受ける
私たち人間は周囲の影響を受けるし、受け続けている。気候がそうである。暑さに負ける、寒さに弱いなどと嘆く。とりわけ人から言われた言葉に一喜一憂してしまう。心の中で、「このままの自分でよいのだ」と叫んでみても、そこは多勢に無勢。頑固親父を押し通すことの大切さを再認識しよう。
私たち人間は周囲の影響を受けるし、受け続けている。気候がそうである。暑さに負ける、寒さに弱いなどと嘆く。とりわけ人から言われた言葉に一喜一憂してしまう。心の中で、「このままの自分でよいのだ」と叫んでみても、そこは多勢に無勢。頑固親父を押し通すことの大切さを再認識しよう。
悩みは成長の兆しである。悩みを悩みとして受け取るのではなく、進化への足掛かりとして受け取ることである。しかし悩みは他からやってくるから厄介だ。非難、否定…、それらをシグナルと受け取る力を知力と言うのである。
刑務所で面会に来た人に受刑者は必ずこう言うのだ。「やらない方が良い」と。そんなことは初めから分かっていることではないか、と私たちは思う。続けて彼は言う。「そのときになればまたやらないとは限らない」と。そのときとはいつなのか。それは、唆された時である。誰になのか。それは自分の中の無意識である。無意識ほど自分でコントロールできないものはないのである。フロイトはこう述べている。「無意識を意識化させておくこと」と。それが難しい。
方位占いに凝っている方は知っているかもしれない。どこかに出かけるに際して、必ず方違えしてから目的地に到着するように計画する。A地点に直に行くと災いがあると占いに出ると、違うB地点に一旦宿泊したり、一定時間滞在し、やおらA地点に向かうことを指していうのだ。かく言う自分も一回指示にしたがったことがある。そのときはちょっとしたヨコ道の旅行気分であった。そのせいであろうか、災いは起きなかった。
観光地は旅行客で賑わっている。棚引かせる旗を先頭に一団のグループがそのあとを付いていく。「旅」の扁である「方」は旗が棚引く意を表すものだから、旗が旅を司っているのも頷ける。何千年も変わらぬ姿である文字を考えついた人はスゴい!
京都の人は、最近の建造物は100年持たないのに、京都の建物は千年経ってもびくともしないと言う。評判のビル、野球場なども次々再建の話が持ちあがっている。京都の町並みをまた見に行こう。
鬼とは人を惑わす反面、人間わざを超えたすごい能力をも指す文字でもある。歴史を動かすほどの人物、人智では計れない発明などは、鬼と呼んでも差し支えないだろう。反面、爆弾にもなる威力も併せ持ってしまう厄介なモノも発明している。そう考えると、鬼は人間を進化させたり災厄を起こしたりもする。やはり鬼なのだ。
それも大事な時である。いつもつっぱってばかりは生きられない。そんなことをしたら延び切ったバネのようになってしまうだろう。「起きない」とは、何かがあるということだ。その時を待とう。
幼い子どもの口から「俺は…」の言葉が発せられるとドキッとする。幼稚園に通いだしたからだと後になってから分かったりする。言葉の善悪も知らずに使いこなしている。教えてもいないことを学び、教わったことは忘れている。われわれは何を学んできたのか。
「地獄に堕ちるわよ」と言われて誰もがドキッとするだろう。冷静になって、「見たことはあるのですか?」と質問できればよいのだがそれができない。きっと天国に行きたい欲望が自分のなかにあるからかもしれない。