カテゴリー「心と体」の記事

2018年9月19日 (水)

寛ぐ

寛ぐとはなんだろうか。リラックスすることだろうか。寛ぐとは、緊張している状態から開放された状態ではないだろうか。緊張しているとは、何かを言えない状態である。今自分がおかれている苦境、訴えたいこと、伝えたい気持ちなどが心のなかにたまっていることをさす。それが言えたり、訴えることができたとき、人は寛ぎを感じるのである。言えるとは、相手の側に受け止める態勢が必要だ。心のなかのエネルギーは相手にむかって一気に放出される。部屋の換気が行われたように空気が変わるのだ。そして寛ぎを覚える。その先にあるもっと寛ぐ瞬間とはいったいどんなときなのだろうか。

2018年9月18日 (火)

受け容れる

ありのままの自分を受け入れること、それが幸せへの道である。走るのが苦手な人が苦しいのは、その苦手であることを受け入れていないからである。断れないために、いつも仕事を押し受けられてしまったり、カラオケなどで苦痛を感じるのは、その事実を受け入れていないからである。ところが、弱い自分を簡単には受け入れられないのも事実である。あなたならどうするだろうか。

2018年9月17日 (月)

わがまま

国立天文台が作ったすばる望遠鏡がハワイに設置されている。この望遠鏡には8億7千万画素という驚異的な性能の超高解像度のCCDカメラが搭載されており、これを使うことによって、ハッブル宇宙望遠鏡が1000年かかる観測を、たった5年で観測してしまうという。このカメラの開発は本来完成不能と言われていたのものであった。しかしチームリーダーの熱意によって試行錯誤の末に完成したものだった。彼の一言が印象深い。「わがままでなければいいものは作れない」。

2018年9月16日 (日)

意志

猛暑もやっと初秋にその席を譲ろうとしている。暑い時には暑いなりに、とか、冷房を積極的に使いましょうと連呼していたのがつい最近のことのように感じられる。自分は自分の考えで通してよいと知ってはいても、意志を通すのは厄介なことと感じることもあるものだ。どうやって自分の意志を貫徹すればよいのだろうか。

2018年9月15日 (土)

バリエーション

女性のほうが男性よりもバリエーションに富んだ人生を送っている。例えば、男性にとっての赤と女性の赤とはその世界が全く異なる。男性のそれは単に赤だが、女性のそれは色彩の宝庫である。リップクリームの赤の多彩なことは目を見張るばかりだ。化粧台を見渡せば色とりどりのビンや缶、スプレーなどが、静物画のように林立している。男性のものといえば何かがポツンと一本あるくらいなものだ。男性はモノクロの世界を生き、女性は目くるめくカラーの世界を生きている。両方の嗜好が一致することはなさそうである。

2018年9月14日 (金)

思い込み

人はだれでも思い込みをする。そうだったのだ、と思い込み、事実を認めないためにしているといってもよい。親は私を自由にしてくれた、は、放ったらかしの上書きであり、親は私を一生懸命指導してくれた、は、干渉しすぎる親と思い込みたくないための作文かもしれない。親の側から見れば、厳しく育てた、は、虐待かもしれず、優しい子に育てた、は、甘やかしすぎたのかもしれないのだ。その結果が数十年後に出てくるなど誰も想像しないまま、私たちは育てられ、かつ育ててしまった。この散々な結果をどうやって書き換えればよいのだろうか。

2018年9月13日 (木)

主張

「自分はこう思う」と周囲の人に主張しても、「?」の返事がかえってくることもあるものである。その瞬間、自分は間違っていたかな?と自信がなくなるものである。横並び社会においてはなおさらである。社会では、周囲にあわせるのが善、という風潮が根強いからだ。そのときは親が子供の味方になって上げることで自信がつくものである。さもなければ、子供は孤立化することになるだろう…とは頭で分かっていても、子供の「今日は学校にいきたくない」という主張にどう返事をすればよいかという対応法が用意されていない。長い目で見ることも大事なことかもしれない。

2018年9月12日 (水)

加減

気の抜けない日々を送っている人もいるだろう。反対に、気の抜けた毎日を送っていると感じている人もいるかもしれない。いずれにしても、ちょうどよい加減というものはなさそうである。人生の前半に気の抜けない毎日を送った場合、その後半ゆっくり休むかもしれない。前半を病気やケガなどで送った場合は後半で忙しくなりそうである。ほどよく忙しくした後はほどよく寛ぐことがよさそうである。ほどよく、とは、一体どんな程よさなのだろうか。

2018年9月11日 (火)

居場所

私たちが求めているもののひとつに居場所がある。会社にいけば自分のデスクやポジションがある。子供たちにとっても自分の机、椅子が本人の居場所である。それが失われることを私たちは怖れている。ある日出社したら、自分の机が片付けられていたという話をきいたことがある。公的な場面だけでなく、家庭においても、父は父の居場所、母の居場所、子供にも居場所が必要である。大人の場合のそれは、クラブやサークル、飲み屋などであるが、子供の場合には家庭が唯一の居場所になる。彼らは疲れ果てた体を癒すために家庭という居場所に戻ってくる。

2018年9月10日 (月)

退屈

忙しくしているとき、人は考えることをやめている。休日に退屈をかこつとき、人はあれこれと考えをめぐらす。それが新しい生き方やアイディアを生み出すきっかけになるのだ。勉強や仕事に忙殺されているとそれができない。人はときに退屈の中に身を置くことも必要である。仕事に行き詰まって散歩に出掛けたり、買い物に出かける途上でふとアイディアがひらめくこともあるものだ。そんな退屈を、発想のためのチャンスととらえることが大切である。

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