本音
「本音で語り合おう」と言われても、それが不可能であることは誰もが知っている。人間は本音を知りたい気持ちと、知りたくない気持ちとの間を揺れ動いている。しかし、相手の語る言葉の中に本音が隠れている場合だってある。表情の上にそれを知ることもできる。にもかかわらず、人はそれを読み取ろうとはしない。人はそれほどまでに自分のことを良い人と思いたいのである。
「本音で語り合おう」と言われても、それが不可能であることは誰もが知っている。人間は本音を知りたい気持ちと、知りたくない気持ちとの間を揺れ動いている。しかし、相手の語る言葉の中に本音が隠れている場合だってある。表情の上にそれを知ることもできる。にもかかわらず、人はそれを読み取ろうとはしない。人はそれほどまでに自分のことを良い人と思いたいのである。
心がこもってない、などと感じるときの「心」とはいったい何であろうか。それは言語である。「犬が好き」と人が言うとき、その心にある言語は「犬好き」の言葉である。それがしっかりとあれば「犬が好き」の言葉は真実の言葉として相手に伝わることになる。その言語はいったいどこで、いつ、どんな人によって形成されてきたのであろうか。