われても、つい「私はもっと美味しい店を知っている」などと比較しながら聞いている。私たちは、幼いころからそういう世界に生きてきた。体重・身長・成績・足の速さ・・・。100m走を10秒で走れるかに一喜一憂してしまうのは、人間の中にある、比較する習慣の表れである。比較のない世界に行きたいとさえ思う。ところが、その世界に一歩足を踏み入れたとたん、足が速いことや、成績が良いことに価値がなくなってしまう自分が怖くなり、あわてて人に勝ることは何かと考えてしまう、その繰り返しのなかで、ごく一部の人たちだけが自分だけの世界で暮らしている。彼らの心は孤独、しかし、想いは満ち足りているのである。

2017年9月 1日 (金)

1 9月の雨が、畑の土の色を濃くしている。大木の下はそれほどでもないが、土がむき出しになっているところは、土がけずられていく様がはっきりとわかる。こんな様子を愛でるひとがいる一方で、水田の様子が気になる人もいるだろう。行楽地に出掛けた人にとって、雨は鬱陶しいものだろう。同じものを見ても、その受け取り方は千差万別。庭がきれいと感じる人、やっかいなものと感じる人と、それぞれのひとが会話しても、噛み合うことは絶対にないのだ。どうしたら、人は人の話を受け入れることができるのだろうか。

2017年8月 1日 (火)

沈黙

4児の母の回顧談。男の子を育てながら、声の出しすぎによって、喉にポリープができてしまった。医者から、ポリープ切除の手術するか、沈黙を守るかの選択を迫られた。母親は後者を選択。しかし、子供たちはいうことを聞かない。にもかかわらず、沈黙を続けた結果、子供たちのうちの二人が喧嘩を始めると、仲裁をする子が出てくる。別のところから言いがかりをつけてくる子が現れたりして、二か所で喧嘩が始まる。それでも沈黙を続けていると、いつのまにか喧嘩は沈静化してきたという。子供たちはいつの間にか譲り合いを学習したという。母親のポリープも消え去り、「指Photo


示するって、意味ないことなんですね」と一言。なぜ人は指示するのだろうか。

2017年7月 1日 (土)

功績

自らが打ち立てた功績は誰かに聞いてもらいたいと思うのが人情ではないだろうか。他人に褒められたことで、その喜びは倍増し、また頑張ろうと思ったりするものである。賞賛の言葉は、私たちの生きる原動力である。特に、子供たちは、承認と賞賛の言葉を食べながら生きている。子供たちが、「ママ見て」の言葉を繰り返したり、「ボクすごいでしょ」とママの前で胸を張ったりするのは、それが自分たちの生きる源になっていることを語っているのだ。ママが答えてくれた瞬間だけ、子供たちは「やった」と思うが、ママが背中を向けた途端、喜びはあっという間に消え去ってしまうのである。言葉の効果ははかないのである。それに答え続けることだけが、子供たちを未来に向けていく力になることを、誰が知っているのだろうか。

2017年6月 1日 (木)

居場所

人は誰でも、自分の居場所を求めている。居場所とは、話が合う人のいるところである。ゲーム愛好家が、ゲームに興味のない人に語ったとしても、相手は全く興味を示さないばかりか、顔をそむけてしまうだろう。ところが、同好の志に出会えば、一瞬にして意気投合し、水を得た魚のごとく活き活きとするだろう。私たちにとって、そうした共通の場を見出しているかどうかが死活問題となるPhoto_4


。それを居場所と呼んでいる。

2017年5月 1日 (月)

前例

2私たちの行動に、前例はつきものだ。前例にのっとって、今まで通りという形を繰り返しながら、私たちは居心地の良さを感じている。変わったこと、ユニークなことは、排斥され、異端視される可能性が高いからである。そうした安心を求める気持ちが、いつの間にか、個性や新しい着想の芽を自ら摘んでいるのかもしれない。個性を発揮するにはどうすればよいのか。それは、他人の目を気にすることなく、自分で決めることだ。こうしたい、ではなく、こうする!と断言することである。

2017年4月 1日 (土)

デパートの地下街を歩くと、食材の多さ、色どりの豊かさに目をみはらされる。空腹状態で通り過ぎることに、はなはだ困難を覚えたりもする。弁当箱に意匠を凝らしたもの、粋な名前をつけたもの・・・自宅に持ち帰れば普通のサラダだと分かってはいても、巧妙なライトによって照らされているそれは、特別美味に見えたりする。すべてが、客の胃袋を刺激するものばかりだ。その店で買い求めたものは、本当に自分が求めていたものなのか、あるいは見た目の綺麗さに誘われて名指ししたものなのか分からないまま、それを手にして帰路についている。

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