カテゴリー「心と体」の記事

2018年12月10日 (月)

便利

言葉ほど便利なものはない。誰かが「パリ」と言えば、パリの凱旋門の前に立つこともできる。極寒の北極点に到達し、キリマンジャロの頂上に旗を立てることさえ可能である。そう書けるのも言葉の力である。われわれ人間は言葉から空想し、味わい、感想を述べあうことで一時の満足感を得ているのである。それならもっと言葉を豊かにすればより豊かな経験を積むことさえ可能である。ただし、空想ばかりが先立つと、名所旧跡が観光客であふれていたとか、天気がわるかったということにもなりかねない。やはり現実と空想と言葉とすべての境地で楽しむのがよさそうである。

2018年12月 9日 (日)

パッケージ

品物のパッケージを見ると百花繚乱のようである。互いに妍を競い、こっちを見てと言わんばかりである。チョコレートのパッケージを見ると、チョコの角がキラリと光っていたりする。現実にはちょっと光るのを見ることはあってもケースのそれはひかりっぱなしである。パッケージをながめながら食しかつ飲む、いったい味わっているのか、デザインごと口にしているのかわからないほどだ。かといって暗闇の中では食べる気がしないはずである。我々はこうして内も外も同時に楽しんでいる。

2018年12月 8日 (土)

比べる

人と比べてはいけないと思っていても、つい比べてしまうのが人間ではないだろうか。誰かがが素敵なコートを着ているのを見た瞬間にそれよりも色が濃いとかタケが長い方がいいなどと比べている。これではいつまでたっても自分だけのモノを手にすることはできないだろう。しかし、そうすることで自分を保っているのも人間なのである。誰と比較すればよいのだろうか。

2018年12月 7日 (金)

感情

言葉よりも先に湧き上がってくるもの、それが感情である。人はそれを制止することができない。なぜなら、感情は言葉を必要としないからである。言葉による制止が追い付かず、気がついたら感情がほとばしっていたというわけである。その感情は感動につながっている。感動のない人生が味気なく感じられるように、感情も多少ほとばしるくらいがいいのである。それを出しすぎるでもなく抑えすぎるでもなくコントロールするものこそが知性と呼ばれるものである。

2018年12月 6日 (木)

偉大

母は偉大である。自分を生んだ人ゆえに、その力を否定することはほぼ困難である。子どものわがままにたいして動じはしない。母の手からは何でも出てくるし叶えてもくれる。子どもはしばしばこの引力圏から脱出を試みる。それは、子どもがいずれこの家を出ていかなければならないと知っているからである。そのための作戦が、母を嫌いになること、そして、母を消すことである。母を「くそババア」に仕立て、母に向かって「消えろ」と叫ぶのはその戦術である。それは母があまりにも魅力的だからこその叫びなのである。

2018年12月 5日 (水)

大切なもの

人にはそれぞれ大切にしているものがある。家族・道具・ペット・・・。こわれかけた時計やひびが入った花瓶、よれよれになった服だって本人にとって大切なものなのである。それには記憶が張り付いているのである。他人から見れば何?と感じるものであっても、本人は真剣である。他人はそれに対して、何なの?などと言ってはならない。思い出があったとしたらそっとそばの人にささやけばいいのである。

2018年12月 4日 (火)

転ばぬ先の杖

先に生まれてきた人にとって、後から生まれた人の行動はさぞまだるっこしく感じることだろう。そこでつい口に出してしまうのが助言である。それは会社やクラブの後輩にとどまらず、子育てにおいてもしてしまいがちである。後進にとってそれは最初はありがたく感じることだろう。しかし1年を過ぎてしまえば本人なりの考えや経験が備わってくる。そこで発生するのが先輩後輩の軋轢、子育てでは反抗期である。では何も助言しなければいいのかというと、さにあらず。転ばぬ先の知恵を出す瞬間はあるものである。

2018年12月 3日 (月)

不安

運動会を間近に控えたグラウンドでの友の一シーンである。校内随一と呼び声の高いスプリンターが呟いた一言が私の耳に届いた。「このグラウンドを俺は走れるのか?」と。陸上部のスーパースターの彼が自信喪失に陥っているのだ。謙遜で言っているとは思えない。結果は予想通り一位。彼の顔に勝ち誇った様子はない。運動会でも陸上部も区別なく参加させる学校のおおらかさゆえに、一般生徒にも勝てるのではないかという期待と、陸上部だからこそ負けたくないという思惑の入り交じった争いに、参加した生徒たちは清々しい思いでゴールめがけて走り抜けたことだっただろう。

2018年12月 2日 (日)

役割

気持ちが落ち込んでいるとき、人の心には、慰めてもらいたい気持ちと、励まされたい気持ちの両方が生じてくるのではないか。いきなり励まされても辛いだろう。まず慰めてほしい、そしてその後に激励の言葉が欲しいという人もいるだろう。片方だけでは前に進めず、激励だけではかえって落ち込む結果になる可能性だってないことはない。人は両方の言葉を必要としているのである。その役割を担う人こそ父と母ではないだろうか。

2018年12月 1日 (土)

記憶

人間の記憶ほどあてにならないものはない。朝食べたものや会社にもっていくもの、上司から指示されたことなど、あらゆる場面で記憶違いをしていることが多い。それは頭の中で自分に都合よく書き換えているからだ。食べたくないものを供されたので、そのもの思い出したくないからかもしれない。命令されたことの腹いせにちょっと持参品を少なくしてしまっていることもあるからだ。そのようなことをしてもかえって煩雑になるだけなのだが、そうすることでささやかな仕返しをした気分になっているかもしれないのである。そんな自分のことをさえも記憶から消去してすまし込んでいる自分がいるのかもしれない。

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